五胡十六国時代は、その名のとおり、華北において5つの異民族が十六の国を乱立した(実際にはもっと多い国数)という時代でした。約100年前からはじまる三国時代よりも激しい戦国乱世だと言っても過言ではありません。しかしそのような時代に突入したのにはきっかけがあります。西晋期に起きた「八王の乱」こそ五胡十六国時代幕開けのきっかけとなった出来事だったのです。
その八王の乱ですが、名前のとおり西晋の八人の王が権力争いをした乱だったのですが、八人もいると誰が何をしたのかかなりこんがらがってしまいます。
ですのでこれから八王の乱について、できるだけわかりやすく書きたいと思います。
八王の乱までの中国の歴史
まずは八王の乱にいたるまでの歴史の流れを見ていきたいと思います。
220年 三国時代がはじまる。
曹魏が後漢を滅ぼした年から三国時代がはじまりました。
263年 魏によって蜀が滅びる
265年 魏が西晋によって取って代わられる
すでに司馬氏の専権によって、死に体になっていた魏は司馬懿
の孫の司馬炎のときに禅譲によって滅びます。
280年 西晋によって呉が滅ぼされ、西晋が中国を統一。三国時代が
終わりを告げます。
290年 司馬炎死亡。恵帝が跡を継ぐ
ざっとここまでが八王の乱が始める10年前までの歴史の流れです。そして八王の乱がはじまる301年までのあいだに西晋内の権力争いが続いていくのですが、これには大きく3つ理由があります。
西晋王朝混乱の理由
●西晋王朝の皇帝が恵帝という稀代のバカ殿様であった。
●恵帝の皇后が賈皇后という稀代の悪女であった。
●西晋の皇族が王として各地に強大な兵権を持って封ぜられた。
(魏王朝では、逆に皇族に力を持たさないようにしていたが、
それがため司馬氏の専権を招き結果滅びたため、西晋ではその反省
を踏まえて、司馬一族に兵力を持たせ、王朝が危なくなったときの
備えをした。)
→しかしそれが完全に裏目に出てしまう。
この理由により西晋は混乱に陥っていき、八王の乱の勃発に至りますが、その流れに関しては次回書きます。
【参考文献】
三崎良章『五胡十六国、中国史上の民族大移動』【新訂版】(東方書店、2012年10月)
川勝義雄『魏晋南北朝(講談社学術文庫)』(講談社、2003年5月)
『晋書』
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