五胡十六国時代 魔王・冉閔の冉魏建国記 地獄への飛翔編④「後趙の内乱:石遵のクーデター」

冉閔

こんにちは。

後趙を強国にしつつ混乱に陥れた大魔王・石虎が没し、太子の石世が跡をつぎました。

ここで、石世の母親の劉皇后とその後ろだて的な存在の張豺が後趙の権力を握ろうと石虎の死以前から画策します。

石虎の息子の石斌石遵を、一方は殺し、一方は長安へ飛ばし、排除します。

石虎死後も、李農を誅殺しようとし、上白という地に追い込め、これを包囲します。

そして自分たちの都合のよい体制にしますが、残念ながら、国内に強力な軍事力が残っていました。

ここから、混乱の極みの後趙の内乱がはじまります。

それは冉閔にとっては飛翔につながるイベントでした。(地獄への)

※冉閔はこのとき「石閔」と名乗っていますので、以下では石閔と表記します。

349年4月、石虎の死直後の地図

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彭城王・石遵、河内の李城で反抗の軍を起こす

劉大后(皇后から大后になった)と張豺によって、鄴から体よく追い払われ、石虎の死に目にもあえず、赴任地の長安へ向かっていた石遵ですが、河内(洛陽の北の黄河と、太行山脈に挟まれたエリア)まで到着し、ここで石虎の崩御の連絡を聞きます。

そのあと、李城という河内郡平睪県にある町まで来ます。

ここで、「梁犢の乱」を平定して帰還の途にあった姚弋仲、蒲洪、劉寧、石閔、王鸞たちと会います。

要するに、質量ともに当時の後趙の最強の軍隊がここにいたということです。

そして、彼らは、劉太后と張豺が後趙朝廷を我が物にしていることを聞き、石遵を説得します。

「殿下(石遵)は長じておりかつ賢才であります。先帝(石虎)も殿下に跡を継がせる意思がおありでしたが、晩年にもうろく・・、もとい、道理がおわかりになられない様子になられ、張豺によって誤られました。今、女主(劉太后)によって、幼い皇帝の代わりに政治が行われており、姦臣が権力を握っております。やつらは李農が逃げ込んだ上白を囲んでおりますが、いまだ陥落できておりません。そして今、京師(鄴)はもぬけの殻(軍隊が少ない)になっております。もし殿下が張豺の罪を挙げ、これを討つべしと声をあげられたら、この期に及んで鄴の城門を閉め殿下と戦おうとするものなど誰がおりましょうや!?」

石遵はすっかりその気になって、ここに劉太后と張豺への反抗の軍を起こします。

李城で挙兵し後趙の都・鄴を目指します。そこへ後趙の洛州刺史・劉國洛陽の軍を率いて石遵に合流してきます。

狼狽する劉太后と張豺

張豺は石遵の軍が鄴に向かっているという報を聞き、大いに怖れます。

すぐに李農がこもる上白を囲んでいた軍を引き上げさせます。

石遵は軍を進め蕩陰に布陣し、9万の軍で鄴への進軍をはじめます。

先鋒は我らが「五胡十六国時代最強の男」石閔(冉閔)です。

石閔は、「梁犢の乱」ではとくに活躍する描写がないのですが、乱後に多いに声望が上がったようなので、個人では相当な活躍をしていたのではないかと思いわれます。

石遵の9万の軍が迫ってきているとの情報が入った後趙の首都・鄴は大混乱です。

後趙の精鋭と最強の武将たちが集う石遵の軍を前にしたらそうなるのも当然でしょう。

鄴城内の老人どもや羯族の兵士は、

「彭城王(石遵)が戻られたからには、我らは出迎えるべきであろう。張豺なんぞのために城を守ることなどできぬわ!」

と、城壁を超え次々と城外へ出ていってしまいました。

張豺は城外へ出ようとした兵を斬り捨てますが、その流れは止まりません。

そして張離という武将が、龍騰(選抜せれた兵団か)2千を率いて、城門を内から破り石遵を迎えようとします。

もはや戦うどころでありません。劉太后は恐れおののき、張豺を召し出し言います。

「先帝(石虎)の棺をまだ埋葬もしていないのに、我らは危機に陥っておる。跡継ぎ(石世)はまだ幼いので、将軍(張豺)に託したのだ。将軍は今の状況をどうするのだ?奴らに高い官位を与えればこの状況を改善できるのか?」

張豺はこの状況にびびるまくり為す術もありません。

ただ、「唯唯(はい、はい)」と答えるのみでした。

劉太后も張豺も何も有効策は打てず、とりあえず石遵に爵位や官位を与えることしかできません。

石遵、鄴へ入場し、皇帝に即位する

そうこうしているうちに、石遵は安陽まで進んで来ました。

張豺は恐れおののき石遵を出迎えにいき、あっさり捕らえられてしまいます。

そうして、石遵はどうどうと鄴に入場します。

張豺は城内の平楽市で処刑され、劉太后にむりやり「石遵に皇帝の位を譲る」旨を言わせて、石遵が後趙皇帝の位につきました。

その後、石世は譙王にされ、劉太后も太后を廃され、そのあとすぐ二人とも殺されたそうです。

これにより、石遵のクーデターは成功。見事皇帝の位を手にいれました。

しかしこれはこの後さらに巻き起こる内乱のほんの序章でしかありませんでした。

349年5月石遵のクーデター関連地図

 

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【参考文献】
三崎良章『五胡十六国、中国史上の民族大移動』【新訂版】(東方書店、2012年10月)

川勝義雄『魏晋南北朝(講談社学術文庫)』(講談社、2003年5月)
『晋書』『資治通鑑』


五胡十六国: 中国史上の民族大移動〔新訂版〕(東方選書43)


魏晋南北朝 (講談社学術文庫)

 

 

 

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