石勒 五胡十六国時代の黒き英雄王 第四部「後趙建国」② 320年 石勒、周囲へ侵攻する

石勒

こんにちは。

の支社長的な動きをしていた石勒ですが、本社の漢の非道なふるまいに怒り自立を考え始めます。

漢はその年、国名を「趙」とあらためます。(前趙の成立)

石勒は長江を渡り北伐してきた東晋の祖逖河南・淮水流域エリアで戦いをはじめます。

その後、石勒は同じ319年の冬に臣下から推されて、趙王に即位します。

これが「後趙」の成立になります。

「趙」に改名した劉曜に喧嘩を売る形で直後に「趙」を建国した石勒、ここから後趙君主・石勒の華北制覇の道がはじまります。

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319年~320年頃の勢力状況

さて、石勒が君主になった319年から320年はじめにかけての全国各地の勢力の状況について整理してみましょう。

江南では、317年に晋の皇族・司馬睿王導の補助などにより晋王に即位し、「東晋」が成立します。司馬睿は318年に漢に囚われの身の司馬鄴(愍帝)が処刑されると、皇帝に即位し晋を継承します。ただし、勢力内で反乱が発生したりして不安定な状態が続きます。また王導と同じ一族の王敦が不穏な動きをし始めています。

関中では、劉曜が318年の劉聡死後の反乱を治め皇帝に即位、長安を本拠地にし漢を継承。319年に前述国名を変更し「趙」(前趙)に改名します。元々の根拠地山西エリアから関中にかけての制圧している状況ですが、劉曜のお膝元関中では、晋の皇族・南陽王・司馬保が晋王を自称し微妙に勢力を保つ状況でした。

その他、涼州では張軌の勢力(前涼)が張軌の314年の死去もあとも張寔が跡を継ぎ勢力を保っています。(立場としては晋の涼州刺史のまま)

巴蜀では、李雄の勢力(成)が310年の西晋の羅尚との戦いに勝利(羅尚の病死による)したあと、李雄が善政を実施中です。

遼東・遼西エリアでは、慕容廆が中原からの避難民をうまく糾合し、勢力を強化し周辺の宇文部段部高句麗、さらにの刺史たちとの戦いを続けています。

そして、襄国や鄴がある河北エリアを本拠として自立した石勒のまわりでは、江南からほぼ手勢のみで長江を渡り北上して来た東晋の名将・祖逖が淮水南北の塢主を併合して力をつけ、石勒勢力とバチバチの戦いを繰り広げています。

石勒勢力の東南、山東エリアでは元王弥の手下・曹嶷が割拠し、石勒ととりあえず相互不可侵な条約を結びました。

石勒勢力の北東では段部がいますが、親石勒の段末波と反石勒の段匹磾に分かれて争いあっています。

おまけですが、のちに華北を統一し中華を統一を目指して東晋へ攻め込んで大敗した苻堅の祖父にあたる蒲洪(こののち姓を蒲から苻へあらためる)も319年に前趙に帰順します。

320年 段部との戦い

320年が明けると、石勒は段部内の争いに乗じ段部との戦いを続けていきます。

段部では、石勒ラブの段末柸の勢力と、石勒ヘイトで劉琨殺しの段匹磾の勢力が同部族内で戦っていました。

1月に段末柸が段匹磾を攻め、これを破ります。段匹磾は保護受け入れ先の邵續に泣きつき、邵續も快諾しついには段末柸の大破してしまいます。

この勢いで、段匹磾の弟の段文鴦は後趙が確保していたを攻撃します。

ここで、石勒は「段部のやつらが薊を攻めたので、邵續の勢力って孤立してね?」と確認して、石虎に兵を率いさせ邵續が支配する厭次の街を囲ませます。また、孔萇に邵續の11の別営を攻撃させ、すべて陥落させます。

2月になり、邵續は反撃を試み出陣しますが、石虎は騎兵を伏せ、その背後をたちます。これにより、邵續は捕らえられてしまいました。

石虎は、邵續に呼びかけさせ厭次城を落とそうとしますが、邵續は逆に兄の子・邵竺に

「わしの志は国(晋)に報いることである。心ならずも捕らえられてしまったが、おまえらは力をあわせ段匹磾を主とし抵抗を続けよ。決して二心を抱くな!」

と呼びかけます。

ここで薊を攻めていた段匹磾の軍が軍を返しますが、まだ厭次に到着しません。その間にすでに邵續が捕らえられてしまったという情報が入り、軍から離脱するものが出てくる始末です。

また石虎によって厭次に向かうルートを遮断されてしまいます。

段部は段文鴦が自らの精鋭数百騎を率いて奮戦し、ついに厭次に入城することができました。そして邵續の一族とともに城を固く守ります。

石虎はとりあえず捕らえた邵續を後趙の首都・襄国に送ります。

石勒は、邵續をその忠誠心をたたえ、礼をもって迎え、從事中郎の官職を与えたりします。

そしてその後処刑します。(え?)

この後趙による邵續の確保は、東晋朝廷にも大きな衝撃を与えたようです。当時河北では東晋に味方する藩鎮が皆無となっており、そこに邵續まで捕らえられてしまうとやべえということで、兵をだすべきだと東晋皇帝・司馬睿に訴えますが、司馬睿はこれをスルーします。

洛陽一帯が空白地帯に

石虎が黄河の北で段部や邵續とやりあっている頃、元の晋の帝都・洛陽では、前趙の将軍・尹安、宋始、宋恕、趙愼の4人が、後趙に降伏して来ます。

後趙は、将軍・石生を洛陽に派遣し処理させようとします。

ところが、尹安たちは後趙から離反してしまい、東晋の司州刺史・李矩(正体は塢主)に降伏してしまいます。李矩は潁州太守の郭黙に兵を率いさせ洛陽に入城させました。

裏切られた石生は宋始の軍に攻撃をかけこれを捕らえ、黄河を北へ渡ります。この一連の混乱により河南エリアの人々はこぞって李矩に帰順して行ったので、洛陽の街が空っぽになってしまったと言います。

後趙vs東晋

徐龕を挟んでの戦い

盗賊あがりで東晋に仕えた徐龕は、当時、東晋についたり、後趙についたりと行ったり来たしていました。

320年4月あたりには後趙についていた徐龕に対して、東晋は羊鑒、蔡豹に討伐を命じます。

羊鑒は、下邳にとどまり前へ進もうとしませんでしたが、蔡豹は檀丘で徐龕の軍を破ります。

徐龕は後趙に救いを求め、これに応じた石勒王伏都に救援に向かわせます。また、張敬に後軍を率いさせ続かせます。

しかしこの王伏都がふしだらな暴力的な人物であったので、徐龕はよく思わなく、また張敬が東平に至ったことを知った徐龕は、自分が後趙の軍に攻撃させるのではないかとおそれ、王伏都ら300人を殺し、またまた東晋に降伏しようとします。

このことを聞いた石勒は激怒し、張敬に命じて要害に布陣してこれを守るように伝えます。

徐龕がまた降伏しようとしてきたのを聞いた東晋皇帝・司馬睿は何度も降ったり背いたりする徐龕を憎み、この降伏を拒絶します。そして、羊鑒、蔡豹に勅命を出し、進軍して徐龕を討つよう命じます。

しかし羊鑒はこの期に及んでも、進軍をしようとしなかったので、罷免の奏上をされてしまい、羊鑒の兵は蔡豹が代わりに率いることになります。

6月に、後趙の将軍・孔萇段匹磾を攻撃しますが、勝ちにおごり、備えを怠ったところを段文鴦に襲撃され大敗してしまいます。

石勒vs祖逖 第2ラウンド

河南、淮北のエリアを巡り激突している石勒と祖逖ですが、320年になっても戦いを続けます。

祖逖軍の将軍・韓潛と後趙の将軍・桃豹は前回出てきた陳川(現状は後趙に降伏し襄国在住)の故城内でそれぞれ、陣地を作り戦います。

桃豹は城内の西台に駐屯し南門より、韓潛は東台に駐屯し東門より城をお互い出入りし40日間守りあいます。

ここで、祖逖は一計を案じ、布の袋に米っぽい粒の土を入れ、兵士1000人に台の上に運ばせます。

また、数人の兵に米を担がせて、道で休めさせます。

桃豹の兵が米を担いだ兵を追跡して来たので、米担ぎの兵たちは担いだ米を棄てて逃げます。桃豹の兵たちはここのところ兵糧不足だったので、この米を得たことと、前述米に扮した土を入れた袋を台にあげていたのを見て、祖逖側は兵糧たっぷりの状態にあると思いこれはやばいと恐れます。

そのあせりからか後趙の将軍・劉夜堂がロバ千頭に兵糧を運ばせ桃豹に補給をしようとします。これを見た祖逖韓潛馮鐵汴水で後趙軍を迎え撃たさせ撃破、運んでいた兵糧も奪います。これによって、桃豹は宵に紛れて東燕城に逃げました。

祖逖は韓潛に進軍させ、封丘に駐屯させ圧力をかけます。馮鐵は陳川故城の二台を占領し、祖逖は雍丘に布陣します。陳川の故城は陳留郡の浚儀県にあったようなので、済水南岸の封丘に韓潛が駐屯したということは、祖逖が戦線を北へ押し上げたことが伺えます。(東燕城は封丘と黄河の中間あたりに位置する)

このあと祖逖は、兵を出し後趙軍をしばしば撃破し、後趙側についていた小勢力が多く祖逖に帰順したようです。これにより東晋の戦線はじわじわと前進していきました。

また、上記の出来事に先立って、半自立勢力である塢主の趙固、上官巳、李矩、郭默たちは相互に争っていましたが、祖逖は自ら各勢力に出向き、和解させることに成功します。各塢主たちは祖逖の指図を受けるようになりました。

7月に東晋朝廷は祖逖鎭西將軍に任命します。

祖逖は軍中にあって将兵とともに甘苦をわかちあっており、自分に弱者への施しを行うよう戒めておりました。そして、統治下に耕作と養蚕を振興させ、新しく入って来た人々をよく受け入れ、卑しいものどもも礼をもって迎え入れたました。黄河沿岸の塢主たちは後趙と東晋に両属している状態が多かったのですが、祖逖の姿勢に塢主たちは恩に感じ、後趙にはかりごとがあるときはつねに祖逖に密告してくれるようになりました。そして、黄河の南のエリアの塢主たちは後趙に叛して東晋につくようになりました。

祖逖はまた兵を訓練し兵糧を蓄え、河北侵攻も計画します。

石勒はこれはやばいと考え、支配下にあった幽州の祖逖の先祖の墓に墓守を配置し、祖逖に手紙を送り「仲良くして、お互い市を開き交流しましょうや。」と伝えます。

祖逖は石勒からの手紙に返信はしませんでしたが、相互市は実施し大きな利益を上げます。

また、祖逖の牙門将軍の童建が同僚の新蔡內史・周密を殺し後趙に降伏してきたときも、石勒は周密を斬り、その首を祖逖に送り、

「将軍(祖逖)にとっての悪人は、俺にとっても悪人。」

と逆ジャイアンのようなことを言い始め、祖逖によいしょを始めます。

よほど、祖逖を警戒していたと見えます。

祖逖も石勒のこの真摯(?)な行動には感じ入ったと見え、後趙から叛して祖逖に帰順しようとしたものがいてもこれを受け入れず、諸将に後趙の民衆を傷つけないよう指示します。

これによって後趙と祖逖支配地の境はしばらくのあいだ平穏な状態が続いたようです。

再度、徐龕を攻める

とまあ、祖逖のせいで河南への侵攻が滞ってしまった石勒ですが、矛先を変え、石虎に4万の兵を率いさせ、先に石勒を裏切った徐龕を攻めさせます。

徐龕はどうしようもないので、妻子を人質にして石勒に帰順を求めます。石勒は力攻めだけでは徐龕を倒すには苦労しそうなので、この帰順を受け入れます。

このとき東晋の蔡豹卞城に駐屯していたので、石虎はこれを討とうと進軍します。

蔡豹は退いて下邳に駐屯しますが、先に後趙に降った徐龕に敗れてしまいます。石虎はこの結果をみて兵を引き、封丘に城を築き兵を返しました。

このように、「後趙」建国後、各方面へ侵攻をしている石勒ですが、このあとも勢力拡大を目指し動き続けます。

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【参考文献】
三崎良章『五胡十六国、中国史上の民族大移動』【新訂版】(東方書店、2012年10月)

川勝義雄『魏晋南北朝(講談社学術文庫)』(講談社、2003年5月)
『晋書』『資治通鑑』


五胡十六国: 中国史上の民族大移動〔新訂版〕(東方選書43)


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