西晋

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石勒 五胡十六国時代の黒き英雄王 第三部「石勒の河北争奪戦」⑦ 314年~316年 西晋の滅亡

こんにちは。 314年、石勒は目の上のたんこぶ的に幽州で割拠していた王浚を「へりくだり戦略」で打倒し、薊を中心としたエリアを獲得します。 しかし、物事はそうはうまくはいかないらしく、薊の守将に任命した劉翰が鮮卑・段部の段匹磾に帰順してしまっ...
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石勒 五胡十六国時代の黒き英雄王 第三部「石勒の河北争奪戦」② 312年 石勒、王浚との戦いをはじめる

こんにちは。 312年、南方のツアーを切り上げ、河北に戻って来た石勒は張賓の計に従い、鄴の攻略をひとまずスルーし、その北にある襄国に入りそこを本拠と定めます。 このあと河北の経略に進んでいく石勒ですが、当時の河北エリア(大きく黄河の北として...
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石勒 五胡十六国時代の黒き英雄王 第三部「石勒の河北争奪戦」① 312年 石勒の黄河渡河と河北経略の開始

こんにちは。 312年に自分の進むべき道を見つけた石勒は、「右侯」張賓の示した戦略に沿って動き始めます。 寿春で対峙していた晋軍の追撃も、大きなダメージを受けることなく振り切り、黄河の北を目指して進軍をはじめます。 ここから第三部「石勒の河...
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石勒 五胡十六国時代の黒き英雄王 第二部「漢の将軍として戦う」⑧ 311年 石勒、王弥勢力を取り込む

こんにちは。 首都・洛陽陥落&皇帝拉致以降、晋は皇族や重臣が各地で行台(臨時の役所)を立ち上げ、漢に対抗をしようとしていました。 しかしそんな中、漢は関中への侵攻を行い、長安を陥落させることに成功をします。 東西の重要な都城を落とされた晋は...
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石勒 五胡十六国時代の黒き英雄王 第二部「漢の将軍として戦う」⑦ 311年 晋の残党の動きと、長安陥落

こんにちは。 晋は、重鎮で八王最後の生き残りの司馬越が晋国内各方面から嫌われ、挙句の果てに病死してしまいます。 その司馬越から後事を託された王衍も、直後の司馬越の葬儀を石勒に襲われ、情けない最後を見せてあっさり死亡。 晋の皇族・重臣も石勒に...
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石勒 五胡十六国時代の黒き英雄王 第二部「漢の将軍として戦う」⑥ 311年 晋の帝都・洛陽陥落 

こんにちは。 漢は劉聡がクーデターにより即位したあとも、国家戦略である対晋戦争と洛陽攻撃を継続していきます。 310年10月には、第三次洛陽攻撃を行いますが、諸将の連携があまり取れていないようで、またしても洛陽陥落には至りませんでした。 晋...
石勒

石勒 五胡十六国時代の黒き英雄王 第一部「戦乱の世に降り立つ」① 石勒の生い立ち

こんにちは。 今回から、石勒のシリーズをはじめます。 石勒は、苻堅、慕容垂などともに五胡十六国時代を代表する英雄の一人です。(ただし、極めてダークヒーローに近いと感じている) 私が五胡十六国時代に興味を持ち始めたとき、一番はじめにファンにな...
中国史

五胡十六国時代 前燕の落日⑥ 四代目慕容暐 ~慕容恪の死~

こんにちは。 前燕は、365年、慕容恪の指揮のもと中原支配のシンボル的な存在でもあった洛陽を陥落させることに成功します。 洛陽は、西晋の時代に永嘉の乱の勃発により、匈奴出身の劉淵の建てた漢(のちの前趙)により奪われて以来ずっと華北を支配して...
前燕

五胡十六国時代 前燕の落日② 四代目慕容暐 ~慕容暐即位時の周辺勢力の状況~

こんにちは。 前燕は、慕容廆から数えて四代目の慕容暐の代に入りました。 慕容廆→慕容皝で遼東・遼西の制覇。 そして、慕容儁の代に中原への進出&華北東部の大部分を制圧と、一気に勢力を伸ばして来ました。そして、慕容儁が病でなくなって、息子の慕容...
中国史

五胡十六国時代のきっかけとなった八王の乱について④ ~乱の終息とその影響~

西晋王朝を死に体にした八王の乱ですが、乱も終盤戦に入ってきます。 まず、八王の図です。 八王一覧 ①楚王・瑋(恵帝の弟) ②汝南王・亮(司馬懿の子ども、司馬師・司馬昭の弟) ③趙王・倫(司馬懿の子ども、司馬師・司馬昭の弟) ④成都王・穎【え...
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