五胡十六国時代 【前燕の歴史を簡単に書きました】 関連ブログへのリンクにもなっています。

前燕

こんにちは。

前燕の歴史を書き終わりましたので、各ブログの目次・リンクを兼ねた前燕史の流れを書いときます。

前燕の歴史の簡単な流れはここを読んでいただき、もう少し詳しく読みたい人は、各リンクからそれぞれのブログに飛んでみてください。

また、五胡十六国時代の流れは下からリンクしてください。

五胡十六国時代のおおまかな流れはこちら

五胡十六国時代を含む、魏晋南北朝時代のおおまかな流れはこちら


五胡十六国: 中国史上の民族大移動〔新訂版〕(東方選書43)

五胡十六国時代の勢力変遷の地図を1冊にまとめた
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初代 慕容廆

前燕という国を建てる鮮卑の慕容部という部族は、3世紀中頃(三國志で言うと、諸葛孔明死後の時代)、遼西あたりに定住していたらしく、曹魏の公孫氏討伐にも従軍していたらしいです。

その後、269年に生まれた慕容廆という人物が前燕のベースを作って行きました。

慕容廆は285年慕容部の族長になり(西晋が280年に天下統一しましたので、その5年後)、遼西、遼東という遼河の東西のエリアで周辺の民族とバチバチにやりあいながら、勢力を築いていきました。

307年に鮮卑大単于を称し、永嘉の乱による中原の混乱から避難してきた漢人たちを受け入れ、彼らを政権内に引き入れ、国力を増大させていきました。

慕容廆は、西晋が滅んだあと江南に建てられた東晋に服属の形をとりながら、遼東・遼西エリアでの有力勢力へと慕容部を成長させました。

慕容廆時代についてはこちらから

二代目 慕容廆(在位337年 – 348年)

333年に慕容廆から跡をついだのは慕容皝です。

しかし、鮮卑などの遊牧民などは、こういうとき基本兄弟殺し合う後継者争いが起こります。この慕容皝が跡をついだときも後継者争いが起こりました。

弟の慕容仁が遼東に割拠して造反したのです。

この反乱は周辺の勢力も慕容仁に味方するなど2年もの間続き、慕容皝は苦しみますが、336年に慕容皝が勝利を収めました。

けっこう慕容皝危なかったと思います(´Д`)

慕容皝は337年に燕王を称します。「前燕」としての歴史はここからはじまりました。

慕容皝時代は、周辺の部族に対して攻勢に出ていきます。

しかし、華北を制していた後趙と組んで、前燕の西に勢力をもつ段部を討ったあと、後趙の君主・石虎を怒らせてしまい、数十万におよぶ後趙軍の攻撃を受けてしまいます。

降伏を進める周囲の声には耳をかさずその慕容魂(気合と心意気)で、戦争を継続、後趙を撃退することに成功しました。

342年に龍城に遷都し、その後、段部、宇文部、扶余、高句麗という遼東・遼西エリアの諸勢力を撃退し、このエリアの支配を確立させました。

慕容皝時代についてはこちら

 

三代目 慕容儁(在位348年 – 360年)

慕容皝の跡を継いだのは慕容儁です。

慕容恪や慕容垂などの優秀な兄弟(三代目B SOUL BROTHERS)たちとともに、中原の大国の道を歩み始めます。
(慕容垂は慕容儁からは嫌われていましたが・・・)

遼東・遼西を統一した前燕は、石虎の死で後趙が混乱する状況を突き、350年に20万の兵を率いて、中原侵攻を開始します。

350年3月には薊(現在の北京)に遷都し、後趙、冉魏が争う状況の中、侵攻を続け、352年4月には冉魏の冉閔を捕らえ(すでに後趙は滅亡)、8月に鄴を攻略します。

11月に慕容儁は、中山で皇帝に即位しました。

357年に前燕は鄴に遷都し、慕容恪などの優秀な将軍たちの力で、河南方面も攻略していき、関中で勢力を伸ばした前秦、江南の東晋と三国鼎立の状況になりました。

慕容儁時代についてはこちら

四代目・慕容暐(在位360年 – 370年)

360年に慕容儁の跡を継いだのは、慕容暐です。

慕容暐時代についてはこちら

慕容暐はこのとき幼かったので、国の実権は慕容儁の弟の慕容恪が握りました。

慕容恪率いる前燕軍は、南進を進め、364年には洛陽を攻略し、淮水まで前燕の勢力を伸ばし、前燕は華北東部を領する大国となります。

このあたりが前燕のピークであったと思われます。

367年に慕容恪が病没すると、前燕の実権は慕容儁の叔父にあたる慕容評が握ります。

このころから前燕国内の矛盾も顕在化して来て、369年に東晋の桓温が北伐の軍を起こし、前燕は危急存亡の秋を迎えます。

国内深くまで攻め込まれるも、慕容儁、慕容恪の弟の慕容垂が軍司令官になり、「枋頭の戦い」で桓温率いる東晋軍を壊滅させ、国難を乗り切りました。

「枋頭の戦い」について詳しくはこちら

しかし、その後、慕容垂と慕容評が対立し、慕容垂が前秦に出奔します。前燕国内は慕容評の事なかれ主義などで不満や矛盾が大きくなっていき、軍の士気も下がります。

慕容垂の出奔について詳しくはこちら

そして370年に王猛率いる前秦軍の攻撃を受け、慕容評が「潞川の戦い」で大敗を喫し、そのまま首都・鄴も落とされてしまいました。

逃亡した慕容暐も捕らえられ苻堅に降伏、前燕国すべてが前秦に併合され、370年、前燕という国は滅びました。

前燕の滅亡について詳しくはこちら

以上、前燕の歴史について簡単に振り返りました。

より詳しい歴史については、各ブログを読んでみてください。

下記は前燕の人材について書いてますが、書きかけです。

前燕の将軍・文官についてはこちら(書きかけ)

 

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【参考文献】
三崎良章『五胡十六国、中国史上の民族大移動』【新訂版】(東方書店、2012年10月)

川勝義雄『魏晋南北朝(講談社学術文庫)』(講談社、2003年5月)
『晋書』『資治通鑑』

 

その他、五胡十六国時代・魏晋南北朝時代が概説的に読める書籍たち↓↓


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