松陰神社前 in TOKYO

歴史

長州出身の私にとって、吉田松陰先生は郷土の大偉人であります。この「先生」という呼び名は、博多華丸・大吉に大吉「先生」に匹敵するほど親しまれております。

門下の高杉晋作の行動力が凄まじかったことは、よく知られておりますが、この松蔭先生もかなり激しい動きをした人でした。

●若いときは各地に遊学して全国の様々に人物と親交を深めました。

●友人と東北旅行を計画するが、通行手形が出発日に間に合わなかったので、出発の日の約束を守るため脱番。(当時脱藩は重罪)

●ペリーが来日すると、密航を企てペリーの旗艦ポーハタン号に乗り込むも拒否され失敗。挙句の果てに、国禁(当然大重罪)の密航を企てたことを奉行所に自己申告。

●極めつけは実家に幽閉中(松下村塾開校時期)に幕府老中暗殺計画を計画し、別件で安政の大獄に連座し投獄されたときに、幕府が聞きたかったこととはまったく関係のない、老中暗殺計画を自己申告。結果、処刑されてしまいます。

これだけでも、相当ファンキーな人物だったと思われます。

しかし逆に当時から現在に至るまで多くの人間から尊敬されているということは、彼の理論や実際の人柄、行動に移そうとする心が素晴らしかったと認識されていたのでしょう。

 

そして、東京都世田谷区には、松陰神社前という駅と、松陰神社があります。仕事でたまにこのあたりに行くことがあるのですが、基本松陰神社に参拝して帰ります。

松陰神社前駅は、東急世田谷線の駅なのですが、この東急世田谷線は、三軒茶屋と下高井戸駅を結ぶ路面電車です。東京都は思えないのんびりした空気がただよう路線です。(朝のラッシュ時はどうなるかわかりませんが)

なぜこの地に松陰神社ができたかというと、元々この地は、長州藩主の別邸がありました。吉田松陰が安政の大獄によって刑死した数年後に、高杉晋作などの門人の手によって、当初埋葬されていた小塚原の寺からこの地に改装されました。その後、1882年(明治15年)に松蔭門下の手によって、この地に神社が建設されました。

松陰神社の境内は基本静かであり、散歩するによいところです。松下村塾を復元した建物があります。広沢真臣や桂太郎の墓もここにあります。

松陰神社つながりで山口県萩市と世田谷区は友好都市提携を結んでいるようです。

今後も親交を深めていってほしいものです。

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