中国史の古都 洛陽

中国史

「洛陽」その響きだけでも心震える

洛陽は、中国が認定する八大古都の一つとして、さらに三国志をかじった日本人としては、長安(現在は西安)と並んで、最も琴線に触れる都市の一つではないでしょうか?

(他の八大古都は、長安、北京、南京、開封、杭州、安陽、鄭州の7つ)

私も、ご多分に漏れず、洛陽という都市には昔から興味をそそられ、「洛陽」という名前を聞くだけで、心を震わされてきました。

ただ、漫画の三国志や中国史をテーマにした小説で、洛陽のことに触れていますが、いまいち、実際洛陽てどういうところなの?なぜここが歴代中国王朝の首都になったの?という疑問がありました。

4年前に洛陽に旅行に行って、実際街や周辺を観光したり、調べたりしてようやくイメージが沸いてきて、歴代の王朝が、なぜここを首都にしたり、重要な拠点として位置づけた理由がわかってきました。

洛陽の位置

洛陽の街は、まず古代の中国の支配地域からみた位置が中心にあり、どこの地域に行きやすいという利点があります。(今の中国の領土ではなく、チベット、新疆ウイグル自治区、内蒙古自治区、東北三省などを除いたエリア)ちょうど洛陽がある位置で東が華北の大平原、東が山地が多い地域に別れます。

それでいて、周囲を山や丘陵に囲まれた盆地になっていて、洛陽エリアを守りやすいという利点もあります。実際、洛陽盆地に入っていくには8本の道しかなく、洛陽八関という関所を破るしかないのです。(世界遺産で有名な龍門石窟も「伊闕【いけつ】」という八関の跡。関の壁に石窟を掘ったのです。」

そして、八関とは別に、洛陽盆地の東に、三国志で有名な虎牢関などもあり、協力な防衛体制が取れる地形にありました。ただ、盆地といっても、面積は、3600k㎡あり、濃尾平野(1800k㎡)約2倍ほどあります。侵入されてしまうと逆に守りにくかったのではないかなと思います。

洛陽盆地内の洛陽の位置

あと、単純に洛陽の街といっても、時代ごとに位置はだいぶ変わっています。

現在、洛陽の街がある都心部は、随・唐時代の洛陽の街の上に建てられています。

洛河の上から、現在の洛陽の街を眺める

では、私達がよくイメージする三国志の時代の洛陽の街はどこかというと、現在の洛陽市街地から10kmほど東の今は一面の畑の地域にあったそうです。

後漢洛陽城の城壁跡

ただそこは、すぐ北が邙山(ぼうざん)という洛陽盆地を北部を囲む丘陵地帯で、南を洛河という洛陽盆地の真ん中を流れる大きな河に接していて、洛陽盆地の中では守りやすい場所だったのかなと思われます。(位置も洛陽盆地の中では真ん中に位置する。隋唐洛陽は盆地の西にかなりよっている)

「洛陽」の街というと、時代が変われど同じ位置にあると思えば、そうではなく、時代ごとに歴代王朝の都合のいい位置やその他の条件によって、洛陽盆地内で場所が変わっているのですね。これは自分がもっていたイメージと違い、驚いたことでもあります。無理やり、今の東京に例えれば、1300年前の「東京」は多摩にあって、それが現在、23区あたりが「東京」になっているようなことでしょうか。

 


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