三國志で好きな武将 伊籍

歴史
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三國志で好きな武将、蜀の人材では伊籍がいます。けっこう地味な武将で、正史「三國志」の蜀書に伝が載ってますが、5行しか掲載されておりません。しかし、ゲームなどでは政治か知力が80以上あって、使い勝手がよい武将です。そして、私が伊籍に好印象をもっているのは、おそらく横山光輝三国志で劉表の元に身をよせた劉備が劉表の死後、蔡瑁をはじめとする反劉備派に命を狙われたときに、何度となく事前に知らせて、劉備の危機を救ったという場面が刷り込まれているからでしょう。横山光輝三国志の元になった三國志演義では的盧が凶馬であることを劉備に知らせたり、宴会途中で狙われた劉備の脱出の手配をしたり、荊州時代の劉備を何回も助けています。私は当時、あのモミアゲから顎につながった髭面にどれだけ感謝したことでしょう。

 

その伊籍について少し書きます。

伊籍、字は機伯。山陽の人なり。

どうやら、劉表と出身が同じで、その縁で劉表に仕えることになったようです。劉備が荊州を治めていた劉表の元に身を寄せたときに、よく劉備の元を訪ねていってたようです。

劉表が死んだあと、劉備に着いていって、最終的に益州まで一緒に行きます。そして左将軍従事中郎になります。これは、劉備の駆け出し時代からの臣、簡雍や孫乾に次ぐ待遇でした。劉備の伊籍に対する信頼のほどが知れます。

伊籍が呉の孫権のところに使者として派遣されたとき、伊籍の弁舌の才能を聞いていた孫権が、わざと弁をもって対抗しようとし、伊籍に向かい言いました。「無道の君(劉備)に仕えるのは骨が折れることではないのか?」それを聞いた伊籍の言葉はこうです。「このように1回拝礼して起き上がるだけのこと、骨が折れることはありません。」これを聞いた孫権はその機知に感心したそうです。伊籍の機転がきくことは諸事このようであっとといいます。

伊籍は劉備が益州を制圧したあともその政治力を発揮し、諸葛亮、法正、劉巴、李厳らと一緒に、蜀科という法律を作りました。

このような漫画などに出てこない活躍も調べると出てきて、おもしろいです。

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