石勒 五胡十六国時代の黒き英雄王 第三部「石勒の河北争奪戦」④ 313年 石勒、王浚をおだてる

石勒

こんにちは。

312年以降石勒は、幽州を本拠とする晋の王浚と河北の覇者の座をかけ争います。

王浚の尖兵・段部を撃破した石勒は、人質にした段末柸を懐柔し、段部全体も王浚につくことをやめます。

石勒はこのあとも河北、河南に勢力を伸ばし、逆に王浚からは段部だけでなく烏桓の勢力も離反し、力を失っていきます。

石勒にチャンスが巡ってきました。

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驕り高ぶる王浚

この時期王浚は、驕り高ぶり、皇帝を自称しようとしたり、諌めた家臣を処刑したり、気に入らない人物の首を斬り晒したりしてました。

さらに、政治を顧みず、酷吏どものしたいがままになり、領内の住民が多く鮮卑の元に逃げて行ったりと、公私ともにご乱心気味でした。

前述したしたように、王浚勢力の軍事の中心だった鮮卑(段部など)や烏桓が王浚から離反し、蝗旱(コウカン:いなごと日照りの災害)が連年続き、その勢力はますます弱まってきていました。

石勒、王浚打倒の謀略をめぐらす

石勒は、王浚の勢力が衰えてきていることをみて攻撃をかけようとしますが、ほんとに王浚が衰えてきているのかいまいちわからず、使者を派遣してその内実を探らせようとします。

ただ、石勒の部下たちは三国時代の「羊祜と陸抗の故事」を引いてきて、隣り合った勢力同士、仲良くすることを求める文書を送らせようとします。

悩んだ石勒は、「困ったときの右侯頼み」とばかりに参謀の張賓に相談します。

張賓へ相談する

張賓は言います。

「王浚は晋の臣として名乗ってはいますが、実は晋をつぶして自立してやろうと思っています。

しかし、四海(天下)の英雄たちが自分の味方になっていないことを悩んでいます。王浚が将軍(石勒)を採用しようと思っているのは、項羽が韓信を取り込もうとしたことと同じことです。将軍の威信は天下に知れ渡っておりますので、今へりくだり、礼を厚くして、節を曲げて、王浚に仕えようとしても、まだ王浚からは信頼されないでしょう。ましてや羊祜と陸抗の関係にどうしてなりましょうか?

人を謀ろうとするのには、人の心をうまくつかむことが大事です。(王浚なんぞと)志をともにしようとするのはやめるべきです。」

石勒「その意見最高!」張賓の意見に賛成します。

ここから、「王浚の心をつかむ」の謀略がスタートします。

石勒、王浚へ使者を送る

12月に石勒は、王子春、董肇に金銀財宝をもたせて王浚の元に使いにいかせます。

そして王浚に丹精込めた文書をたてまつります。

「わたくし石勒はもともと取るに足らない小胡で、飢饉や乱世にあい部族ごと離散し災いを一身に集めたような存在でした。その後冀州に逃れて来て、ひそかに衆を保つことによって生き残っています。今、晋の世は異民族に蹂躙されており、中原は主がいない状態です。殿下(王浚)は州郷(石勒や王浚の出身の并州)で貴い身分で人望がおありです。天下広しと言えども、帝王になれるのは、公(王浚)以外に誰がいるでしょうか?!

この石勒が身を投げ出し兵を挙げ、暴乱の輩どもを誅滅していったのは、まさに殿下のために駆除していったからです。

ここに伏して願いますは、陛下(ほんとは「殿下」だがわざと陛下と言っている)は天命に応じ、人民の希望に順じ、早く皇帝の位に登るべきです。石勒が殿下を奉戴する心は天地や父母に対する心と一緒です。殿下には石勒の心中を察していただき、自分の子供のように石勒のことを思っていただきたいのです。」

また、王浚の家臣・棗嵩(王浚勢力の酷吏の一人)に書を送り、多くの賄賂を渡しました。

このとき、王浚勢力内では段疾陸眷が反乱を起こしており、その他の勢力の王浚からの離反も進んでいるところでしたので、石勒が自分の味方につくことに大変喜びます。

とは言え、王浚は王子春に言います。

「石公(石勒)は一時の豪傑で趙、魏エリアを所有しているのに、それでもなお儂に従うという。それを信じてよいのかな?」

王子春は答えます。

「石将軍(石勒)の才知と力量が今強盛であることは、誠に聖旨(王浚様のお言葉)のとおりです。ただ、殿下(王浚)は中州(中国)の貴望(位が高く人望がある)のお方です。その威信は胡族、漢人ともに行き渡っております。昔から、胡人で帝王を補佐する名臣であったものはおりますが、胡人で帝王となったものはおりません。石将軍は自らは帝王にならず殿下にその席を譲ることを悪く思っておりません。顧みるに帝王になるお方というのはおのずから運命によって決まっているものであり、智力などによって手に入れるものではありません。力があるといって、帝王の座を無理に取ろうとしても、天と人双方がそれを認めることはありません。項羽は強盛でありましたが、最終的には漢が天下を取りました。石将軍と殿下を比べると、月(石勒)と太陽(王浚)のようなものです。よって今までのことの流れからみても、石将軍が殿下に帰順しようとするのは、石将軍の見識が、人より遠くを見通せるから(王浚に帰順したいと思う)に他なりません。殿下はなぜ疑おうとするのですか?」

明らかにおべんちゃらを並べているように思えますが、王子春のべしゃりがうまいのか、王浚が単純なのか、王浚は大喜びで、王子春と董肇を列侯に封じ、石勒に返礼の使者を派遣し、たくさんの返礼品を送ります。

石勒、王浚の心をつかむ(だます)ことに成功する

王浚の好感度を爆アゲした石勒ですが、さらに王浚を信じ込ませる策をうちます。

張豺と一緒に王浚から仮署を受けていた游綸の兄で游統という人物がおり、これが王浚の司馬になって范陽に駐屯していました。

この游統が使者を石勒に送り、石勒につきたいと言って来ました。

石勒はしめたとばかりに、この使者を斬り、このことを王浚に伝えます。

王浚は游統を処分こそしなかったものの、このことを教えてくれた石勒の自分への忠誠を本物だと思い込み、石勒を疑うことがまったくなくなったようです。

仕込みは終わりました。

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【参考文献】
三崎良章『五胡十六国、中国史上の民族大移動』【新訂版】(東方書店、2012年10月)

川勝義雄『魏晋南北朝(講談社学術文庫)』(講談社、2003年5月)
『晋書』『資治通鑑』


五胡十六国: 中国史上の民族大移動〔新訂版〕(東方選書43)


魏晋南北朝 (講談社学術文庫)


 

 

 

 

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