こんにちは。
潞川で対峙した前秦軍と前燕軍ですが、前燕軍総司令官の慕容評は、前燕国内に遠征し深入りしている前秦軍を持久戦をもって疲弊させ撃退しようとします。
しかし、持久戦をはじめたのに、慕容評の貪欲さゆえに、前秦軍より先に前燕軍の士気がだだ下がりになり、さらに前秦軍の襲撃を受け、自分たちの兵糧を焼かれてしまい、自国内で戦う前燕側が食料なくなってるじゃんという状況になります。
しかも前秦は、皇帝・苻堅様があとからさっそうと大軍を連れて後続する準備をウキウキと進めており、兵糧も万事滞りなく送れる状態にしております。
「億兆の兵を率いていようとも、こいつが司令官である限り負ける気がしねえ」
と、王猛から嘲笑されてしまった悪手続きの慕容評ですが、若い頃は優秀な将軍でありました。
一応、慕容評をフォローすると、漢文で書かれた文章は、めちゃっくちゃ簡略に無駄を省いて書かれるので、
「兵糧焼かれた!」
「前燕軍士気下がった!」
と簡単に書かれている部分も、もしかしたら虚々実々の駆け引きの末のことかもしれません。(たぶん違うけど・・)
漫画キングダムの鄴攻めで、秦の王翦と、趙の李牧が、ものすごい知能戦の末の激闘を繰り広げていますが、
もし、漢文にしてみると、
王翦破李牧于朱海平原。
王翦焼鄴食糧。
※こんな文は史記には書かれてないし、漢文法としてあってるかは要確認(汗)
などとめちゃくちゃ簡潔に書かれてしまい、これだけ見ると李牧無能なんじゃね?とか思ってしまうかもしれません。(キングダムの李牧はめちゃくちゃ優秀なのに)
とまあ、もしかしたら、慕容評も何かいろいろ知能戦の末に王猛にやられたのかもしれないとフォローしたいですが、その確率はかなり低いかなと思います。
さて、潞川で兵糧を焼かれているときの炎は凄まじく、鄴の都からもその炎が太行山脈ごしに見えたそうです。地図見ると、100キロ以上離れてそうなのでホントか?と思いますが、かなり派手に焼かれたのは間違いないでしょう。
(資治通鑑の胡三省注には、潞川は地形的に鄴より高い位置にあり、炎の勢いがすごかったので、鄴からも火が見えたと書かれています。)
その遠くに燃える火を見て、前燕皇帝・慕容暐が慕容評に使者を送ったところから、前燕滅亡へ事は一気に動き始めます。
五胡十六国時代を含む、魏晋南北朝時代のおおまかな流れはこちら
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慕容暐の叱責
太行山脈のあっちで燃える炎を見て、皇帝・慕容暐は怖くなります。
侍中・蘭伊を使者にして慕容評を諌めに行かせます。
「王(慕容評)は、高祖(慕容廆)の子供ですよね?宗廟社稷を憂うる立場の人なのに、どうして兵士たちを大事にしないで、焚き木や水の商売の独占なんてものを戦場でおこなって利益を得ているのですか?!業の倉庫には財物が積まれていて、朕は、この財物を王(慕容評)との共有にしているのに、なぜまだ足りないなどというのです?!もし賊ども(前秦)の兵が侵攻してきて、国が滅びてしまったら、王(慕容評)は銭や立派な衣服をどこにしまっておこうと言うのですか?!」
慕容暐の坊っちゃん、めずらしくお怒りですね。
しごくまっとうな意見だと思うのですが、前秦に国内深くまで攻め込まれ、兵の士気が下がりまくっていたこのタイミングでは遅きに失し過ぎました。
たまにいいこと言うので、無能ではないのでしょうが、温室育ちすぎて、体に流れる慕容の血を活かしきれなかったのではないかと思われます。
慕容評焦りまくり開戦を決意する
さて、慕容暐に叱責されてしまった慕容評は、この叱責にびびりまくり前秦軍との開戦を決意します。
王猛に使者を送り、戦いを始めることを請います。
いや、慕容暐から叱責されたとはいえ、バカ正直に敵の大将にそのことを伝える必要があるのでしょうか。
慕容暐への見た目をよくするために、前秦軍に挑戦状を送ったのでしょう。敗戦フラグが立ちまくっていますね。
王猛の宣誓で前秦軍の士気は爆上げ
一方、慕容評から挑戦状を受けた王猛は、整列する兵士の前でこう誓います。
「この王景略(王猛のこと)は、国家より厚い恩を受け、内外のことすべてを任されてきた。今、諸君たちとともに、賊どもの地深くに攻め込んで来ており、もはや力の限りを尽くして進むだけである。ともに大功を立てて、国家に報いようぞ!そうすれば、我らは、爵位を明君(立派な君主)の朝廷より授かり、父母のいる家で酒を飲むことができるのだ。なんと素晴らしいことではないか!」
この鼓舞により、前秦の兵たちの士気は大いに上がり、飯を炊く釜を壊し、持っている食糧を棄て、後退は決してしない覚悟を示し、大声を上げながら競い合って進軍しました。
士気がだだ下がりの、前燕軍とのコントラストがものすごいですね。
王猛と鄧羌のショートコント2
前秦軍の士気が爆アゲ状態になり、さあ開戦しようかのときに、前秦名物・王猛と鄧羌のショートコント2がはじまります。
前燕軍は慕容評のせいで士気が下がりまくっているにせよ、30万という大軍です。
その大軍を望みながら、王猛は鄧羌に言います。
「今日の戦は、将軍でなければ前燕の強兵を破ることはできないであろう。こたびの遠征の勝敗はこの一戦にかかっていると言っても過言ではない。将軍ははげむように。」
それに対して、鄧羌は返答します。
「もし司隸を儂に与えてくれたら、儂やる気まんまんになって、公(王猛)はこの戦について何も憂うことはなくなるだろうよ。」
王猛は返答します。
「いや、それ儂の権限で決めることできないし。安定の太守と、萬戸侯なら、必ず与えることを約束するぞ」
司隸は前秦の首都・長安があるところですので、要するに国の首都周辺を儂によこせという、とんでもないことを言い始めます。
ちなみに王猛が代わりにやると言っている「安定」ですが、資治通鑑の胡三省注には、「安定は秦の中でも大きな郡である」とありますので、褒美としてかなりの価値があるものであったでしょう。
しかし、鄧羌はこの王猛の返答を聞くと、へそを曲げ、自分の陣に帰ってしまいました。
そうこうしているうちに、前秦と前燕の戦いは幕を開けました。
王猛は鄧羌を呼びますが、鄧羌は寝てしまい応答しません。
しかたなく、王猛はみずから鄧羌のもとに馬で向かい司隸をやることを約束します。
それを聞くと鄧羌は陣中で大酒をくらった末、張蚝、徐成とともに馬にまたがり出陣していきました。
王猛は、やれやれと思ったに違いありませんが、なんとか前秦ナンバーワン猛将をやる気にさせ、戦場に投入することに成功しました。
潞川の戦い決着!前燕軍は壊滅する
さて、潞川での前秦と前燕の会戦が始まりました。
士気の違いがあるとは言え、一応前燕軍30万vs前秦軍数万の戦いです。
圧倒的に前燕軍が有利であると思うのですが、前秦最強武将・鄧羌が投入されると一気に戦いが動きます。
鄧羌は前燕軍に突入すること四度、傍若無人に戦い数百の燕兵を殺傷しました。
そして、昼にさしかかる頃、前燕軍は大破され、戦死者や捕虜の数が5万に登りました。
前秦軍は退却する前燕軍を追撃し、戦死者と降伏するものが十万以上になったと言います。まさに前燕の主力が壊滅したと言っても過言ではないでしょう。
敗軍の将・慕容評は単騎で鄴に逃げ帰っていきました。
かつては精強な軍隊で華北東部を席巻した前燕軍ですが、そのときの強さはもはやありませんでした。
上に立つ人物の違いで軍の強さが変わる典型のような結末です。
さて、完璧なる圧勝劇を繰り広げた王猛率いる前秦軍は、そのまま太行山脈を抜け、長駆し鄴の都に迫ります。
鄴攻略戦の幕が上がります。
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【参考文献】
三崎良章『五胡十六国、中国史上の民族大移動』【新訂版】(東方書店、2012年10月)
川勝義雄『魏晋南北朝(講談社学術文庫)』(講談社、2003年5月)
『晋書』『資治通鑑』
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