五胡十六国時代

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石勒 五胡十六国時代の黒き英雄王 第一部「戦乱の世に降り立つ」③ 晋への反乱の末、漢へ加入

こんにちは。 前回、石勒がデビューする時代までの中国史の流れを、後漢末から晋で八王の乱が起こる頃まで簡単に書き、石勒のデビューやその後にも関わってくる八王の乱の動きについても書きました。 八王の乱の最後の4分の1、司馬亮を倒すための三王起義...
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石勒 五胡十六国時代の黒き英雄王 第二部「漢の将軍として戦う」① 308年 漢の南方と東方への侵攻

こんにちは。 晋の天下が、八王の乱や永嘉の乱などの混乱で揺れ動き崩壊していく中、石勒も河北エリアで勃発した「公師藩の乱」に参加をしてデビューすることに成功します。 「公師藩の乱」は306年9月に晋の苟晞率いる軍に鎮圧されてしまいますが、石勒...
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石勒 五胡十六国時代の黒き英雄王 第二部「漢の将軍として戦う」② 309年 石勒、参謀・張賓をゲット!

こんにちは。 石勒は、劉淵率いる漢に帰順したあと、すぐ将軍として抜擢され、主に関東(河北エリア)の攻略をまかされ、河北の中心都市・鄴を陥落させるなど、武功を挙げていきます。 漢は、本拠地である山西エリアから南へ向けての進出を試みます。 しか...
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石勒 五胡十六国時代の黒き英雄王 第二部「漢の将軍として戦う」③ 309年 漢の洛陽攻撃

こんにちは。 309年に劉淵率いる漢は南方への進出に力を入れていきます。 南への交通に優れる平陽への遷都、黎陽など黄河北への進出、并州上党郡の壺關の攻略など、次々と南方経略を進めていきます。 また、劉淵から東方経略をまかせられていた石勒も、...
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石勒 五胡十六国時代の黒き英雄王 第二部「漢の将軍として戦う」④ 309年~310年 劉淵の死

こんにちは。 劉淵の漢は、劉聡を中心に南方方面の経略を進めていき、石勒を中心に東方方面の経略を進めていきました。 そして、南方方面では、劉聡率いる漢軍の主力が、晋の帝都・洛陽への攻撃をいよいよ開始しました。 しかし、この洛陽攻撃は第一次、第...
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石勒 五胡十六国時代の黒き英雄王 第二部「漢の将軍として戦う」⑤ 310年 第三次洛陽攻撃と石勒の迷走

こんにちは。 劉淵の漢の対晋戦争は、様々なエリアで晋軍を打ち破る戦果を挙げながらも、晋もまだまださずがの統一王朝の粘り腰を見せ、漢の洛陽攻撃を2回にわたり跳ね返すなどします。 石勒も河北エリアで晋軍と戦闘を継続しています。 このころになると...
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石勒 五胡十六国時代の黒き英雄王 第二部「漢の将軍として戦う」⑥ 311年 晋の帝都・洛陽陥落 

こんにちは。 漢は劉聡がクーデターにより即位したあとも、国家戦略である対晋戦争と洛陽攻撃を継続していきます。 310年10月には、第三次洛陽攻撃を行いますが、諸将の連携があまり取れていないようで、またしても洛陽陥落には至りませんでした。 晋...
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石勒 五胡十六国時代の黒き英雄王 第二部「漢の将軍として戦う」⑦ 311年 晋の残党の動きと、長安陥落

こんにちは。 晋は、重鎮で八王最後の生き残りの司馬越が晋国内各方面から嫌われ、挙句の果てに病死してしまいます。 その司馬越から後事を託された王衍も、直後の司馬越の葬儀を石勒に襲われ、情けない最後を見せてあっさり死亡。 晋の皇族・重臣も石勒に...
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石勒 五胡十六国時代の黒き英雄王 第二部「漢の将軍として戦う」⑧ 311年 石勒、王弥勢力を取り込む

こんにちは。 首都・洛陽陥落&皇帝拉致以降、晋は皇族や重臣が各地で行台(臨時の役所)を立ち上げ、漢に対抗をしようとしていました。 しかしそんな中、漢は関中への侵攻を行い、長安を陥落させることに成功をします。 東西の重要な都城を落とされた晋は...
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石勒 五胡十六国時代の黒き英雄王 第二部「漢の将軍として戦う」⑨ 311年 石虎の合流と、関中での晋の反撃

こんにちは。 漢が晋の首都・洛陽を落としたあと、石勒は河南~淮水周辺~江北あたりをフラフラと自分探しをしていました。 そのあたりは、晋の残党や、石勒の同僚の王弥もフラフラと存在していましたが、石勒はまず晋の苟晞を攻撃してこれを捕らえることに...