好きな戦国武将・大名を挙げてみる 四国・九州

歴史

好きな戦国武将、調べたい戦国武将の四国・九州編

四国

香宗我部親泰

昔、信長の野望をやっているときに、長宗我部家に長宗我部と同じような名字で優秀な武将がいるなあと思っていたのが、香宗我部親泰でした。長宗我部元親の弟になり、香宗我部家に養子に入ったそうです。兄を助けて相当活躍するのですが、どんな活躍をしたかを調べたいです。

 

九州

立花道雪

「雷の化身」との異名を取った、大友家最高の猛将です。沈みゆく大友家を支え続けました。若い頃雷に打たれ下半身が付随になりますが、その卓抜した戦術で輿に載って軍を指揮しました。

 

高橋紹運

立花道雪と並ぶ、大友家の名将です。九州制覇を目指した島津に攻められた岩屋城の戦いで、800の兵で5万の島津軍に立ち向かい、壮絶な戦いを繰り広げた上、自刃して果てます。

 

立花宗茂

高橋紹運の実子であり、その後、立花道雪に甥になります。二人の父親同様、宗茂も武勇に優れた名将でした。島津家の侵攻に立花城に立てこもり奮戦し、引き上げる島津家に攻め込み大戦果をあげます。秀吉から「鎮西一」の評価を受けました。秀吉の朝鮮出兵でも活躍し、関ヶ原の戦いでも西軍に属し大津城を落とすなどしますが、西軍敗退後、本拠の柳川に戻ります。その後、一旦改易になりますが、20年後大名として復活するという珍しい履歴をもつ人物です。

 

鍋島直茂

龍造寺家の名将。龍造寺隆信を助け、文武両方で活躍します。沖田畷の戦いで龍造寺隆信が戦死すると、執政として龍造寺家を支え続けますが、龍造寺家の跡取りがいなくなると、鍋島家が肥前の国を引き継ぎ大名として江戸時代まで続きます。

 

龍造寺四天王と呼ばれる武将がおりますが、その活躍も調べたいです。

 

島津家久

島津貴久の四男。兄たちと一緒に九州制覇に活躍します。兄弟のなかでも一の戦上手で、天才的な軍略家だったようです。沖田畷の戦いや、戸次川の戦いでは、その戦術で龍造寺軍、豊臣軍を打ち破っています。

島津四兄弟は、家久以外も全員魅力的ですので、今後調べたいです。

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