ゆるっとふわっと中国史の流れを書いてみる① 新石器文化~夏

中国史の流れ

こんにちは。

このブログ、歴史全般を扱うつもりで書き始めましたが、中国史それも五胡十六国時代がかなりの分量をしめている今日このごろです。

もう五胡十六国時代だけでいいんじゃないかと思う日もあったりしますが、まだ一応

「歴史総合ブログ」

として続けたいと思います。

とは言っても、管理人が中国史が好きなので中国史中心のブログには今後もなるでしょう。

としたときに、ふと思ったですが、

中国史自体の流れなども書いといたほうがいいんじゃないかと思い当たりました。

自分の中でもだいたいの流れはわかっているつもりですが、もう一度自分の復習も含め中国史の流れを書いていきたいと思います。

ただ、少しでも詳しくしようとすると沼や落とし穴がいたることろに隠れていそうなので、あくまで

ゆるゆるふわふわの

「ゆるっとふわっと」

書いていきます。

ごくごく簡単に書きます

そしてその後、王朝ごとの流れも気が向いたときにぽつぽつと書きたいと思います。

 

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学生時代習ったのは、インシュウシンカンシンカンシン・・・

中国史を学生時代授業で習ったとき、王朝名を古い順に

インシュウシンカンシンカンシン・・・

と覚えませんでしたか?

これは、

殷、周、秦、漢、新、漢、晋です。

シンとカンが多いわ!

とつっこみながら覚えた気がします。

王朝の順番自体はこれで間違いないでしょうけど、あいだにいくつか●●時代(春秋やら戦国やら)が入ったりします。

中国史の流れとして、その「●●時代」も含めて書きます。

そして、イン(殷)の前にも当然のように歴史の流れがありますので、まずはそこから書いていきます。

中国文明のはじまり(新石器文化とか神話とか夏)

中国文明のはじまりとして、新石器文化があります。定義の一つとして、「文化に精巧に制作された打製石器や磨製石器が確認されている」というのがあるらしく、新石器時代の最後あたりになります。

中国の新石器文化としては、下記の2つが有名です。

仰韶文化

紀元前5000年頃から前3000年頃にかけて黄河上流・中流あたりで発展した新石器文化を仰韶文化(ぎょうしょうぶんか、ヤンシャオぶんか)と言います。幾何学文や動物文が描かれた彩陶という土器が有名です。

以前は世界四大文明の一つ「黄河文明」として習いましたが(私の中学、高校時代はそうでした)、この仰韶文化と同じ時期に長江下流域(河姆渡文化)や東北の遼河流域(紅山文化)でも新石器文化が発展しており、四大文明に黄河文明のみを取り上げるというのは古くなっているそうです。

ただ、基本大河の周辺に文明が発達したみたいですね。

黄河

竜山文化

紀元前3000年頃~前2000年頃にかけては、黄河中流・下流域で竜山文化(りゅうざんぶんか、ろんしゃんぶんか)が発展します。(長江流域などの別地域でも文化は発展している)

黒陶という土器が発見されるので黒陶文化とも言います。

このあたりから、大規模な城壁をもつ集落が作られるようになってきます。

そして、このあと「夏王朝」にあたるんじゃないかとも言われている「二里頭文化」につながっていきますが、伝説上では夏王朝の前に三皇五帝の時代があったと言われています。

伝説の三皇五帝

人間の時代ではなく、神話の時代となります。無理やり人間の歴史と結びつけると、夏王朝のできる前なので、新石器文化の頃にあてはまるのかな(証明しようがない)

三皇は、天皇・地皇・人皇(諸説あり)

伏羲、女媧、神農などを三皇にする説もあって、けっこういろんな説があります。

五帝司馬遷の「史記」五帝本紀では、

黄帝(こうてい)
顓頊(せんぎょく)
嚳(こく)
堯(ぎょう)
舜(しゅん)

とされています。

この五帝の時代は、世襲ではなく優秀な人材に跡を継がせ、優れた指導者による理想の時代とされています。

まあ、神話なんでしょうけど、新石器文化の時代にモデルとなる人物はいたのかもしれません。

夏王朝(前2100年頃~前1600年頃)

夏王朝は、長年伝説上の王朝と言われておりましたが、最近の発掘調査で実在の可能性が高くなっているようです。洛陽盆地にある二里頭遺跡は夏王朝の都であるということは、中国では公式見解になっているようです。

二里頭遺跡

二里頭遺跡

ここからが神話でなく人間界の歴史がはじまったとされ、司馬遷の史記では、上記「五帝」の最後が死んだあと、舜の時代に治水工事を成功させたが跡を継ぎ「夏」という国を建てたとされています。

中国では治水を成功させる人物は優秀な人物という考えがあるようです。そりゃああれだけでかい河川がたくさん流れているところですから、大洪水も多いでしょうし、それをうまく治めて農業生産を上げるということはよほどの傑物しか行えないことでしょう。

夏は500年ほど続きましたが、「酒池肉林」で有名な桀王のときに、人心が離れ、1600年頃、によって武力で滅ぼされ、湯が殷王朝を建てます。

このあとから、ようやく上記のインシュウシンカンの時代へとつながっていきます。

中国四千年の歴史と言いますが、単純計算で4000年前だと夏王朝がはじまったくらいになりますね。

そして、夏王朝の前、仰韶文化の頃から夏王朝はじまるまでも3000年あったりします。ほんと長い悠久の歴史ですね。

次回はインシュウシンカンに入っていきます。

 

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【参考文献】
佐川英治,杉山清彦 編著『中国と東部ユーラシアの歴史 (放送大学教材)』(放送大学教育振興会/NHK出版発売2020年03月)
岡田 英弘『中国文明の歴史 』(講談社現代新書2004年12月)



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