石勒 五胡十六国時代の黒き英雄王 第三部「石勒の河北争奪戦」⑨ 317年~318年 司馬睿の即位と漢の内乱

石勒

こんにちは。

河北で勢力を広げていた石勒は、316年に晋の残党勢力の一人・劉琨を攻撃します。

劉琨も今はなきマブダチ・拓跋猗盧の残党軍を使い迎撃しますが、石勒の前に敗退、劉琨が治めていた并州北部のエリアは石勒に降っていき、劉琨は段部の段匹磾の元に亡命していきました。

その後、石勒は冀州と幽州の境あたりまで、勢力を広げていき、支配エリアを西北、東北と広げていき、317年に入ります。

このあと2年くらいは石勒自体に大きな動きはありませんが、その他の勢力は大きく動いていきます。

 

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317年、晋の司馬睿、晋王となる

316年に長安に拠っていた時の晋の皇帝・司馬鄴(愍帝)漢の劉曜によって捕らえられ、漢の首都・平陽に連れ去られました。

このときをもって史上「西晋」は滅亡したとされています。ただ、「晋」の勢力は各地にまだ残っており、建康(今の南京)を中心とした江南には琅琊王・司馬睿が勢力を保っていました。

ちなみに建康は三国志の呉の首都・建業ですが、司馬鄴(愍帝)が313年に即位したときに諱を避けるために建「業」から建康へ改名されました。

317年3月に琅琊王・司馬睿は周囲から皇帝・司馬鄴(愍帝)があのような状況なので、尊号を名乗れと言われますが、拒否し続けます。ただそのあと王に即位することを求められようやくこれを許し、「晋王」として即位することにしました。

皇帝にはなっていませんが、「大赦し、改元し、百官を備え、宗廟を立て、社稷を建て」たので、自分の国を作ったようなものです。

一応この317年から「東晋」がはじまったことになっています。ただ、当時の人々(とくに晋の関係者)は基本「晋」が続いているという認識だったでしょう。

皇帝位にこそまだ即いていませんが、司馬睿が司馬鄴(愍帝)のあとを継ぎ、江南で晋を継いだ形になっています。ただ、この江南の勢力もまだまだ不安定で同じ年にいきなり荊州で反乱が起こったりします。

この反乱は東晋初期の名将の一人・周訪によって鎮圧されます。

漢は劉聡が引き続きご乱心で国内が混乱中

さて、「西晋」を滅ぼした匈奴のは、洛陽、長安を陥落させるなど勢力を伸ばしていっていましたが、皇帝の劉聡が即位後から常にご乱心しておりました。美女をみつけるたびにそれを皇后にし続けます。皇后を新しくたてるたびに心ある臣下から諌められますが、その臣下を処刑するなどを繰り返します。

劉聡の乱心以外でも、一族や佞臣たちがよからぬことをはじめたりして国内がどんどん乱れていっていました。

漢は皇太弟として劉乂がたてられていましたが、劉聡の息子の劉粲はそれが気に食わず、靳準という悪臣と組み劉乂を陥れようとします。そして一計を案じ劉乂が反乱を起こそうとしていると劉聡に(嘘の)密告をし、あわれ劉乂は皇太弟の座を剥奪されます。

劉粲はその後、靳準を派遣して劉乂を殺してしまいます。

これにより、漢は劉粲が皇太子となります。きな臭くなってきました。

司馬鄴、処刑される

さて、317年も終わりに近づくころ、漢に捕らえられ平陽に連行されていた晋の皇帝・司馬鄴(愍帝)は、劉聡によって狩りの先触れをさせられたり、宴会の使いっぱしりをやらされたりと屈辱を受けた上で12月に処刑されました。

318年、段部は内輪もめ

年が明け318年になりました。

1月に段部の遼西公の段疾陸眷が死去します。

段疾陸眷の跡継ぎが幼かったことから、その叔父の段涉復辰が自立してしまいます。

劉琨の受け入れ先の段匹磾は、段疾陸眷の死を知ったあと、薊から段疾陸眷の葬式に出ようと段涉復辰の元に向かいます。

これを聞いた、石勒と親子の契りを結んだ段末柸は、「段匹磾が来るのはあなたの地位を簒奪するためですよ。」と段涉復辰に告げ口します。

段匹磾が右北平まで来たところを段涉復辰は兵を発しこれを拒みますが、そこへ段涉復辰の虚を突き段末柸が段涉復辰を攻撃して殺害します。段末柸は返す刀で段匹磾も破り、段匹磾はに逃げ帰りました。

一連のごたごたで段部では石勒ラブの段末柸がリードする形になりました。

段部はとりあえず常に内輪もめをしています。

司馬睿、皇帝となる

318年3月に司馬鄴(愍帝)の訃報が建康に届けられます。

これにより江南の晋臣たちは晋王・司馬睿「皇帝になりなされ」と勧め、司馬睿はまた拒否し続けますが、結局は皇帝として即位します。

一応これで晋は江南で継続することになります。のちの世の人は洛陽から東側の建康を本拠地としたこの「晋」を「東晋」と呼びます。

漢、劉聡がまた皇后を増やす

さて、このころ漢では皇帝・劉聡王沈という佞臣の養女が美女ということで、これを新しく皇后に加えます。

このことで臣下はまた諌めますが、劉聡は激怒し、処刑させます。

靳準や王沈などの悪臣が跋扈し、心ある臣が劉聡を諌めては処刑されるという末期症状が表れてきました。

そんな中劉聡はさらにまた皇后を追加します(!)。

劉琨死す

石勒から并州北部から追われ、段匹磾の元に亡命していた劉琨ですが、その一族ともに段部の内輪もめに巻き込まれ、部下からの進言を受けた段匹磾によって処刑されてしまいました。

永嘉の乱以降、沈没していく泥舟の晋のために悪戦苦闘しながらも、太原周辺で勢力を保ち、漢や石勒の勢力と戦い続けた忠臣の劉琨でしたが、ここで最後を迎えてしまいました。

石勒にとっても、縁があった人物で、クソが多い晋関係の人物の中でも比較的立派な人物だっただけに惜しい気もします。

ただそんなことは関係なしに歴史は動いていきます。

ちなみに劉琨を処刑した段匹磾は胡族、漢族ともに信頼を失ってしまい、段末柸の攻撃を受け敗走、割拠していた邵續の元に逃げようとしますが、そこをさらに石勒が派遣した石越の軍からも攻撃され大敗し再びに逃げ帰ります。

曹嶷、青州で割拠し続け、晋に付く

王弥の元子分で青州(山東エリア)で割拠していた曹嶷は、318年のこの時期になっても勢力を維持し続けます。

元々はの支社的な感じだったのですが、この時期漢に反して東晋に降ります。(ただし割拠したままの状態で)

漢からは離れますが、漢のもう一つの支社・石勒とは同盟を結びます。

なかなかしたたかな生き残り戦略を計っているようです。

漢、皇帝・劉聡が死去し内乱が起こる

漢では318年8月、ずっとご乱心していた皇帝・劉聡が病になり死去してしまいます。

これにより、皇太子になっていた劉粲が即位します。

劉粲は即位したあと、増加していた皇太后(劉聡の皇后)たちがみんな歳が若いのをいいことに自分の後宮に入れ快楽の限りをつくし政務を見ないようになります。

さらに、稀代の悪臣・靳準の意見を入れ、一族の劉氏をことごとく誅殺してしまい、臣下は長安の劉曜の元に逃げるなど、こいつもまたご乱心の政治を行います。

その後、靳準が漢の実権を握り、劉粲は酒に溺れ後宮に入り浸るようになります。

実権を握った靳準は用無しとばかりに反乱を起こし、劉粲を殺害、劉氏の一族を捕らえことごとく処刑し、劉聡の墓をあばきその屍を斬るなど絵に描いたような、クソっぷりを見せます。

そして、天王を自称し、東晋に帰順を申し入れるなどしていきます。

ちなみにこのとき、涼州から晋に派遣され漢の洛陽攻撃時に奮戦した北宮純(西晋滅亡時に晋から漢に降っていた)が靳準に反抗し東宮に立てこもるも討ち死にしています。

劉曜と石勒、靳準討伐に軍を上げる

靳準の反乱を聞いた、長安の劉曜は討伐の軍を起こします。

また、石勒も精鋭5万を率いて靳準討伐に向かい、襄陵の北原に布陣します。靳準は石勒を攻撃しますが、その堅陣を破ることができませんでした。

一方、劉曜赤壁という地に至り、ここで漢の名将の一人・呼延晏などが平陽から合流してきます。

劉曜は部下たちから勧められ、ここで皇帝に即位します。

この間に石勒は靳準を平陽に攻めます。この攻撃により、巴や羌、羯などの部落10万が石勒に降伏してきました。

靳準は侍中の卜泰を石勒の元に送り、和睦しようとしますが、石勒は卜泰を捕らえ、劉曜の元に送ります。

劉曜は卜泰に、「靳準を許す」ので自分に降伏せよと、靳準に伝えさせますが、靳準は逆に劉曜の母や兄を殺してしまいます。

これを見ていた喬泰、王騰、靳康などは靳準を見限り、これを殺害し靳明を新たに主君として立てました。靳準、なんともあえない最後でした。

靳明は速攻で卜泰を劉曜の元に派遣し、伝国の玉璽を劉曜に献上し降伏を申し出ます。

これを聞いた石勒は「何あっちに降伏してんだよ?」と激怒し、靳明を攻撃しはじめます。

石勒は、幽州・冀州の兵を率いていた石虎と合流し平陽を攻め続け、靳明は負け続けます。困った靳明は劉曜に救いを求めるとか、よくわからない状態になります。

こうして、靳明は平陽の士女1万5千を引き連れ劉曜に元に奔りました。劉曜は靳氏を男女を収めると老若男女問わず問答無用で斬り殺してしまいました。

これにより、漢の内乱は終わり、すでに即位していた劉曜が漢の君主として君臨し長安に帰還していきました。

漢の代替わりに起こったこの大事件は、なんとか収まりましたが、この出来事は石勒の今後にも大きな影響を与えます。

319年には石勒はある決断をします。

第三部完

 

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【参考文献】
三崎良章『五胡十六国、中国史上の民族大移動』【新訂版】(東方書店、2012年10月)

川勝義雄『魏晋南北朝(講談社学術文庫)』(講談社、2003年5月)
『晋書』『資治通鑑』


五胡十六国: 中国史上の民族大移動〔新訂版〕(東方選書43)


魏晋南北朝 (講談社学術文庫)


 

 

 

 

 

 

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