中国史上最大級の戦乱の時代、五胡十六国時代。前燕の名将・名臣を挙げてみる① 慕容廆の時代

中国史

こんにちは。

前燕について書いていくと、伸びている国には多くの名将・名臣が出てくるのだとあらためて思います。

前燕が遼東・遼西を統一して、中原を伺おうかという時期までに出てきた名将・名臣たちをまとめてみたいと思います。

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五胡十六国時代を含む、魏晋南北朝時代のおおまかな流れはこちら

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慕容廆の時代

慕容皝 慕容翰

慕容廆の時代、息子たちは武将として各地の戦いで活躍します。兄弟の中でもとくに、この二人の活躍は飛び抜けていたでしょう。

慕容皝は、慕容廆の嫡子で、慕容廆死後はその跡を継ぎ、慕容部の指導者になりますが、慕容廆時代にも武将として多くの戦いでその武才を発揮します。高句麗、宇文部、段部の三国連合軍が慕容部へ攻め込んだときも、兄の慕容翰とともに精鋭を率いて活躍します。

また、後趙の石勒が宇文乞得龜を派兵したときも、慕容廆は慕容皝に軍を率いさせ防がせます。

慕容翰は、慕容廆の長男で慕容皝の兄になりますが、庶子だったので、跡継ぎにはなりませんでした。しかし、この慕容翰は、弓などを得意とし、筋力にも優れるなど武人として卓越した人物でした。慕容廆時代にも重要な戦いで活躍しますが、慕容廆死後、慕容皝が跡を継ぐと、その才能ゆえに疑われ、段部に亡命します。その後、段部から宇文部に亡命しますが、その後、慕容部に復帰します。

慕容部復帰後もその武力で燕と名乗ったあとの慕容部の戦いの主力を努めます。高句麗侵攻、宇文部、夫余を滅ぼす戦いでも先鋒としてその力をみせつけました。

慕容翰は、その後慕容皝から再び疑われ最後は自害してしまいます。慕容部のために多くの戦いで活躍し、戦功を挙げた人物の悲しい最後でした。

裴嶷

慕容廆の時代に、参謀や、一軍の将として活躍、また東晋への使者としても派遣されるなど外交の才も見せます。

【参考文献】
三崎良章『五胡十六国、中国史上の民族大移動』【新訂版】(東方書店、2012年10月)
川勝義雄『魏晋南北朝(講談社学術文庫)』(講談社、2003年5月)
『晋書』

  

 


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