甲斐の国旅行の2日目は、甲府の街を観光でした。
「甲府」は名前のとおり、「甲斐」の「府中」という意味です。
しかし、全国いろんなところにある「府中」とは違い、律令制に基づく「府中」ではなく、武田信玄の父親の武田信虎が今の甲府市にある躑躅ヶ崎館に本拠を遷したときに「府中」と名付けたところからはじまります。「府中」の中では歴史が浅いのですね。
来年2019年が、信虎が甲府に本拠を遷してから500年になるということで「甲府開府500年」記念イベントが企画されているそうです。
今の甲府市は、武田信虎の時代からずっと甲斐の国(山梨県)の中心地の座を守ってきており、街もいろいろな施設ができており、山梨県の県庁所在地であることから、かなりいい街ではないかと思います。
武田信玄像参拝
さて、甲府観光の最初はやはり武田信玄像です。甲府駅南口を出たところに鎮座まします。「武田信玄教」の熱烈な信者である私としてはまずは参拝しないといけないスポットであります。(といいながら、甲府に着いた昨日は時間がなくてスルー(涙))
この像の元に来ると甲斐の国に来たと心がひきしまる思い出ありました。脳内には大河ドラマ「武田信玄」のオープニングソングがヘビーローテーションしました。
甲府城
駅前の武田信玄像を参拝後は、駅からすぐの甲府城に城攻めに行きました。この甲府城、ほんと駅から徒歩3分くらいで着き、天守閣はないものの、建築当時の石垣が多く残る「城攻め」しがいのある城です。
甲府城は武田氏が滅んだあと、豊臣政権の手によって築城された城です。築城の目的は関東に移封された徳川を押さえるためでした。長野県の高島城・松本城・小諸城・上田城、福島県の会津若松城とともにぐるっと関東を取り囲むように配置された城の一つです。その後江戸時代も存続し、1704年に柳沢吉保が甲府藩主になると、城内の建物や城下町が大々的に改修されます。おそらくこの時代が甲府城とその城下の最盛期といってよいでしょう。その後1724年に柳沢家が大和郡山に移封されてからは、甲府勤番支配となり(甲斐の国が幕府の直轄領になった)、幕府から旗本が甲府勤番に任命されるようになりました。明治に入ると城は廃城になりました。
今の甲府城は、江戸時代の甲府城と較べるとかなりの部分が甲府の街が今の状態になっていく過程で取り壊されたり埋め立てられたりで失われていますが、それでもかなり広い範囲で城跡が残っています。
今の甲府城の見どころはなんといっても保存状態のよい石垣でしょう。とくに天守やその周辺はきれいに残っており、見事な景観です。また櫓や城門も史実に基づき復元されていますので、当時の景観を容易に想像できます。
さらに、駅から近く、街のど真ん中にあり、天気が良ければ、天守跡から富士山がきれいに見え、これだけのよい状態の城跡にもかかわらず訪れる人がとても少なくゆっくりと散策ができるという非常にコスパがよい城です。(入場無料!)
武田信玄ゆかりの甲府で、武田氏にはゆかりのない甲府城なので、甲府に来た人にはいまいち人気がないのかも知れませんが、訪れる価値ありの素晴らしい城でした。
このあとは躑躅ヶ崎館に向います。
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