五胡十六国時代のきっかけとなった八王の乱について③ ~乱の激化~

中国史

西晋王朝を滅亡へ導く、「八王の乱」その激化していく流れを書きます。

まずは、八王一覧をもう一度書いておきます。

八王一覧

①楚王・瑋(恵帝の弟)
②汝南王・亮(司馬懿の子ども、司馬師・司馬昭の弟)
③趙王・倫(司馬懿の子ども、司馬師・司馬昭の弟)
④成都王・穎【えい】(恵帝の弟)
⑤斉王・冏【けい】(司馬昭の孫、恵帝の従兄弟)
⑥河間王・顒【ぐう】(司馬懿の甥の息子)
⑦長沙王・乂【がい】(恵帝の弟)
⑧東海王・越【えつ】(司馬懿の弟の息子)

※「◯◯王」と地名がついているが、鎭している場所はその地名の場所ではない。

趙王・倫の野望

①楚王・瑋を利用して、自分の権力を脅かすであろう楊駿、②汝南王・亮、衛瓘などを次々と葬り去り、①楚王・瑋さえも処刑した皇后賈氏ですが、この暴挙をみかねた③趙王・倫が挙兵し、宮中に攻め込み、恵帝を幽閉したのち、賈氏をとらえて殺します。③趙王・倫は司馬師・司馬昭の弟にあたりますので恵帝かみると祖父の世代であり、一族の長老になります。その③趙王・倫が賈氏を処断するまでは世直し的な意味もあったかも知れません。しかしこの③趙王・倫は、そのあと、大臣たちも大虐殺してしまいます。そして、いざ権力を握ると欲が出てきて、恵帝を太上皇に祭り上げて、自分が皇帝に位についてしまいました。

乱の激化

しかし、この状況をみた司馬一族のものは、一斉に反発します。

④成都王・穎【えい】、⑤斉王・冏【けい】、⑥河間王・顒【ぐう】が兵を起こし、連合して③趙王・倫を攻め、趙王を殺し、恵帝を復位させました。

この三王もこの時点では義挙と呼ばれてもよい、行動だったかもしれませんが、このあとがいけません。

この連合を主導したのが、⑤斉王・冏【けい】でありましたので、彼が恵帝を補佐することになります。しかし⑤斉王・冏【けい】も権力を握ると専権を極めていきます。

そしてまた諸王の反発を招き、攻め込まれ滅ぼされます。

今度、中心となって功があったのは、⑦長沙王・乂【がい】でありましたので、彼が恵帝を補佐する権利を得ます。

これで情勢が安定するかと思われますが、司馬一族の権力欲はとめどがないくらいひどいものでした。続きは次回に書きますが、いよいよ西晋王朝破滅への道を進んでいきます。

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【参考文献】
三崎良章『五胡十六国、中国史上の民族大移動』【新訂版】(東方書店、2012年10月)
川勝義雄『魏晋南北朝(講談社学術文庫)』(講談社、2003年5月)
『晋書』

  

 


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