五胡十六国時代の覇権国家、後趙を描く④ 後趙の滅亡

歴史

石勒死後の後継争い

石勒が331年7月に病死したあと、息子の石弘が即位します。しかし、石弘は生来おとなしい性格であったらしく、石勒の華北制覇に大きく貢献した石虎に頭が上がりませんでした。石虎は自身の軍事力をベースに石弘を廃立し、334年11月に居摂趙天王の地位に就き実権を握ります。そして335年9月には自身の本拠である鄴に遷都し、337年に大趙天王に即位しました。

このように、建国者の初代が死んだあとの後継でもめるということが、後趙でも起こります。

それでも石虎統治前半はその国家体制の整備や拡大路線のせいもあり、国力がすぐ衰えるということありませんでした。

後趙華北統一時

石虎の各方面への攻撃

後趙の東北方面には、鮮卑が勢力を伸ばしてきておりました。遼東半島から北京付近、さらに山西北部が段部、そらにその東北方面、瀋陽から朝陽に鮮卑慕容部の勢力、そのさらに北に宇文部の勢力がありました。

慕容部と段部が対立をし、段部は宇文部と高句麗と手を組んだので、慕容部は後趙の石虎に援助を求めました。

石虎は、慕容部の要請に応え、338年12月に段部を攻撃し滅ぼし、その領域を制服します。そして慕容部が建てた前燕と国境を接します。石虎は今度は前燕に攻め込みますが慕容皝の前に敗退し、340年9月に逆に前燕に攻め込まれ、段部のいた地域は前燕に奪われてしまいました。これにより前燕の勢力が増し、のちの中原進出につながるのですが、それはまたこんど書きたいと思います。

西方では、343年と347年に前涼を攻撃しますがこれも失敗します。

南方では、淮水を何度か超えて、東晋に攻め込みましたが、成功しませんでした。

石虎の暴政

このような石虎の外征は、ことごとく失敗してしまいます。

さらに、石虎は内政においても暴政を行い、プライベートの部分でもその残虐性を出します。

●鄴に壮大な宮殿や庭園をつくり、豪奢な生活を送った。
●狩猟を楽しむとき、文武官を人垣の囲いにして、獲物がその囲いから逃げた場所にいた人間を罰した。
●家臣の家にいってその妻をおかした。
●宮中の美女に化粧をさせ、その首を斬り盤上におき眺め、牛や羊と一緒に煮て食べた。
●陵墓をあばいた。

言い伝えの中に話が多分に盛られている部分はあると思いますが、まったくのデタラメではないでしょう。

このような状況で後趙は国力を落としていき、さらに石虎の後継を巡ってまたもや争いがおき、後趙は滅亡の道を進んでいきます。

後継争いと石虎死後の混乱と滅亡

後趙の滅亡への道を箇条書きで書きたいと思います。

①まず石虎の太子石宣と、弟石韜が対立します。太子は石宣でしたが、石虎は石韜を溺愛していました。
②348年4月自分の皇太子としての地位に危機感をもった石宣が石韜を殺します。これに激怒した石虎が石宣を処刑して、石世が新しく皇太子となります。
③石虎が病に倒れますが、349年皇帝に即位して、息子の石遵や石斌、将軍の張豺らに石世をたくします。
④しかし張豺は石斌を軟禁し、石虎が危篤に陥るとこれを殺害し、石世を皇帝に即位させます。
⑤石遵は河内(河南省)に逃れ、反乱鎮圧で当地にいた軍に擁立され、鄴に攻め込み、石世を廃し、自分が皇帝に即位しました。
⑥石遵のクーデターで活躍した武将に石虎の養孫の石閔がいます。しかし石遵は彼を排除しようとします。
⑦石閔は司空の李農と組んで、石遵を逆に倒し、石鑑を即位させます。
⑧石鑑は石閔と李農の傀儡でありますので、彼らを倒そうとしますが、失敗します。
⑨今度は襄国にいた、石鑑の弟、石祗が石閔と李農を排除しようとし、挙兵します。これにより後趙は大混乱に陥ります。
⑩石祗の挙兵を知った石閔は鄴の漢族に呼びかけ、20万人の五胡を虐殺します。
⑪石鑑は石閔に殺され、それを知った石祗は譲国で即位します。その前に石閔は鄴で即位していましたので、後趙は分裂してしまいます。
⑫石祗は351年4月に部下に殺され、後趙は滅亡します。

2年間で4人の皇帝が廃立されるという大混乱の中での滅亡でした。

また、後趙から独立して魏(冉魏という)の国を建てた石閔(元の名の冉閔と名乗る)も建国後まもなく前燕に攻め込まれ滅亡します。

後趙は石勒のもと、華北を統一し、漢人を登用するなどの民族の融合を図った上で、八王の乱以後混乱した華北に久しぶりに安定をもたらしました。移住政策などで農業生産も回復するなどしていましたが、結局は石勒の死後の豪華な都城や宮殿の建築で経済が疲弊し、帝室内の対立、五胡と漢族の民族紛争などであえなく滅亡してしまいます。石勒という一大の英雄が建国した国も彼の死後は、前趙や、これ以後の五胡十六国の各国と変わらない運命をたどってしまいました。

後趙の滅亡により、華北は再び混乱と戦乱の渦のなかに巻き込まれていきます。

その中で台頭してきたのが、東北方面の鮮卑の前燕と、西方面の氐の前秦でした。

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【参考文献】
三崎良章『五胡十六国、中国史上の民族大移動』【新訂版】(東方書店、2012年10月)
川勝義雄『魏晋南北朝(講談社学術文庫)』(講談社、2003年5月)
『晋書』

  

 


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