こんにちは。
首都・洛陽陥落&皇帝拉致以降、晋は皇族や重臣が各地で行台(臨時の役所)を立ち上げ、漢に対抗をしようとしていました。
しかしそんな中、漢は関中への侵攻を行い、長安を陥落させることに成功をします。
東西の重要な都城を落とされた晋はこのあとどうなるでしょうか。
また前回、まったく出て来なかった石勒は今何をしているのでしょう。(今回は石勒も動きます。)
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石勒、晋の名将・苟晞を捕らえる
311年9月、晋の名将にして「屠伯」・苟晞は蒙城にいました。
この人は、八王の乱中に劉淵の漢が自立建国して以降、勃発する反乱を、晋の将軍として次々と鎮圧して「白起の再来」とまで言われた名将でした。しかし法や軍規に厳しすぎで、ちょっとでもルールを破ったものを次々と処刑する鬼上司でした。
あだ名の「屠伯」はそういうところから来ています。
この時期になると、苟晞の「屠伯」ぶりはさらにエスカレートしており、そのことをたびたび部下が諌めましたが、諌める部下も処刑するなど手がつけられないようになり、人心が離れ多くの怨みを買っている状態でした。
こういう時期に、河南や淮北あたりでぶらぶらと自分探しをしていた石勒が陳郡の陽夏を攻め王讚という晋の臣を捕虜とします。
石勒はその勢いで、苟晞がいる蒙城も攻め、あっさりと苟晞と一緒にいた豫章王・司馬端を捕らえるとこに成功します。
過去、石勒と苟晞はがっぷり四つの名勝負を繰り広げたものですが、この時期には苟晞は人心を失い抵抗する力がなくなっていたのでしょうか。
石勒は一応苟晞を殺さず、左司馬に任命します。
石勒、暴力的TOBを仕掛け王弥勢力を買収することに成功する
石勒と王弥
さて、苟晞を捕らえ調子が上がってきた石勒ですが、さらに勢力拡大の動きが出てきます。
石勒が自分の勢力を伸ばすときによく使用するビジネスメソッド「暴力的TOB」を使うときがやって来ました。
相手は王弥の勢力です。
石勒と王弥は同じ漢の部将として、表向きは仲良しのフリをしていましたが、内面ではお互い嫌いあっていました。
このとき王弥と石勒はお互い河南エリアで、「自立しちゃおっかな~」と自分の配下軍団を引きいてフラフラとしておりました。
王弥配下の劉暾は、山東にいる(王弥の子分の)曹嶷の兵を連れて来て石勒を倒してしまいましょう、と王弥に言いました。
そこで王弥は、劉暾を使者にして曹嶷の元に向かわせます。同時に石勒にも一緒に青州(山東エリア)に行こうぜ、と行軍を申し入れます。
山東エリアまで行ったところで曹嶷と挟み撃ちにして石勒を討つ算段ですね。
ところがマヌケな劉暾が石勒の偵察隊に捕まってしまい、この計画は石勒に知れてしまいます。
石勒は密かに劉暾を殺します。(王弥はそのことを知りません)
この頃、王弥配下の徐邈と高梁という将が、手勢を率いて王弥の元を去ってしまうという出来事が起こり王弥陣営は勢力の株価下落という状態でした。
王弥のキモい手紙
この時期、石勒が前述、苟晞を捕らえたというニュースが入ってきて王弥をそのことに激しく嫉妬しますが、株価下落で弱り目状態だった王弥はあえて、石勒を称賛する手紙を送ります。
曰く、
「石勒君が名将の苟晞を捕らえて、採用したと聞きました。まさに神!苟晞を石勒君の左に置き、私をば右に置いてくれましたら、天下はもう定まったようなものですよ!」
この王弥からの手紙を読んだ石勒は張賓に言います。
「うわっ!キモッ!!王弥の野郎普段は尊大なくせに、この手紙がこんなに下手に出ててキモいのは、わしを騙してやろうという気が満々だなこれ。」
張賓は答えます。
「このキモい手紙をみるに、王弥はかなり弱っていますな。この機に乗じて王弥のキモ野郎を誘い出して、捕らえてしまいましょう。」
このような、石勒と参謀・張賓の会話が交わされていたのですが、すぐにはチャンスがありませんでした。
石勒の暴力的TOB
しかしそのあとチャンスが訪れます。
石勒は、乞活の陳午というやつと一緒に、陳留の浚儀県にある蓬關を攻めようとしていました。
そして、王弥は同時期、劉瑞の勢力と対峙しけっこうピンチになっていました。王弥は石勒に救援を求めます。
石勒ははじめ「ピンチの王弥ざまあ」と思う気持ちと、陳午との先約を気にして、王弥への援軍を許可しませんでしたが、ここで張賓が進言します。
「石勒様はかねてから王弥排除のチャンスを伺って来ましたが、なかなかそのチャンスは訪れませんでした。今、天が王弥を我々のもとに差し出すチャンスをくれたのです。陳午などは小物の青二才です。奴との約束など心配することではありません。それよりも、王弥は人傑であり早めに除くべきです。」
そこで石勒は兵を率いて劉瑞へ攻撃をしかけ、これを討ち取ります。ピンチを脱した王弥は大感激して「石勒君は心の友」とばかりに信頼しちゃいます。
10月になると、石勒は王弥を飲み会に誘います。石勒を「我が心の友」とばかりに信じ切っていた王弥は配下が止めるのも聞かずに石勒のところに飲みに来て、飲み会が開始されます。
そして、これが石勒名物・「暴力的TOB」の開始にもなります。
宴もたけなわのころ、石勒はみずからの手で王弥を斬殺、そのままの勢いで王弥の勢力をまとめて吸収合併します。
「TOB(株式公開買い付け)を成功させる一番の方法は、相手のトップを取る(殺る)ことである」と石勒が言ったかどうかはわかりませんが、石勒はこのビジネスメソッドで自分の会社(現状は漢の小会社だが)を大きくしていきます。(漢に加入直後にも同じようなことをしている)
漢の社長・劉聡はこの石勒の行いに激怒しますが、今石勒に離反されると漢としてもまずいので、官職を追贈するなどけっこうヘコヘコしています。
なにはともあれ、王弥の勢力を吸収した石勒の勢力はかなり大きくなったでしょう。
そして、このあと今後の石勒軍団の主攻を担うことになるあの男が加入してきます。(トラ!)
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【参考文献】
三崎良章『五胡十六国、中国史上の民族大移動』【新訂版】(東方書店、2012年10月)
川勝義雄『魏晋南北朝(講談社学術文庫)』(講談社、2003年5月)
『晋書』『資治通鑑』
五胡十六国: 中国史上の民族大移動〔新訂版〕(東方選書43)
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