東海道2番目の宿場、川崎宿を調べてみる 東海道かわさき宿交流館もおすすめ!

歴史

こんにちは。

私は現在武蔵国の最南端あたりにある神奈川県川崎市川崎区というところに住んでおります。


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川崎市川崎区

現在、川崎市というと東京と横浜にはさまれた150万都市で、その中心はJRと京急の川崎駅がある川崎区であります。(最近川崎市内では、武蔵小杉という高層マンションが大量生産されているエリアが注目されていますが黙殺します。)

川崎、とくに川崎区は昔からちょびっとばかしイメージがよくないらしく(地方から登ってきた私はとくにイメージは悪くなかったのですが、東京や神奈川、とくに横浜界隈出身の人からの川崎のイメージの悪さにはびっくりしたものです。)、あまり住みたくない街という話はちらほら聞いていました。

そんな川崎も今は、駅周辺が再開発され非常にきれいになっています。ちょっとオシャレ感すらただよっている気すらします。

そんな川崎ですが、江戸時代には東海道2番めの宿場「川崎宿」が置かれた宿場町でした。

せっかく川崎に住んでいるのだから、そんな川崎宿のことをもっと知りたいと思い「東海道かわさき宿交流館」というところに行ってきました。

東海道五十三次

東海道は、徳川家康が関ヶ原の戦いに勝利したあと1604年に日本橋を拠点に他の4街道とともに整備した天下の大動脈です。

江戸の日本橋からスタートして京都の三条大橋までの街道で、53の宿場が設けられました。

ちなみに、五十三次の「次」は、荷物や手紙を「継いで」いくことから「次」になったそうです。当時、荷物や手紙を運搬する人は割当があり各宿場から宿場までの間を受け持っていたそうです。ですので次の宿場についたら荷物は次の運搬する人に引き継いだそうです。その引き継いでいくことから「継ぎ」→「次」となりました。


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川崎宿

川崎宿は東海道では品川宿の次に来る2番めの宿場でした。実は東海道が整備されたころは、川崎宿はまだできてなく、品川宿の次は神奈川宿(今のJR東神奈川駅の近く)でした。品川宿から神奈川宿の距離は約5里(20km)あり、前述の荷物や手紙を運搬する人は1日で往復40km移動しなければならず大変つらかったようです。

そこで品川宿と神奈川宿の間にもう一つ宿場を作ろうという動きになり、1623年にめでたく川崎宿ができました。

川崎宿の歴史スポットたち

川崎宿は六郷の渡しがあったところからスタートします。江戸時代多摩川には橋がなく(1700年頃までは何回か橋が架けられていたがすぐ洪水で流されるので、橋を架けるのを諦めたそうです。)、東海道を往来する人は多摩川の「渡し」を船で渡っていました。

川崎宿があるところは「六郷の渡し」で、今の六郷橋があるところです。年始の箱根駅伝でよく出てくる場所ですね。

その六郷の渡しのところに見附という入り口(簡単な門)があり、そこから川崎宿はスタートします。

宿のエリアの中には、いろいろな施設がありました。

田中本陣

大名、公家、旗本などが宿泊する施設でこの本陣の主人であった田中休愚という人物が川崎宿発展の基礎を作った人です。元々、六郷の渡しの渡し賃の収入は川崎宿に一切入らず対岸の東京側の宿場が独占していました。それを田中休愚が交渉して川崎宿の収入にしました。ちなみに田中休愚は「二ヶ領用水」という江戸時代川崎エリア、稲毛エリアの重要な用水路を全面改修した人物でもあります。

万年屋

六郷の渡しを渡ってすぐのところにある茶屋&旅籠で、全国区の初詣スポット「川崎大師」へ続く道のそばにあり、参拝客で賑わったそうです。幕末には上記の田中本陣の地位を奪い、川崎宿を代表する旅館にもなったそうです。幕末を描いた小説などによく出てくるアメリカ総領事ハリスや、「篤姫」にも出てきた皇女和宮もここに泊まったそうです。

小土呂橋

今も交差点として残る地名ですが、現在、川崎駅から南にのびるメインストリート新川通は江戸時代は新川堀という水路でした。(新川堀が埋め立てられそのまま新川通りとなった。)その新川堀と東海道が交わるところに架けられた橋が小土呂橋です。1729年にベトナムから来たゾウさんがこの小土呂橋を通り江戸に行ったそうです。

※当時の建築物は残っていません

東海道かわさき宿交流館

その他にもたくさん見どころスポットがありますが、旧東海道沿いにある「東海道かわさき宿交流館」ではこのような川崎宿の歴史や魅力がたくさん紹介されています。

きれいな建物で書いてある説明もわかりやすいです。ボランティアガイドの人が2,3人いらっしゃいますので、聞くと大変わかりやすく川崎宿のことを教えてくれます。また休憩スペースもあるので、歴史に興味のある人が川崎に来たときにはぶらっと寄ってみてはいかがでしょうか。


デジタルで見る浮世絵 【東海道五十三次】 歌川広重

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