城を巡る(関東編) 滝山城 関東屈指の土の巨大城郭

戦国時代

こんにちは。

久しぶりに日本の城のことを書きます。

昨年(2021年)末に久しぶりに城攻めをした滝山城を忘れないうちに書いておきます。

新型コロナ以降、城巡りができていませんでしたが、たまたま仕事で行ったところの近くに滝山城がありましたので、急遽(本当は計画的に)城攻めを実施しました。

滝山城

滝山城は、東京都八王子市にあります。

駅がある中心街からは離れていて、バスなどの交通機関を使っていくようになります。

八王子駅からみると、北の方角にあり、多摩川に沿って北西から北東に横たわる丘陵(加住丘陵)を利用して作られています。(見た感じは小さめの山です。)

多摩川と滝山城を挟んで逆にある谷には滝山街道が走っています。

城の入り口に置いてある『滝山城城攻めマップ』によると、

大永元年(1521年)に大石定重によって築城され、大石の養子になった北条氏照によって拡張・改修されたとされてきたが、近年の研究では、北条氏照は由井領を支配していた大石綱周の養子になり浄福寺城(由井城)に居住したあと、永禄10年(1567年)までに滝山城を築城して移転した

というようなことが書いてあります。滝山城は北条氏照の居城でした。

当時の北条氏の北に対する防衛として機能した城だそうです。(北関東から攻めてくる上杉謙信対策か)

また、滝山城は永禄12年(1569年)に上野から進行してきた武田信玄の攻撃を受けています。武田軍は城下に火をかけて二の丸まで攻め込んだと伝えれています。

その後、北条氏にとって西の甲斐方面に対する防御が重要視され、八王子城が築城され天正15年(1587年)ころまでには北条氏照は八王子城に移転しました。

滝山城は天守閣や石垣などない土の城ですが、土の城としては関東でも屈指の巨大城郭で、遺構もたくさん残り(土塁や堀などが見た目ではっきりとわかる)、非常に城攻めしがいのある城です。

城の構造

滝山城は、加住丘陵の複雑な地形を利用して、丘陵に多くの曲輪や土塁・堀が作られています。

とくに、城巡りのメインルート(実際の城攻めのメインルートでもある?)は大手口から本丸に至るルートに沿って、小宮曲輪、三の丸、千畳敷が配されて、その先に、二の丸があり、二の丸を超えたあと、中の丸本丸と続きます。

『滝山城城攻めマップ』の図

入口から二の丸まで

入口にあたる大手口から滝山城内に入ると、まずけっこう急な坂を登ることになります。この坂を登るときも道に沿った土塁や堀の遺構がよくわかります。

大手口、滝山城に登る道

坂を登りきると、そのあとのルートは基本平坦な感じで続きます。その平坦なルートの左右に小高い曲輪(三の丸や千畳敷)が設置されており、低い位置にあるルートを進む敵兵を曲輪から攻撃できる作りになっているようです。

 

千畳敷

そのままルートを進んでいくと二の丸が見えてきます。

二の丸防衛線

そして、滝山城の最も重要な防衛ラインはこの二の丸に設定されていました。

進んで来たルート(南から)や丘陵の尾根ラインにあたる東側から攻めた場合、この二の丸にぶち当たり、この二の丸を制さないと先にある中の丸、本丸に進めないような作りになっています。

二の丸には、3つの馬出しが侵攻されて来るルートすべてに配されており、強力な防御力を備えていました。

この二の丸を囲む通路を歩くと、大きな堀や馬出しの遺構が見れておもしろいです。

中の丸

二の丸エリアを過ぎると、中の丸、本丸がある城の中枢部に到達します。

中の丸に登る道

中の丸は、登るとかなり広い広場になっており、トイレなども設置されています。二の丸の北東は多摩川へ向かい崖になっており、拝島方面が一望でき大変見晴らしがよいです。

中の丸の広場

中の丸からの多摩川方面の景色

崖といいましたが、正確に言うと何段にも曲輪が設けられている作りになっています。

本丸

中の丸からそのまま木橋を渡ると本丸に入ることができます。木橋を渡ることからもわかるように、中の丸と本丸の間はかなり深い堀切になっています。今はその堀切は通路になっており歩くことができます。

中の丸と本丸の間の堀切から見た木橋

二の丸から木橋を渡った本丸の入口は、はっきりとわかる枡形虎口になっており、川原石を敷き詰めた通路が発掘されています。

中の丸と本丸をつなぐ木橋

中の丸から本丸に渡る木橋を渡ったところにある本丸の桝形虎口

本丸も中の丸ほどでないにしろ広いスペースになっています。本丸内は2段になっており、上に登ると神社があります。

本丸

ここからも北東の多摩川方面の景色を見ることができます。

また、中の丸と同じく、多摩川に向けて崖っぽくなっていますが、多摩川方面からの進入路はあるらしく、侵入してきた敵を出丸と本丸で挟み撃ちにできる作りになっていました。

進入路があるといっても、本丸上から見た感じだと、城の北東方面は多摩川に向かってかなり急な勾配になっており、大手口から進んで来たルートにくらべると、自然地形的に攻めにくいのではないかと思われます。この場所に本丸があることと、逆方面の大手口からのルートには多くの曲輪を設け防御しているという城の縄張りの狙いがわかります。

土の城は素晴らしい

今回、けっこう時間をかけて城巡りしましたが、滝山城のすべてを回ることはできませんでした。

本丸からみて、北西にある山の神曲輪などは、かなり歩かないと到達できないので行くのを断念しました。それだけ巨大な城が、かなりの遺構を残して存在しているのは凄いことだと思います。

土の城は、一見わかりづらいですが、地図と見比べながら巡っていき、遺構を位置や形を理解して歩いていくと、めちゃくちゃおもしろいということが再確認できた城攻めでした。

 

解説がわかりやすかったです。
滝山城の復元イラストも掲載されている
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