こんにちは。
前燕は、慕容垂指揮の元、慕容徳が譙梁エリアの石門を制圧し、東晋軍の糧道を断つことに成功します。
また慕容宙の釣り野伏せなどで、譙梁エリアの東晋軍に打撃をあたえます。
桓温は、戦況の思わしくないことと、糧道が断たれ食料が不足になること、また前秦軍の援軍が進出して来ていることを理由に全軍撤退の決断をします。
そうしてほぼほぼ社畜扱いの毛虎生(とても優秀な社員)を敵中の東燕に残し、しんがりとし退却戦をはじめます。
そして、慕容垂の追撃戦がはじまります。
五胡十六国時代を含む、魏晋南北朝時代のおおまかな流れはこちら
五胡十六国時代を描いた小説。前燕の慕容垂、慕容徳、慕容評も出てくるぞ↓↓
慕容垂の華麗なる追撃戦。桓温との読み合いを制す。
さて、桓温は前述、東燕から倉垣に進み、随時井戸を掘り飲料水を確保しながら進みます。
これは、桓温の退却路が汴水沿いであったことで、汴水が北から南に向けて流れていることから、北から毒を流されたらひとたまりもないと考えたからです。
あんなこんなしながら、桓温は七百里(280キロ程度)を陸路で退却していきます。
東晋軍が退却していくのを見て、前燕軍の諸将はここぞとばかりに追撃をかけようとします。
しかし、ここで慕容垂が名将であることを証明する用兵をみせます。
慕容垂曰く、
「すぐに攻撃を仕掛けたらいかぬ。桓温は我軍の追撃を恐れ、必ずや備えを厳重にしているであろう。精鋭を選びしんがりにし、我らの追撃軍に対抗するだろう。これに攻撃をしかけても十分な戦果を挙げることはできぬ。そこで、我らは退却する晋軍をゆるりと追っていくのだ。桓温は我軍がなかなか追いついて来ないと知ったら、必ずや夜の闇に紛れ全力で軍を退却させるであろう。そうすれば、晋軍は疲れ果て気力も衰えるはずだ。そのような状態になったときに我軍は総攻撃を仕掛けるのだ。これで勝利は間違いないぞ。」
圧倒的に有利な追撃戦ですが、相手が桓温ではまちがいなく備えをしていると読んだ慕容垂は、最大限の戦果を一戦で挙げるために、あえて東晋軍にすぐに攻撃を仕掛けない方法を選びます。
名将どうしの読み合いが、この追撃戦(桓温から見れば退却戦)で起こりますが、読み勝ったのは、慕容垂でした。
前燕軍、襄邑の地で東晋軍を多いに破る
慕容垂は8千騎でゆっくりと付かず離れず東晋軍のあとを追っていきます。
桓温は前燕軍がすぐに追いついて来ないことを確認して、退却を急ぎます。
数日その状況が続いたあと、慕容垂は諸将に告げます。
「今こそ桓温を討つべし!!」
ここから、慕容垂は東晋軍を急追し、襄邑の地で追いつきます。
ここで慕容垂は慕容徳に精鋭の騎兵4千を率いさせ先行させ襄邑の東の谷に伏せさせます。
そして慕容垂の本隊と挟撃します。
東晋軍は慕容垂の狙い通りに、強行軍で退却してきた疲れで思うように動けなかったのでしょう。精強たる慕容の主力軍に大破され、3万の首級を取られたとあります。
まさに壊滅状態ですが、東晋軍の悲劇はこれだけではありません。
王猛の魔の手。援軍の前秦軍により東晋軍さらにボコボコにされる
3万の兵を失い、息も絶え絶えの東晋軍でしたが、そこに前燕軍の援軍のために前秦から派遣された苟池と鄧羌の軍が譙の地で襲いかかります。
この襲撃により、死に体状態であった東晋軍はさらに1万の兵を討たれてしまいます。
前燕軍との戦いに加え合計4万の兵が討ち取られるという状況で、出陣時は5万でしたので、全兵力の8割が戦士するという文字通り壊滅といってよい大敗北を喫してしまいます。
逆に前燕軍にとっては、桓温という時代を代表する大物を大逆転で破るという勝利であり亡国の危機を切り抜けた戦いでした。これにより慕容垂の名声は多いに高まります。
また前秦軍は、前燕軍が桓温の進撃によりダメージを受けると同時に、東晋軍も大敗北により壊滅するという、まさに漁夫の利状態になります。おそらくは王猛の狙い通りの展開でしょう。
枋頭の戦いの戦後
さて、「枋頭の戦い」は前燕軍の勝利で決着します。
戦いの途中に前燕から東晋に寝返った孫元は、武陽の地で前燕に抵抗しますが、前燕の左衛将軍・孟高の攻撃を受け捕らわれてしまいます。
東晋の戦後
桓温は、兵を収容しながら山陽の地まで退きそこで駐屯します。
桓温は敗戦を多いに恥じます。
そして切腹でも申し出るかと思いきや、なんと敗戦の全責任を袁真に押し付けてしまいます。
まじか桓温?と思いましたが、責任を押し付けられた袁真も激怒します。
そして寿春で東晋に反旗を翻し、前燕に降伏し、前秦にも使者を送ります。
確かに袁真が石門を開き糧道が断たれなかったら多少戦況は変わったのかもしれませんが、それで桓温の名声を高めるために起こした戦争の全責任を取らされるのはやはり袁真としたらたまったものではありません。
桓温社長の大司馬府株式会社のブラックぶりは高まるばかりです。
そして第三次北伐の失敗により、名声が地に落ちてしまった桓温社長は、焦りも加わり、このあと親会社(東晋)の乗っ取りを性急に進めていきます。
前燕の戦後
未曾有の国難を慕容垂のほとばしる将才により乗り切った前燕ですが、この国でもいろいろ起こります。
勝利の立役者慕容垂は、その名声が高まることに危機感をもった、猜疑心マスター慕容評と、典型的な女媧・可足渾氏に妬まれ粛清されそうになってしまいます。
これを知った稀代の名将・慕容垂は前秦に亡命してしまいます。
そして、このあとこのブログでも書いていく予定ですが、未曾有の国難が去った次の年に、再度の未曾有の国難が襲います。前秦が侵攻してきて、国難どころか国が滅びます。つい最近まで中原の主要部分を押さえてた大国で、未曾有の国難を回避し普通だったらここから廬山昇龍覇ごとく上り調子だろうよと思うのですが、瞬時に滅亡してしまいます。これが乱世なのか、五胡十六国時代がおかしいのか、まあびっくりです。
前秦の戦後
前述、前燕のところでも書いてますが、この「枋頭の戦い」で大きな利益を得たのは苻堅様と王猛の前秦でした。
前燕は首都近くまで攻め込まれダメージを受け、東晋も桓温の主力が壊滅し、その後の政争などで動きづらくなります。
前秦は、東と南の大国たちが国力を削りあってしまうとともに、桓温を破り当代一の名将の地位を手に入れつつあった慕容垂がただで手に入るというウハウハ具合です。
しかも慕容評&可足渾氏コンビで前燕が乱れつつあったので、次の年には前燕討伐の軍をお越します。
まさに時代が前秦のために動いたようです。
桓温と慕容垂の二人の名将が戦った「枋頭の戦い」の戦いはこれで終了になります。
そして、前燕の滅亡に。しかし慕容魂は死なず。
次回からは、前秦による前燕攻撃と前燕の滅亡のことを書いていこうと思います。
前燕は滅びてしまいますが、不屈の慕容魂は死なずです。
五胡十六国時代のターニングポイントとなる「淝水の戦い」の後、五胡十六国時代の後半で、慕容垂をはじめ、慕容の男たちはいくつかの国を建国します。
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【参考文献】
三崎良章『五胡十六国、中国史上の民族大移動』【新訂版】(東方書店、2012年10月)
川勝義雄『魏晋南北朝(講談社学術文庫)』(講談社、2003年5月)
『晋書』『資治通鑑』
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コメント
この時代も面白いですね。
慕容の主人公勢感がすごい。
コメントありがとうございます。
4世紀は慕容の世紀といっていいくらい、慕容部が活躍します。
慕容部から魅力的な人物がたくさん出てきますね(^^)