武田信玄の信濃侵攻① ~諏訪への侵攻~

歴史

私は、数いる戦国大名の中でも、武田信玄が一番好きです。

元々、小学生の頃、歴史に興味を持ち始めたとき、ちょうど大河ドラマ「武田信玄」をやっておりまして、そのドラマで描かれる川中島の合戦や、有能な武田家家臣団などに夢中になりまして、現在に至っております。

武田信玄の物語の中でも一番盛り上がる部分は、もちろん第4回川中島の合戦なのですが、自分的には、そもそもの川中島の合戦の原因となる、信玄の信濃侵攻のほうがおもしろいと思っております。戦国大名として、信玄が自らの勢力を延ばしていく過程ですので、歴史シミュレーションゲームで例えると、出だしの国作り→勢力拡張の部分にあたり、「一番おもしろい部分」でもあるのです。

信虎・信玄・勝頼、武田三代の軌跡や内容が豊富な写真を使用してわかりやすく書いてあります。付録の「武田三代の広域歴史マップと武田三代の史跡」がわかる超大サイズ(632mm×988mm)マップは一見の価値あり!! ↓↓↓


 

それでは、信玄がどのように信濃に侵攻して行ったか見てみたいと思います。

武田氏侵攻前の信濃国衆の支配地


戦国大名と国衆 (角川選書)

諏訪への進行を画策

信玄(当時は晴信と名乗っているが、ここでは信玄で統一)は父信虎を追放して家督を継ぎますが、そのあとの第一目標として諏訪の制圧を目指します。

信虎の代は、信濃でも佐久や小県(ちいさがた)方面を目指していましたので、これは大きな方針転換と言えます。佐久方面はそこに至る道のりも険しく土地もそんなに豊かでなかったらしく、それに対し、諏訪エリアは、諏訪湖を中心とした盆地になっていて、豊かな土地であったようです。交通的にも平らかな信州往還が通っていて、交通の便がよかったようです。

実際、旅行などでいってみても、山梨方面から行くときに電車の風景的にも険しそうな感じはなくゆったりとした穏やかな地形です(線路の両サイドは高い山ですが)。グーグルマップで見ても、諏訪エリアは、新府方面(現在の松本方面)や伊那方面にもつながっていて、信濃経略の第一歩としては、最適の土地であったと思われます。

諏訪頼重を滅ぼし、諏訪郡の東半分を制圧

信玄は、諏訪郡を統治していた諏訪頼重を攻めます。攻めるにあたり、反頼重勢力の、高遠頼継や諏訪下社の金刺氏と手を結んでいます。この後もたびたび出てくる信玄の謀略の才の一部分が見えます。有利な状況を作って上で攻め込んでいます。

1542年7月1日、長峰・田沢(茅野市)あたりに陣を取ります。諏訪頼重も向かい討ちますが、甲斐一国対諏訪郡の戦いで、軍事力も経済力もまったく相手になりません。

翌日には高遠軍も杖突峠を超えて参戦してきます。

頼重は居城の上原城では支えきれないと判断し、桑原城に移ります。信玄はそこで和睦を申し入れ、応じた頼重を捕えて甲斐に送った末に処断します。

高遠頼継を破り、諏訪郡全域を獲得

こうして上原城に兵を入れ、諏訪郡を手に入れますが、宮川より西の諏訪郡しか手に入れられなかった高遠頼継が土豪などと組んで攻めて来ます。

甲府から出陣した信玄は、安国寺門前宮川のほとりで、高遠軍を打ち破り高遠頼継を高遠に追い払います。

それによって、信玄は諏訪郡全域を手に入れます。上原城には重臣の板垣信方を諏訪郡代として在城させます。

【参考文献】
笹本正治『武田信玄―芳声天下に伝わり仁道寰中に鳴る』(ミネルヴァ書房、2005年11月)
平山優『武田信玄』 (吉川弘文館、2006年12月)


武田信玄―芳声天下に伝わり仁道寰中に鳴る (ミネルヴァ日本評伝選)


武田信玄 (歴史文化ライブラリー)

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