石勒 五胡十六国時代の黒き英雄王 第三部「石勒の河北争奪戦」③ 312年~313年 石勒、王浚を削っていく

石勒

こんにちは。

312年石勒襄国を本拠にし、河北経略に入っていきます。

石勒の河北での最大の敵は幽州に本拠を置く晋の王浚です。(この時点では軍閥化している)

12月に石勒と王浚の戦いは始まります。

王浚は自勢力の主攻、段部を襄国へ向けて進発させます。

石勒は苦戦しながらも、張賓の策により勝利を得て、段部NO.1猛将・段末柸を捕らえることに成功します。

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石勒、段氏と盟を結ぶ

段末柸を捕虜にした石勒は、段疾陸眷に和睦の使者を送ります。

段疾陸眷はこの申し出を受けようとしますが、文鴦が諌めます。

「今、段末柸一人のために我らは滅亡の道に向かっております。いたずらに王彭祖に怨みを買いますと、あとで禍を招きますぞ!」

しかし、段疾陸眷はこの言葉に従わずに、石勒に馬や金銀財宝を送り、段末柸の弟を身代わりの人質として送り段末柸の返還を求めます。

このとき、石勒の部下はみな段末柸を処刑することを勧めますが、石勒はこう言います。

「遼西の鮮卑が建国しようとも、もともと我らとは何も恨みや敵対する理由などはない。彼らは王浚に使われていただけだ。今人質一人殺して段部の国全体からの恨みを買っても我らには何も得はあるまい。これを返還すれば、必ずや我らに深く恩を感じるだろう。再び王浚に使われることはないだろう。」

そして、使者に金帛を与えこれに報い、石虎を派遣して段疾陸眷渚陽で同盟を結び、義兄弟の契まで結んでしまいます。

これにより段疾陸眷は兵を引き、一緒に攻めて来ていた王浚の部将・王昌は一人では何もできなくなりこれもへ退却していきました。

石勒は段末柸を呼び、一緒に飲み交わし、親子の誓いを結びます。

石勒得意の「飲みニケーション」で段末柸の心をがっつりつかみ、遼西へ帰らせます。

段末柸は帰る道すがら、毎日、南の石勒の方を向かい礼拝すること3回というほど石勒に心酔しちゃいます。

この時より、段氏は石勒側につくようになり、王浚の勢力は衰えていきます。

王浚の主攻・段氏を打ち破るだけでなく、王浚側から離反させるまでもっていった石勒は見事です。

さて、この結果を受け游綸、張豺も石勒に降伏をします。

石勒はこの機会に信都を攻めて冀州刺史・王象を殺害しますが、王浚邵舉を冀州刺史に任命し、なんとか信都を保つことに成功します。

313年、晋の懐帝、処刑される

さて、313年が明けた頃、の首都・平陽で捕らえられていたの皇帝・司馬熾(懐帝)劉聡によって処刑されます。

司馬熾は、平陽で劉聡の酒の給仕係をされていましたが。この姿に一緒に平陽に連行されていた晋の臣たちは耐えきれず号泣してしまい劉聡から憎まれてしまいます。さらにその晋臣たちが平陽を手土産に劉琨に内応しようとしていると密告するものが現れ、劉聡は2月に晋臣十数人を処刑し、ついでに司馬熾も処刑してしまいます。

屈辱を与えられた上に処刑されるというかなりかわいそうな最後を遂げてしまいます。

しかも劉聡は、司馬熾に与えていた劉夫人という女性をそのあと自分の妻の一人に加えるという鬼畜ぶりを示します。

とはいえ、これで晋の皇帝位は空席になりました。

司馬鄴、即位する

司馬熾(懐帝)死去の話を聞いた、長安で皇太子になっていた司馬鄴は、313年4月皇帝に即位します。

これが西晋として最後の皇帝・愍帝になります。

即位したと言っても、その勢力は関中のみを支配する地方政権に過ぎません。

そして司馬鄴が即位した直後、漢の皆様が即位祝いとして、関中に攻め込んで来ました。

前途多難なこと甚だしいですね。

石勒、鄴を獲得する

さて、晋の皇帝が代わっている間に、石勒石虎を派遣しを陥落させます。

張賓「いつでも落とせるのであえてスルー」作戦でやり過ごしていたのですが、このタイミングで獲得し、城主の劉演廩丘に逃げていきました。

石勒はその後冀州の上白を攻撃し李惲を斬るなど冀州方面を経略していきます。

王浚、段部を攻撃する

王浚は、再び石勒を攻撃しようとし、段疾陸眷を招集しようとしますが、前回の戦いで石勒との間の友好度が上がっていた段部たちはこの招集に応じませんでした。

これを聞いた王浚は激怒し、拓跋猗盧に賄賂を送り、また東北エリアで力をつけてきていた、鮮卑慕容部の慕容廆にも檄文を送り、一緒に段疾陸眷を攻撃させます。

慕容廆はこのころまさに上り調子で、自勢力の西の蓋となっていた段部への攻撃に参加します。

拓跋猗盧は息子の拓跋六脩を派遣しますが、段疾陸眷に敗退してしまいます。

慕容廆は息子で勇将の慕容翰を派遣し、徒河、新城を取り陽樂まで至りますが、拓跋六脩が敗退したことを聞き、徒河に駐屯し青山に砦を作ったりします。

ちなみにこの頃中原の戦乱を避けて北に向かっていた人々は、はじめ王浚を頼りますが、王浚はまったく頼りにならず、領地の法律整備なども全然駄目だったので、人々は離れていきました。

段部もまた、武力だけの脳筋だったので、頼りになりません。

結局人々はうまく政治をまわし、人材登用も積極的に行い、登用した人物を大事にしていた慕容廆の元に集まって来たそうです。

この時期に集まった人々はのちの前燕躍進の原動力になります。

石勒、河南方面も攻めてみる

少し話がそれてしまいましたが、石勒に話を戻します。

石勒は313年に河南方面も攻めています。

石勒は孔萇定陵を攻撃させ田徽を殺します。

これにより薄盛が石勒に降り、山東の郡県は相継いで石勒の手に渡ります。

烏桓が石勒につく

少しずつ領土を拡大する石勒ですが、ここで大きなニュースが飛び込みます。

烏桓の勢力が王浚に反旗を翻し石勒につくということが発生します。

烏桓は王浚勢力の中でも段部と並んで軍事の主力であった部族です。

これにより王浚の勢力はますます弱くなっていきます。

石勒チャンスです。

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【参考文献】
三崎良章『五胡十六国、中国史上の民族大移動』【新訂版】(東方書店、2012年10月)

川勝義雄『魏晋南北朝(講談社学術文庫)』(講談社、2003年5月)
『晋書』『資治通鑑』


五胡十六国: 中国史上の民族大移動〔新訂版〕(東方選書43)


魏晋南北朝 (講談社学術文庫)


 

 

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