三國志、春秋戦国時代を超える戦乱の時代、五胡十六国時代② ~五胡十六国時代の流れ【前期と後期に分けるとわかりやすいぞ】~

五胡十六国の流れ

前回、魏晋南北朝時代の流れを書きましたので、今回から、いよいよ五胡十六国時代の流れを書きたいと思います。

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八王の乱をきっかけとする周辺民族の台頭

五胡十六国時代は、西晋(265年~316年)の末期からはじまります。

西晋は、三國志の司馬懿の孫の司馬炎によって建てられ、三国時代の中国を統一(280年)します。しかし司馬炎が亡くなる(290年)とすぐに帝室同士が争う八王の乱が始まり、乱れに乱れます。争った八王たちが、傭兵として周辺民族を使うことによって、周辺民族たちが華北内に侵入、自立するきっかけとなります。

八王の乱についてはこちらから

ここで注意したいのが、五胡をはじめとする周辺民族が一気に外部から侵入してきたわけではなく、民族によっては、華北内にかなり住み着いており、八王の乱を契機として、漢民族に使役される立場から自立への道を歩んでいった民族もあるということです。

その自立した民族のなかに、五胡十六国時代の初期の国を建国する匈奴があります。匈奴は、五胡十六国時代がはじまる時代から500年以上前の戦国時代、前漢の時代からすでに中国の北部を侵入したりしており、ときの王朝と激しく争ったりもしてきました。

五胡十六国時代の幕開け 「漢(前趙)」、「成漢」、「前涼」の建国

その匈奴の部族の中から、劉淵という人物が、八王の一人司馬穎に将軍に任じられ、その後山西で自立して、「漢」という国を建国します。この「漢」がのちに「前趙」になります。

前趙の歴史はこちらから

この前趙の建国と同時期に、四川で李雄という人物が「成漢」という国を建国します。

成漢の歴史はこちらから

そして、甘粛では、涼州刺史の張軌が「前涼」を建国します。

この3国の建国のあたりが、五胡十六国時代の幕開けになります。

五胡十六国の変遷

五胡十六国時代は大きく分けて前半、後半と分かれます。

前半が、西晋滅亡&前趙などの建国~前秦の華北統一

後半が、前秦の崩壊~北魏の華北統一(南北朝時代のはじまり)

になります。

まず前半ですが、

五胡十六国時代 前半

①五胡十六国時代のはじまり

西晋が八王の乱によって、自滅、ぼろぼろの死に体になり、周辺民族が自立します。

前趙(建国時の国名は「漢」)山西

成漢 巴蜀

前涼 甘粛

の3国が自立して建国します。

②前趙→後趙

成漢と前涼は地方にあって、比較的長く存続するのですが、中央の前趙は激しく変動します。

まず、前趙は死に体であった西晋の息の根を止めて滅ぼします。

そして、陝西方面などに勢力を広げていきますが、内情は不安定で、配下の部将たちが独立の動きをしていきます。

その部将たちの中で、羯族の石勒という人物が前趙の部将として切り取った河北方面を拠点として独立します。その石勒建てた国が後趙です。

後趙についてはこちらから

ちなみに、石勒は私が五胡十六国時代の人物の中で一番好きな人物です。この石勒についても後日書きたいと思ってます。

その後、華北の中央部分は、西が前趙、東が後趙と東西の国の対立という形になります。

324年頃の勢力地図

後趙は、その後も華北でどんどん勢力を伸ばして、とうとう前趙を滅ぼし、華北の大部分を統一します。

329年頃の勢力地図

③後趙→前燕&前秦

後趙は華北の大部分を統一しますが、その間に東北の遼西、遼東では、鮮卑慕容部の前燕が勢力を伸ばしてきます。そして、後趙の第二代皇帝石虎の侵攻を跳ね返します。

その後後趙が後継者争いによる国内の混乱で滅び、後趙に取って代わった冉魏が建国されます。

前燕は、優れた指導者が続き、国力を高めて、中原に進出して来ます。そして冉魏を滅ぼし、華北の東半分を攻め取ります。

前燕の歴史はこちらから

そのあいだ、華北西部、陝西の関中では、長安を中心に氐族 の前秦が勢力を伸ばしてきます。その前秦に五胡十六国時代最大の名君と言われる、苻堅が現れ、華北の西半分を制圧します。

苻堅の配下に、名宰相の王猛という人物があり、前秦はこの人物の力で、強国に成長していきます。

この時代、ちょうど華北の西を前秦、東を前燕、そして華南を東晋が治め、三国鼎立のような状態になっています。ただ、その周辺に前涼や前仇池、代などの国も存在しています。

366年頃の勢力地図

④前秦の華北統一

前秦は苻堅治世のもと、王猛が宰相となり、国力を高めていき、拡大路線を取ります。370年に前燕を滅ぼし、371年に前仇池を服属させ、376年に前涼を滅ばします。そして、同じ年、代(元の北魏)を滅ぼし、華北を統一します。

382年頃の勢力地図

ここまでが、五胡十六国時代の前半部分です。

後半は、前秦の崩壊による、華北の分裂、再度の群雄割拠の時代から、北魏の華北統一までになります。

五胡十六国時代 後半

①淝水の戦い→前秦の崩壊

華北を統一した前秦は、民族融和的な政策を取りながら、中国全土の統一を企図していきます。そして、中国の南半分を支配する東晋の征服を狙って、兵を起こします。

そして、383年130万を号する大軍で東晋に攻め込み、寿春東方の淝水で東晋の軍と激突します。ところが、東晋軍を引き寄せて攻撃をする予定が、陣形が大きく崩れてしまい、そこを東晋軍に攻め込まれ、大敗を喫してしまいます。

この大敗により、前秦に服属していた諸民族が一斉に自立を企て、前秦はこの後、短期間で崩壊してしまいます。

②諸民族の自立による群雄割拠の時代

上記の淝水の戦いの大敗が原因による、諸民族の自立、前秦の崩壊により、華北は様々な民族が国を建て、複雑に変遷していきます。その流れは地域ごとにあまりにも複雑すぎます。まず、建国した国名を挙げます。

西燕、後燕、南燕、北燕、

翟魏、後秦、西秦、夏、

後涼、南涼、北涼、西涼、後仇池、

北魏

以上の国がそれぞれの地域で興亡を繰り返し、それに加えて、華南の東晋やそれに取って代わった宋が北伐をして、華北の国にも大きな影響を与えます。

この中で、ある程度、大きな勢力を築いたのは、後燕、後秦、夏、北魏でしょうか。

しかし、この後、北魏の勢力が飛び抜けて大きくなっていきます。

ごくごく簡単な五胡十六国時代後期の流れ

淝水の戦いのあとの、五胡十六国時代後期の流れは複雑すぎるので、めちゃくちゃシンプルにした流れを書きます。

383年の淝水の戦いのあと、前秦の支配下にあった各部族、勢力が次々と独立をしていきます。

ほんとびっくりするほど、手のひらを返したように独立していきますので、前秦君主・苻堅様が可哀想になってきます。

関東エリアでは、

当時最高の名将・慕容垂の後燕と、存在が希薄な野蛮人どもの翟魏が独立

 

関中では、

姚萇の後秦、慕容の関中組の西燕が独立。勢力が関中のいち勢力まで弱体化した前秦と文字通り死闘を繰り広げていきます。

このあいだ、前秦の英主・苻堅様は姚萇に捕らえられ死亡。悲しい最後を迎えました。

西燕はこのあと配下のものどもがホームシックにかかり、東へ帰り山西エリアで割拠します。

 

塞外エリアでは、元の代が拓跋珪のもと北魏を建国します。

 

西の方では、西秦・後涼・後仇池などが独立します。

ここまでが380年代です。

390年頃の勢力地図

390年代に入ると、慕容垂率いる後燕が大国になり、翟魏と西燕を滅ぼし華北東部を支配し前燕以上の領土を手に入れます。不運の名将・慕容垂が報われます。

しかし、その後燕も慕容垂死後、北魏にボコられ、今度は北魏が華北を席巻していきます。

関中でも、前秦が後秦に滅ぼされ、その後秦が名君・姚興の元、関中の覇者となり、領土を広げていきます。

河西回廊では後涼から南涼&北涼が独立、さらに北涼から西涼が独立と涼が細胞分裂を繰り広げます。

すでにわけがわからなくなってきてますが、400年代に入るとさらにぐちゃぐちゃしてきます。

北魏に攻撃された後燕は国の真ん中を断ち割られ南北に分裂、南の燕が南燕になり、北では遼西に逃げた後燕が北燕になります。

関中では後秦が成長し、隴西、河西回廊、オルドス、河南までも支配していきますが、これもすぐ弱体化していきます。

407年にオルドスで赫連勃勃が夏を建国し後秦から独立、五胡十六国時代ディフォルト・恩を仇で返し後秦を攻撃してきます。

409年には後秦に服属していた西秦が再度独立。

河西回廊でも、後涼が滅びたあと後秦が幅利かせていた状態から、南涼、北涼が主張しはじめます。

407年頃の勢力地図

410年頃の勢力地図

その後、河西回廊では謀将・沮渠蒙遜率いる北涼がじわじわ強くなり、421年には河西回廊の統一に成功します。

このあいだ、南の東晋に英雄・劉裕があらわれ北伐をやりはじめます。

山東の南燕が410年に滅ぼされ、後秦にも攻撃をしかけ417年に後秦も滅ぼしてしまいます。この攻撃で洛陽と長安も手に入れ東晋がすごい勢力伸ばしてきたなあと思っていたら、420年に劉裕が東晋を簒奪、エセの引き継ぎイベント・禅譲が行われ、宋が建国されます。

南が入れ替わっているとき、北でも北魏が太武帝(拓跋燾)の即位とともに無双状態に入り、華北西部へ攻撃をしかけ一連の動きの中で、夏と西秦が滅亡、東で北燕を滅ぼし、とどめに河西回廊の北涼を滅ぼし、439年に華北統一となります。

下記の「③北魏の華北統一」でも北魏目線の華北統一を少し書いています。

五胡十六国時代の後期は、以上のようにさらっと書いただけでもぐちゃぐちゃでわかりにくいので、自分なりに流れを別投稿でまとめています。

興味がある方は、下記から飛んでみてください。これもだいぶ簡単に書きましたが10投稿くらいになっています(´Д`)

五胡十六国時代後期のもう少し詳しい流れはこちらから

③北魏の華北統一

華北を統一して五胡十六国時代を終わらせた北魏目線の流れは下記になります。(上記の繰り返しあり)

上記の群雄割拠の華北の中から、前秦に滅ばされるまで「代」の国を作っていた、鮮卑拓跋部が前秦の弱体化を契機に再度建国し、さきの代王の孫、拓跋珪は386年に代王の地位に就き、すぐに魏王を名乗ります。これが北魏の建国になります。

その後、周辺の勢力を倒し、オルドスからモンゴルに至る地域を北魏の領土に加えます。そして、後燕の勢力とぶつかることになり、攻め込んできた後燕を395年、参合陂の戦いで破り、華北における北魏と後燕の力関係は逆転します。その流れで、北魏は後燕の領土を征服していき、遼西、遼東、山東を除く後燕の領土を支配し、中原の支配者となります。

そして、北魏は都を平城に遷し、拓跋珪は皇帝に即位します。

その後、北魏は明元帝、太武帝と続き、太武帝の時代に、まず夏の統万城を落とします。(夏はその後、西秦を滅ぼすが吐谷渾に滅ばされます。)

そして、436年北燕を滅ぼし、439年に太武帝の親征により北涼を滅ぼし、華北は統一されます。ここに五胡十六国時代は終わりを告げます。

前述のように、この間に華南では東晋が劉裕に乗っ取られ、宋王朝が開始され、

北魏から始まる北朝と宋が始めとなる南朝との南北朝時代が始まります。

150年に渡る五胡十六国時代は終わりましたが、この後、南北朝時代はさらに150年続き、戦乱の時代はまだまだ終わりを告げません。

439年頃の勢力地図

 

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【参考文献】
三崎良章『五胡十六国、中国史上の民族大移動』【新訂版】(東方書店、2012年10月)
川勝義雄『魏晋南北朝(講談社学術文庫)』(講談社、2003年5月)
『晋書』

  

 

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コメント

  1. とおりすがり より:

    最近この分野に興味を持ったので、わかりやすくて面白かったです。

    “前燕は、優れた指導者が続き、国力を高めて、中原に進出して来ます。そして冉魏を滅ぼし、華北の東半分を攻め取ります。

    そのあいだ、華北西部、陝西の関中では、長安を中心に氐族 の前秦が勢力を伸ばしてきます。その前秦に五胡十六国時代最大の名君と言われる、苻堅が現れ、華北の東半分を制圧します。”

    ここですが、前燕が華北の東を攻め取ったそのあいだ、とすると、前秦が制圧したのは西半分ではないでしょうか?

    • historist1976 より:

      とおりすがり様
      ブログ見ていただきありがとうございました。
      また返信おそくなりまして申し訳ありません。
      ご指摘の通り、符堅がまず制圧したのは、華北の「西半分」でした。
      確認ミスでした。ご指摘ありがとうございました。→修正しました。

      中国史というと、世間的にはまず三國志というイメージがあるのですが、
      三國志以外にも、「おもしろい」時代が中国史にはたくさんあるのを書きたいと思っています。
      とくに五胡十六国時代は、三國志のすぐあとの時代にもかかわらず、中国史に興味がある人にも、
      ほぼほぼ知られていない時代ではないかと思います。
      ただ調べてみると、この時代には南の東晋含め多くの魅力的な人物が出て大変おもしろい時代だと思います。
      (ドラマのような勝者はおらず、救いようがない乱世という見方もできますが(笑))

      今後も五胡十六国時代についていろいろ書いていきたいと思います。(その他の時代や国についても書くと思いますが)
      また、ご指摘やご意見などありましたら、ぜひぜひメールいただければありがたいです。

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