石勒 五胡十六国時代の黒き英雄王 第三部「石勒の河北争奪戦」⑥ 314年 石勒、王浚を倒す

石勒

こんにちは。

石勒は、王浚からの使者へ自分の勢力がたいして振るっていなさそうな様子をわざと見せ、みずからは王浚尊敬万々歳であることを猛アピールします。

これにより王浚からの使者をだまし、さらに王浚を油断させることに成功します。

また、王浚の元に使者として行っていた王子春に王浚の現状を聞き、勝算ありと判断します。

しかし、王浚を攻めたときの、背後の劉琨などの動きが気になり、なかなか出陣の覚悟が決まりませんでした。

しかしここは、黄金パターンの軍師の張賓の分析、献策、激励をもらい、王浚攻めの決断を下します。

この王浚攻めは、今までの仕込み(王浚リスペクトアピール)が見事にはまり、石勒の思うままにことが進んでいきます。

 

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石勒出陣

314年2月、石勒は夜半襄国を出陣し、柏人まで到達します。

柏人は襄国から北に進み、冀州の趙国(西晋期の行政区画)に入ったところにあります。

石勒はここで游綸を処断します。游綸は少し前に石勒に帰順していましたが、兄の游統が王浚配下で范陽に駐屯していました。石勒にここから情報が漏れることを恐れられ、あわれ血祭りにあげられました。

このタイミングで、先の張賓の献策に従い、劉琨に書を送り、今までの自分の罪を侘び、その清算も兼ね晋朝をないがしろにする王浚討伐に全力を尽くすことを誓います。(大嘘です)

劉琨は石勒からのこの申し出に大喜びで信じ込み(いい人なのかな?)、マブダチの拓跋猗盧と組んで石勒討伐計画を、南の漢攻撃に切り替えます。

こうして、石勒の懸念だった「後門の劉琨」問題は解消されます。

石勒、薊へ入城する

3月、石勒易水まで達します。

あくまで、表向きは「王浚様を奉戴するため」に薊に赴く体です。

王浚配下の孫緯は、「これ怪しいでしょ」、と王浚に警戒するよう使者を送ります。

また、手勢で石勒を止めようとしますが、游統によって邪魔されます。

游統は前述の疑われて処断された游綸の兄ですが、游統自身はなんとか石勒に寝返りたかったようです。(以前、石勒に寝返ろうとしたところを、石勒に利用され、王浚にチクられたりしています。)

游綸、死に損なんじゃないかと思いました。

さて、に近づいてくる石勒の軍をみて、王浚の配下たちは、

「あの胡族は信頼するに値しません。必ずやはかりごとがあります。攻撃すべきです。」

と訴えます。

しかしもはや盲目的石勒ファンになっていた王浚はこれに怒り、

「石公(石勒)が来たのは、わしを奉戴するためである。石公を撃つなど言うものは斬る!」

と宣言します。

これにより、これ以上王浚に諫言するものはいませんでした。

王浚を捕らえる

王浚は酒宴の準備をして、石勒を待ちます。

石勒は早朝ついにに着きます。

そして門番をどやしつけ開門させます。(「王浚様から呼ばれてきた。早く開けんか」などと言ったのでしょうか。」

石勒は、念の為伏兵がいないかを確認するため牛や羊を先に入城させ駆けさせます。

牛や羊を捧げて礼をつくすというような言い訳をして、実は牛と羊で薊城内の道を封鎖し敵の抵抗を防ぐという(高度な?)計略です。

この状況になり、王浚ははじめてこれやばいのではないかと思い、座ったり立ったり落ち着かなくなります。

このとき石勒はすでに薊に入城しており、兵に略奪を許します。(許しちゃうの??)

王浚の左右の臣は防戦することを求めますが、王浚はなぜかここに至ってもそれを許しません。(どれだけ石勒の「へりくだり信頼ゲット作戦」が効いているのかと思ってしまいます。)

石勒は薊の宮殿内の政治堂まで入ってきます。

ここで王浚はようやく宮殿を脱出しようとしますが、石勒の手のものに捕獲されます。

王浚は石勒の前に引き出され、ここで石勒を罵ります。

「胡族の奴隷ごときが、わしをはかるとは。なぜこのような凶逆をしようとするのか?!」

石勒は答えます。

「公(王浚)の位はもともと高い地位にあり、強兵をその手に握っていたにもかかわらず、本朝(晋朝)が傾いているときに座して見るだけであり、決して救おうをしなかった。それどころか自ら天子を称しようとするとは、これこそ凶逆ではないか。

さらに貪官汚吏を信任し、百姓へ残虐なふるまいをさせ、されに賊どもが善良な民に損害を与え、燕土(薊がある幽州一帯)はすべて毒に覆われてしまった。これらのことは誰の罪であるか!(お前だよ、お前!)」

ぐうの音も出ない石勒の詰め方です。

石勒は、王洛生に命じ500騎で王浚を襄国に連行します。途中王浚は水に飛び込み自殺しようとしますが、すぐに引き上げられます。

そして、襄国の市で処刑されます。

これにより石勒は、晋の臣でありながら幽州で軍閥的な割拠をしていた王浚を倒すことに成功します。石勒勢力の東北の大きなコブを取り除くことができました。

石勒のへりくだり戦術

思えば、この数年、石勒の前には、王弥と王浚というクセの強い強敵が立ちはだかっていましたが、この強敵を、石勒を武力ではなく、謀略で打倒してしまいます。

王弥は「信頼させての飲みニケーション」で打倒、王浚は「信頼させての奉戴ケーション」で打倒という、とにかく下手に出て信頼させてだまし討ちという、もはや芸術の域に達したかと思われるほどの華麗なだまし討ちです。

張賓の作戦立案が凄いのもありますが、一癖も二癖もある人物たちを簡単に信じ込ますという変なカリスマみたいなものが石勒に備わっていたのでしょう。

石勒の戦後処理

さて、王浚を処刑した石勒で戦後処理をします。(とは言っても、軍同士の戦いは発生しませんでしたが)

石勒はまず王浚麾下の精鋭の兵1万を処刑します。ひどいですね。

これにより、王浚の将軍、補佐官たちは争って石勒のところへ来て謝罪をはじめます。許してもらうために賄賂がとびかったりしました。

そんな中、裴憲荀綽の二人は石勒の元にやって来なかったので、石勒は二人を呼び寄せ詰問します。

これに対して、二人は毅然とした態度で接したので、石勒から認められ礼をもって迎えられます。

さて、石勒は、王浚配下の朱碩棘嵩が賄賂政治を行い政治を乱し、幽州全体の患いになっていたことと、游統の不忠行為を責めて、この3人を斬首にします。

游統は、不忠行為を石勒に利用された上に斬首とかカワイソス

石勒が王浚の部下や親戚の家を調べると、皆家に巨万の富を蓄えておりました。一方、裴憲と荀綽の家には百餘袟の書物と,塩と米がそれぞれ十斛ちょっとあるだけでした。

これを聞いた石勒は、

「わしは幽州を得たことはたいして嬉しくないが、二子(裴憲と荀綽)を得たことは喜ぶべきことである。」

と言いました。

そして、裴憲を從事中郎に任命し、荀綽を參軍に任命しました。

そのあと、戦乱で発生した流民をそれぞれ故郷に還します。

石勒は薊に2日とどまり、王浚の宮殿を焼き、もとの尚書・劉翰を幽州刺史に任命し薊を駐屯させて、襄国に兵を引きます。

王浚の旧将・孫緯はこれを迎撃しようとしますが、石勒はこの攻撃をうまくかわし襄国に戻りました。

石勒は襄国に戻ると、すでに処断していた王浚の首を名目上は親会社のに送ります。

王浚討伐の功績により、漢は大都督、督陝東諸軍事、驃騎大將軍、東單于、を石勒に授け、12郡を增封します。

しかし石勒は固辞し、2郡のみ受け取ることにしました。

劉琨びっくり

さて、石勒の後門に位置する劉琨は、石勒からの申し出を信じて、拓跋猗盧に兵のレンタルを頼み、を攻めようとしました。しかし拓跋猗盧の部衆の雑胡1万家以上が石勒に内応します。拓跋猗盧はこの雑胡をことごとく誅殺しましたが、おかげで劉琨との約定を果たせませんでした。劉琨は石勒の自分への降伏が偽りであることを知り、びっくり仰天です。

「東北の八州うち七州は石勒のものになってしまいました。朝廷からこのエリアに任命されたものは私一人になってしまいました。石勒は襄国をところとし、私とは太行山脈を隔てるのみです。朝出たら夕方にはついてしまう距離です。城や砦にいるものたちは驚き恐れ、忠誠や義憤があるとは言っても、もはや決定的に力不足ですぅ。」

と、朝廷に上表します。

かなり弱気になっていますね。

薊の劉翰が離反する

さて、王浚を倒し、幽州を手に入れたと思われた石勒ですが、こちらもスムーズには行きません。

薊で幽州刺史に任命していた劉翰が石勒に従うのを嫌になり、段部・段匹磾に帰順してしまい、段匹磾が薊城を手に入れてしまいます。

また、王浚配下の邵續は王浚が破れたあと、石勒についていましたが、段匹磾の勧めに従い江南の司馬睿に帰順してしまいます。

このとき、邵續の息子の邵乂は石勒に仕えており、周囲は「今石勒から離反すると息子さんは殺されてしまいますよ。」と言いますが、

この頭ガチガチバカ親父は、「どうして子供のことで、叛臣になることができようか」と泣きながら言い石勒から離反し、息子の邵乂は処刑されてしまいます。

石勒もなかなかうまく行きません。

さらにこのあと、本拠地襄国が飢饉に見舞われるなど、王浚を倒したと行っても順風満帆とはいってない状況です。

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【参考文献】
三崎良章『五胡十六国、中国史上の民族大移動』【新訂版】(東方書店、2012年10月)

川勝義雄『魏晋南北朝(講談社学術文庫)』(講談社、2003年5月)
『晋書』『資治通鑑』


五胡十六国: 中国史上の民族大移動〔新訂版〕(東方選書43)


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