中国史上最大級の戦乱の時代、五胡十六国時代。その各国の攻防を描く ~東北からの疾風、前燕の中原侵攻~⑭ 前燕軍、冉閔を打ち破る

中国史

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350年1月、20万の大軍を動員した前燕の華北侵攻がはじまります。

このとき華北は、後趙の跡目争いを発端として、混乱の極地にあり、冉閔が鄴で即位し冉魏を建国し、後趙の石祗は襄国に拠り冉閔と対立している状況です。

前燕は、この後趙・冉魏の争いの隙きをつき、大攻勢をかけます。

慕容恪と慕容評の二将を主攻とした侵攻軍はまたたくまに、幽州・冀州(今の河北省北部)を制圧していき、前燕は薊(今の北京)に遷都します。

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華北経略

前燕の華北侵攻戦が進む中、丁零の翟鼠や、冉閔の部将・劉準などが、部下たちを率いて、慕容儁に降伏します。

このように、諸勢力が前燕に与していく中、従属していた段部の段勤が反乱を起こします。段勤は段部の指導者の子供ですが、段部が前燕に滅ばされたあとは後趙の部将となっていました。

352年、慕容儁は慕容垂を段勤討伐軍に任命し繹幕(今の徳州の南)へ向かわせます。

また、慕容恪と相国の封弈を冉魏討伐軍として派遣して、冉閔を安喜に攻めます。

封弈は、先代慕容皝の時代から前燕軍を主力として活躍していましたが、慕容儁の時代になってもその武に衰えはありません。

慕容儁は軍を率いて中山に入り、前述の二方面軍の後方支援していきます。

冉閔軍と対決

冉閔は前燕の軍を恐れ、常山に逃げますが、慕容恪は追撃し、泒水に至ります。

冉閔は後趙の武将であるころは、その勇猛さで知られ、いまだその威名は衰えず、前燕の諸将はこれを恐れていました。

慕容恪は、諸将を励まし作戦を伝えます。「冉閔の軍は老兵で疲れ切っている。実戦に用いるのは難しいだろう。勇猛に見えるが謀など無く、一夫の敵であるにすぎない。また、武装兵はいるが攻撃するには不足している。今、我が軍を三軍に分け、前後から挟み撃ちにする体制を整え、冉閔軍を待つとよいだろう。冉閔の軍勢はすばしこくて強いが、自分の軍が我軍より劣っていることも知っている。必ず、決死の覚悟で我軍の中軍を狙ってくるだろう。私は、中軍を厚くし、冉閔軍の攻撃に備えることにする。諸将は兵を励まし、冉閔が我が中軍を攻めてきたら、傍らより攻め込み、冉閔軍を挟み撃ちにするがよかろう。敵を侮ると勝てないぞ。」

そして戦いは始まり、前燕軍は慕容恪の作戦がはまり、冉閔軍を打ち破り、7000に及ぶ首級をあげました。

冉閔は捕らえられ、龍城に送られて処刑されます。

こうして冉魏のトップ、冉閔を処断しますが、華北には冉魏の残党などが残り、前燕の華北経略はまだまだ続きます。

【参考文献】
三崎良章『五胡十六国、中国史上の民族大移動』【新訂版】(東方書店、2012年10月)
川勝義雄『魏晋南北朝(講談社学術文庫)』(講談社、2003年5月)
『晋書』

  

 

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