石勒 五胡十六国時代の黒き英雄王 第二部「漢の将軍として戦う」③ 309年 漢の洛陽攻撃

石勒

こんにちは。

309年に劉淵率いるは南方への進出に力を入れていきます。

南への交通に優れる平陽への遷都、黎陽など黄河北への進出、并州上党郡の壺關の攻略など、次々と南方経略を進めていきます。

また、劉淵から東方経略をまかせられていた石勒も、経略を進めていきますが、この309年に張賓という優秀な参謀を採用し、君子営というブレーン集団を組織し、漢の将軍としての実績を挙げながら、独立への準備を進めて行きます。

え?ちょっと準備するの早くない?社長(劉淵)もこの事知ってるの?と思わないでもないですが、この時点でのちの後趙の基盤を作っているのは間違いなさそうです。

まあ、そのへんはひとまず置いといて、漢のほうは正念場を迎えていました。

晋の帝都・洛陽への攻撃がはじまります。

 

308年頃の勢力地図

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第一次洛陽攻撃

309年8月、劉淵は劉聡に命じて、洛陽の攻撃を開始します。

晋も平北將軍・曹武に迎撃させますが、劉聡の前にあっさり敗れてしまいます。

劉聡は長駆して宜陽に布陣します。この宜陽は、洛陽盆地から洛河を西南方面に上流に登った地点です。北から攻めて来てなぜそのような場所に布陣したのか不思議ではありますが、とりあえずそこから洛陽城の攻撃を狙います。

しかし、劉聡は勝ちにおごってしまい、陣の備えをおろそかにしてしまいます。

9月に晋の弘農太守・垣延が降伏を偽り近づいて来て、突如夜襲をしかけて来ました。ろくに備えをしてなかった劉聡軍はこれで大敗を喫してしまい、退却をせざるを得なくなります。

こうして、漢の第一次洛陽攻撃はあっさり失敗に終わってしまいました。

石勒、王浚に敗れる

漢の第一次洛陽攻撃が失敗に終わったころ、河北エリアを攻略していた石勒にも晋軍が襲いかかります。晋の王浚祁弘鮮卑の段務勿塵に命じて、常山の南方にある飛龍山で石勒を攻撃させますした。この攻撃に石勒も大敗を喫してしまい、黄河付近の黎陽まで兵を引かざるを得なくなります。

まだまだ晋の力は侮りがたしというのがわかります。

第二次洛陽攻撃

再攻撃

晋の思わぬ反撃を受けた劉淵でしたが、309年10月に再度の洛陽攻撃を企てます。

今度はかなり本腰を入れた攻撃プランを立てたようで、

楚王・劉聡、王彌、始安王・劉曜、汝陰王・劉景に精騎5万の兵を率いさせ先発させ、大司空の呼延翼に歩兵を率いさせ後続させました。

石勒以外の漢の主な将軍を総動員している感があります。

劉聡たちは、再度宜陽に布陣します。

晋は、こんなにすぐ漢軍が再度攻めてくるとは思っておらず、混乱に陥ります。

劉聡軍は宜陽から進み、洛陽城の西面の西明門あたりに布陣しました。

晋としては首都の城壁近くまで肉薄されてしまい、大ピンチです。

北宮純の活躍

これは晋もうダメかな、と思われましたが、ここで前涼から出向中の将軍・北宮純がまたもや獅子奮迅の活躍を見せます。

北宮純は、ある夜勇士千人を集い、漢軍を夜襲をかけます。この攻撃により、漢の征虜將軍・呼延顥が討ち取られ、劉聡も洛河付近まで撤退せざるを得なくなります。

悪いことは重なるようで、漢の後詰の軍を率いていた呼延翼が部下の反乱にあい殺されてしまい、その軍も大陽(河東郡の黄河の北岸)で分解してしまいます。

この報告を聞いた劉淵は劉聡に退却を命じます。

戦役継続

しかし劉聡は晋の兵が惰弱であることを理由に、呼延顥や呼延翼ごときが死んだ程度で軍を返すべきでないと戦争の継続を求めます。

劉淵もこれを許し、洛陽攻撃は継続されます。

ここで八王の残りカス司馬越も自ら洛陽の守備につき、晋も劉聡の攻撃に備えます。

ここで、劉聡は何をトチ狂ったか、戦勝祈願のために洛陽の南方にある嵩山に行って軍を留守にしてしまいます。

劉聡の不在を知った、晋軍は攻撃をしかけ、漢は留守をまかされていた将軍が討ち死にしてしまい、もう一人の将軍も劉聡に怒られるのを恐れ洛河に入水自殺をしてしまいます。

劉聡率いる漢軍、けっこうグダグダな状態です。

洛陽攻撃の失敗

この様子を見た王弥は、劉聡に進言します。

「今、我軍は利を失っており、洛陽の守備はなお固い状況です。そして兵站もうまくいかず、兵糧も数日しか持ちません。殿下、ここは劉曜様と退却すべきと存じます。兵糧が整ったのちに再度兵を挙げるべきです。私も兵と兵糧を集め、兗州・豫州の地で命令を待ちましょう。そうすれば再度の攻撃は必ずや成功しますよ。」

劉聡はまだ退却を渋りましたが、劉淵の側近の宣于脩之が進言します。

「洛陽は近いうちに取ることができるでしょう。しかし、今は晋の気がまだまだ盛んです。軍を返さねば、必ずや敗れるでしょう。」

これを聞いた劉淵は、あらためて劉聡に退却を命じました。

 

衰えたりとは言え、まだまだ晋の力は侮りがたしです。

2回にわたる漢の洛陽攻撃を跳ね返し、石勒も河北で手痛い敗北をしてしまいました。

漢は体制を建て直さざるを得ませんでした。

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【参考文献】
三崎良章『五胡十六国、中国史上の民族大移動』【新訂版】(東方書店、2012年10月)

川勝義雄『魏晋南北朝(講談社学術文庫)』(講談社、2003年5月)
『晋書』『資治通鑑』


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