五胡十六国時代 河西回廊の魔法使い・沮渠蒙遜⑬ 混迷が続く河西のエリア2 南涼の滅亡

北涼・沮渠蒙遜

こんにちは。

沮渠蒙遜が姑臧を手に入れたあとも、河西エリアの国々はドンパチドンパチやっています。

南涼は国力が衰えてきましたが、めげずに北涼を攻撃しますが、撃退され逆に首都の楽都を北涼軍に囲まれてしまいます。

西秦も周囲を攻撃していき、よい調子でしたが、君主の乞伏乾帰が甥に殺されてしまい、混乱に陥ります。難をのがれた乞伏乾帰の息子の乞伏熾磐が跡を継ぎ、混乱を収めます。

その他、後秦、夏、後仇池などの勢力も、それぞれ興亡を繰り返すなど411年~412年にかけて、各国がやりあいます。

そして413年以降もこの状況は続きますが、河西エリアのパワーバランスが崩れる出来事が起こります。

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西秦、隴西方面に勢力を伸ばす

西秦は君主の乞伏乾帰が甥に殺されて、乞伏熾磐が跡を継ぐという混乱がありますが、乞伏熾磐が優秀だったのでしょう、そのあとも勢力拡大の戦争を継続します。

413年、乞伏熾磐は鎮東将軍の曇達と平東将軍・王松壽を派遣して、西秦の東に勢力を持っていた、休官権小郎、呂破胡などを大破し万を超える人々を虜にします。

この戦争により、隴右の休官はことごとく降伏したとあります。(休官は隴右あたりにいた部族か?)

さらに後秦の大尉・索稜も隴西ごと西秦に降ったとありますので、この戦争により、西秦は隴西(隴右)エリアのかなりの部分を獲得したのではないかと思います。

夏の劉勃勃が統万城を築き、「赫連勃勃」を名乗る

さて、413年には、夏も動きを見せます。

今まで、これといった本拠地をおかず後秦などの隣接国家に対する掠奪・カツアゲ行為に勤しんできた夏ですが、「統万城」という本拠地を築きここを首都とします。

「統万城」とは、「天下を【統】一し、【万】邦(多くの国々)に君臨する」という意味が込められています。

この統万城ですが、建築に関して恐ろしい話が残っています。統万城の建築は部将の叱干阿利が担ったのですが、この叱干阿利が残虐なことこの上ないという人物でして、城の壁を作っているとき、この壁に釘を打ち付けて一寸以上釘が喰い込めば、その部分の壁を作った工人を殺して壁に埋め込んだそうです。

君主の劉勃勃(赫連勃勃)もそれを容認していたそうなので、君主家臣ともに残虐野郎どもの国家でした。

夏の君主・勃勃はこのときまで劉勃勃を名乗っていましたが、このタイミングで性を「赫連」に改めました。ですので、赫連勃勃と呼び始めるのは413年以降になります。

赫連は「赫【天】」に「連なる」という意味だそうです。

西秦、北涼、南涼それぞれの軍事行動

413年4月には、河西の各国で軍事行動がおきます。

まず、西秦の乞伏熾磐が吐谷渾を攻撃します。

西秦はこの年立て続けに吐谷渾を攻撃していき、多くの人民を攫うことに成功します。

五胡十六国時代は、徙民という他国や周辺から人をさらって来て、自国の労働力にするという政策が流行っており、西秦の吐谷渾攻撃も領土獲得ではなく、この徙民という労働力確保が目的だったのでしょう。

南涼は、またまた北涼討伐の軍を起こします。この戦役も攻められた戦いにはめっぽう強い沮渠蒙遜に見事に撃退されます。

南涼軍は、若厚塢の地で敗退し、さらに若涼の地でも敗れてしまいます。

勝ちに乗じた北涼軍はこれもまたまた南涼の首都・楽都まで侵攻して楽都を包囲します。

しかし二十日たっても落とせませんでした。

その間、南涼の湟河太守の文支が郡ごと沮渠蒙遜に降伏し、沮渠蒙遜は文支を廣武太守に任命します。

調子にのった沮渠蒙遜は南涼を引き続き攻撃しますが、ここは南涼君主・禿髪傉檀が弟の禿髪倶延を人質に差し出し、北涼軍は退却します。

南涼はまた北涼に人質を出し、何人の一族が北涼の人質になっているのかわからない状態です。

さて、北涼は南涼から撤収したあと、西方面の苕藋に進み、冠軍将軍の伏恩に1万の騎兵を率いさせ、卑和と烏啼の二部族を攻撃し大破します。2千以上の家から人を攫い軍を返しました。

沮渠蒙遜、愛人と寝ているところを宦官に襲われる

さて、沮渠蒙遜の周辺でこの時期事件が起こります。

沮渠蒙遜が愛人と寝ていたところ、宦官の王懐祖という人物に襲われてしまいます。沮渠蒙遜は足に傷を負ってしまいますが、沮渠蒙遜の妻の孟子がこの宦官を捕らえぶった斬るという展開になります。

沮渠蒙遜より、妻の孟子のほうがよっぽど武力がすごいじゃないかという話でした。

後秦君主・姚興の病と内訌

414年になると、五胡十六国時代でも名君の一人と言われる後秦君主の姚興が病を発します。

それにともない、後継者争いなどの、一族同士で争いが起きます。

これにより、後秦は衰えつつあった国力がさらに衰えていき、滅亡への道を歩み始めます。

南涼の滅亡

南涼国内で叛乱が起こり禿髪傉檀みずから出陣する

414年、南涼の西部で契汗部・乙弗部が叛乱を起こします。

南涼君主・禿髪傉檀はすぐさまこの叛乱を鎮圧しようとしますが、家臣から諌められます。

「今は毎年のように飢饉が続き、南には乞伏熾磐(西秦)がせまり、北には沮渠蒙遜(北涼)がせまっており、民は不安になっています。遠征をし、たとえ勝ったとしても、必ずや後方の患い(西秦や北涼の攻撃)が現実のものとなるでしょう。現状では乞伏熾磐(西秦)と同盟を結び、食料を確保し各部族、兵たちの食料が足りる状態にし、時を待ってから動くべきです。」

禿髪傉檀はこの進言に従わず、太子の禿髪虎臺に言います

「沮渠蒙遜は最近退却していった。すぐには再度攻めて来ないだろう。さしせまって注意するのは、乞伏熾磐(西秦)であろう。しかし、乞伏熾磐(西秦)の兵力は少なく、守るに容易いはずだ。お前は楽都を気を引き締めて守れ。わしは一ヶ月かからない間に叛乱を平定して戻ってくるつもりだ。」

こうして乞伏熾磐は、兵七千を率いて乙弗部を攻撃しこれを大破し、馬・牛・羊を40万頭以上獲得しました。

西秦が南涼を攻撃する

さて、南涼国内の叛乱と禿髪傉檀みずからこれを平定しに出陣したことを聞いた西秦君主・乞伏熾磐はこれを好機ととらえ楽都を攻撃しようとします。

西秦の群臣たちは反対しますが、焦襲という人物が進言します。

「禿髪傉檀は近くの危険をかえりみずに、遠くの利益を取りにいきました。我らは今楽都を攻略し、楽都西方の路を遮断するのです。そうすれば、禿髪傉檀は楽都の救援に戻ってこれず、楽都を守る禿髪虎臺は孤立します。そうすれば、座してこれを捕らえることができるでしょう。これは天が与えてくれた好機です。この好機を逃すべきでありません。」

乞伏熾磐はこの進言に従い、西秦軍は2万の兵で楽都を攻撃し、四方から攻め立てます。

楽都陥落す

さて、楽都を守る南涼の太子・禿髪虎臺ですが、家臣からの

「楽都の外城は広くて守りにくいので、禿髪一族は内城に籠もっていただき、自分たち晋人(漢人か?)が外城を死守し、勝てずとも禿髪傉檀が戻ってくるまでの時間かせぎをしたい。」

という、進言に疑いをもってかかります。

南涼の禿髪一族は自分たちの部族以外を信じてないところがあったらしく、これが国の衰えにつながったそうなのですが、ここでもその弊害が起こります。

こういう状況ですので楽都は一夕(一晩)のうちに陥落してしまいます。

禿髪虎臺は、楽都城内にいた南涼の文武の家臣とともに西秦国内に連れ去られてしまいます。

西秦はすぐさま西に遠征に向かっている南涼君主・禿髪傉檀に5千の兵で追撃をかけます。

禿髪傉檀、西秦に降伏する

楽都陥落の知らせは、禿髪傉檀の元にも届きます。

そうすると、禿髪傉檀の周りの将兵が次々と逃げていき、とても西秦と戦う状態でなくなってしまいます。

禿髪傉檀は、

「沮渠蒙遜も禿髪傉檀もかつてはわしに人質を送っておったのに!」

と悔しがりますが、どうしようもありません。

その間にも南涼の諸城は皆西秦に降伏していきます。

そして、禿髪傉檀は西秦に降伏することを決めます。

ここに南涼は滅亡しました。

西秦君主・乞伏熾磐は降伏時は禿髪傉檀を歓迎し、それなりの爵位を渡すなど優遇しますが、しばらくしてから禿髪傉檀に毒をあたえこれを殺します。

さらに南涼太子であった禿髪虎臺も殺し始末をつけます。

乞伏熾磐は、西秦の一度目の滅亡時に南涼に亡命しており、その際に殺されそうになるのですが、禿髪傉檀によって命を救われ、後秦に逃げることができました。

その恩に対し、見事に仇で返しました。

受けた恩には仇で返す!

まさに五胡十六国時代を象徴するような出来事の一つです。

禿髪一族の禿髪破羌、源賀となり北魏で活躍する

南涼について言えば、禿髪傉檀の息子の一人、禿髪破羌は南涼滅亡後、北涼の沮渠蒙遜の元に逃れ、その後北魏に亡命をしたそうです。

そこで、北魏の君主・太武帝に気に入られ、源と言う姓を与えられ、のちに「賀」という名前を与えられ源賀と名乗ることになります。

北魏の北涼侵攻や太武帝暗殺後の混乱の平定、柔然との戦いなどで活躍しました。

ちなみに日本の源氏の姓の由来はこの源賀から来ているらしいです。

南涼の滅亡により、河西エリアのバランスが変わり沮渠蒙遜にも好機到来

414年の南涼の滅亡は、北涼にとっても今までバチバチにやりあっていた南隣の国がいなくなったことで、良い方向に国の戦略変更につながります。

河西回廊での覇権を二分している西涼に持てる力をそそぐことができるようになるのです。

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【参考文献】
三崎良章『五胡十六国、中国史上の民族大移動』【新訂版】(東方書店、2012年10月)

川勝義雄『魏晋南北朝(講談社学術文庫)』(講談社、2003年5月)
『晋書』『資治通鑑』
来村多加史『万里の長城 攻防三千年史』 (講談社現代新書、2003年7月)


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