中国史上最大級の戦乱の時代、五胡十六国時代。その各国の攻防を描く ~東北からの疾風、前燕の中原侵攻~⑲ 山西エリアを制圧

中国史

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前燕は、中原の大都市・鄴へ遷都し、いよいよ中原を支配する勢力として存在感を増して行きます。

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後趙の残党勢力を制圧していく

冉閔が後趙の混乱に乗じて魏を建てたとき、後趙の部将、李歴・張平・高昌・馮鴦たちは、慕容儁に服属しましたが、同時に東晋、前秦にもつながっていました。

その中でも、張平は新興、雁門、西河、太原、上党、上郡にまたがる勢力を誇り、勢力内には300の砦があり、漢人・胡人含め十余万戸もの民衆がおりました。この勢力範囲は、今の山西省の大部分にあたる範囲で、後趙の残党といえども侮りがたい勢力でありました。

慕容儁は、これら後趙の残党討伐に諸将を派遣します。

司徒・慕容評に兵を率いさせ、張平討伐に向かわせます。

領軍将軍・慕輿根に馮鴦討伐、司空・陽騖に高昌討伐、撫軍将軍・慕容臧に李歴討伐とそれぞれ諸将を向かわせます。

慕容評が并州に進軍すると、并州の砦は雪崩を打って降伏し、張平の諸将たちもみな138の砦とともに前燕軍に降伏しました。

張平は3000の兵とともに平陽に逃げていきました。

馮鴦も野王の呂護の元に逃げ、李歴は滎陽に逃げ、高昌は邵陵に逃げました。

こうして、後趙の残党討伐は終了しました。

前燕の勢力範囲は山西エリアにものびていきます。

慕容儁150万の兵の徴収を目論む

慕容儁は、東晋、前秦の征服を目論み、支配地の州郡の丁(成人男子の数)を調査させ、一つの家につき一丁(成人男子1人)を残し、残りを皆徴収し、150万の兵を集めることを決め、翌年のまでに集め終え、洛陽に進行させ三方へ進軍させようとしました。


戦略戦術兵器事典 (7) 中国中世・近代編

武邑の劉貴は、慕容儁に上書し、「人民は凋落しており、徴兵するのは非法であります。このような状態で大動員をかけると、人民は恐れ、命令に耐えられず、土が崩れ落ちるかのように、めちゃくちゃな状況になるでしょう。そして、時世にあってない法律が10のうち3つはあります。こちらを先に対処したほうがよいでしょう。」と諫言しました。

慕容儁は、この上書に喜び、高位につけ、ひろく相談をしました。

そして、5人に3人を徴兵することにし、1年準備の期間を延ばし、翌年の冬に鄴に集めることにしました。

慕容儁は、下のものの意見も取り入れる度量があったようです。

五胡十六国時代の君主の中ではめずらしく(?)ものわかりのよい君主だったのでしょう。

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【参考文献】
三崎良章『五胡十六国、中国史上の民族大移動』【新訂版】(東方書店、2012年10月)
川勝義雄『魏晋南北朝(講談社学術文庫)』(講談社、2003年5月)
『晋書』

  

 

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