五胡十六国時代 前燕の落日㊴ 四代目慕容暐 ~前燕滅亡への道~ 「最終回」前秦の前燕への侵攻:前燕の滅亡・慕容魂は永遠に不滅です

中国史

こんにちは。

前秦の前燕侵攻は順調に進み、

①洛陽攻略
②并州攻略(壺関と晋陽の攻略)
③「潞川の戦い」で前燕軍30万を撃破
④前燕の都・鄴を攻略

と国都・鄴を陥落させるところまで行きます。

そして、鄴陥落時に鄴城を脱出し、北へ逃走中の前燕皇帝・慕容暐の追跡と、前燕の残党の掃討戦へ進んで行きます。

前燕滅亡しちゃうんです。

赤枠を拡大した地図が下記

五胡十六国時代のおおまかな流れはこちら

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中華の成立: 唐代まで (岩波新書)


江南の発展: 南宋まで (岩波新書)


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王猛が、「慕容恪様の再来じゃ」と前燕の民衆に崇められる

さて、話が少し戻りますが、資治通鑑に下記のようなエピソードが書かれています。

前秦軍が鄴を包囲する前まで、前燕の首都・鄴の周辺では、行政がうまく行われておりませんでした。しかしそこに王猛が到着するとまたたくまに問題をおさめ、その出す命令は厳格で公明で、軍が狼藉を行うことはまったくなく、法は簡潔にし、政治は寛容にし、前燕の民衆は各々が自分の仕事に従事できたといいます。

この有様を見ていた前燕の民たちは口々にこう言い合いました。

「今日また太原王を見ることができるとは思わなんだ!」

太原王とは、すなわち慕容恪のことです。

三代目慕容儁亡き後、前燕の実権を握り、前燕の最大領域を築き上げた、一部では「五胡十六国時代、随一の名将」とまで言われた男です。

慕容恪時代、前燕はたしかにアゲアゲで領土を拡大しましたが、急激な領土の拡大と、税のごまかしが横行するなどの「緩い政治」が行われ、先を見据えた国作りでは少し疑問が残ります。しかし、慕容恪が前燕の民衆たちから絶大な人気を誇っていたのは間違いないようです。

王猛は鄴到着してすぐに公正、簡潔、寛容な統治を行い、前燕の民草の心を掴んでしまったようです。

ちなみに王猛も、前燕の民衆が慕容恪と自分を比べ讃えていることを聞き、嘆息して言ったそうです。

「慕容玄恭(慕容恪のこと)とは、真に優れた人物だったようだな。古(いにしえ)の『仁愛の徳』は彼が体現していたことであろう。」

と、「すなわち儂もそう」と言わんばかりに褒めて

慕容恪を祭ったそうです。

慕容暐の逃避行

さて、鄴陥落時に城を脱出し、前燕のかつての都・龍城を目指す慕容暐ですが、脱出時は千騎の護衛が着いていました。しかし、どんどん減っていき、最後には十数騎が従うのみになってしまいました。

この逃避行は困難を極めましたが、慕容暐の横にはつねに孟高という家臣が侍り慕容暐を守っていました。

鄴と龍城の位置関係。ものすごく距離が離れているぞ。

盗賊などにも襲われながら何とか切り抜け先へ進みました。

数日進んで、福禄という地に着き休息をしているとき、盗賊20人に襲撃されました。

応戦しますが、この戦闘で慕容暐の忠臣の二人、孟高と艾朗が慕容暐を守り討ち死にしてしまいます。

なんとか盗賊どもの襲撃を切り抜けた慕容暐ですが、馬を失い、徒歩で逃避行を続けることになります。

慕容暐確保

さて、前秦も当然逃走した慕容暐を追うために追手を出しています。

追手の将・郭慶は高陽で慕容暐に追いつき、配下の巨武に慕容暐を捕らえさせようとします。

捕らえられる寸前、慕容暐はこう言い放ちます。

「無礼者!お前のような小人が、天子を捕らえようというのか!!」

巨武はこう答えます。

「俺は天子(苻堅様)の命を受け賊を捕らえるのだ!どうしてお前が天子なんぞであるものか!バーカ!」

哀れ、慕容暐はあっさりと捕獲され、苻堅様の元に連行されました。

苻堅様、捕らわれの慕容暐と面会する

さて、慕容暐は捕らえられたあと、苻堅様がいる鄴へ連行され、そこで苻堅様と面会します。

苻堅様は慕容暐がすぐに降伏せずに龍城へ向かい逃走したことを責めますが、慕容暐はこう答えます。

「狐は死するとき、その首を住んでいた丘の方に向けると言います。私も死ぬときは先祖の墓がある龍城で死のうと思ったのです。」
※この慕容暐が言ったセリフは「首丘」という成語を引用しており、キツネが死ぬときにその首をもと住んでいた丘の方に向けることから、もとを忘れないことや故郷を思うことのたとえに使われている。

苻堅様は慕容暐を哀れみ、縄を解かし、鄴の宮殿に帰らせ、あらためて文武の官を彼に従わさせ降伏をさせました。

ここに前燕という国は滅びました。

慕容暐は、苻堅様にお願いをし、逃避行の最中に自分を守り、討ち死にした孟高と艾朗の忠誠に報いて欲しいと訴えました。

苻堅様はこれを聞き入れ、二人を厚く弔い、その子どもたちを郎中に任命したと言います。

苻堅様の明君ぶりはさすがです。

慕容暐もこの話を見ると決して暗君や阿呆の類ではないはずです。

前燕の残党を掃討

さて、高陽で慕容暐を捕らえた郭慶はそのまま東北に向かい、龍城まで至ります。前燕の残党狩りがはじまります。

慕容評確保

前燕滅亡の真の立役者・慕容評は慕容暐が捕らえられたあとも逃げ延び、しぶとく高句麗に亡命しますが、高句麗によって捕らえられ前秦に送り返されます。

慕容桓確保(死亡)

鄴が陥落する前に、龍城方面に逃走した慕容桓ですが、龍城の守将・慕容亮をあろうことか殺し、その兵を自分のものにし、さらに東の遼東に逃走しました。

慕容亮は、慕容垂の息子・慕容令が王猛の罠にはまり、前燕に再亡命して遼東・遼西で反乱を起こしたときに登場した将軍でしたね。

遼東に着いた慕容桓ですが、遼東太守・韓稠はすでに前秦に降伏しており、慕容桓を受け入れませんでした。慕容桓は韓稠を攻めますが勝てません。

そうこうしているうちに、郭慶が派遣した将軍・朱嶷が慕容桓を攻撃し撃破します。慕容桓は単騎で逃走しますが、朱嶷に捕らえられその場で殺されてしまいます。

こうして、前燕の残党の掃討も終わりました。

苻堅様、前燕の併合を高らかに宣言す

遼東・遼西での前燕残党の掃討戦が終わると、前燕の諸州の州牧(州の長官)や、前燕に従っていた異民族の酋長たちはことごとく前秦に降伏しました。

157の郡、246万の戸、999万の人民を前秦は獲得し、前燕の宮人、珍宝は、将士に分配し、詔を下し、大赦し、ここに高らかに前燕の併合を宣言しました。

370年前秦の前燕併合直後の地図

12月になると、苻堅様は慕容暐以下、前燕の后妃、王公、百官、鮮卑の民4万戸を引き連れ、長安に凱旋しました。

慕容暐や慕容評、その他前燕の臣下は処刑されることなく、そのまま前秦の臣下として仕えることになります。

まさに五胡十六国時代の英主・苻堅様の徳行ここにありと思いますが、13年後、このことも仇の一つとなってしまいます。

慕容ソウル(B SOUL)は永遠に不滅です。

こうして、慕容廆からはじまり、慕容廆、慕容儁、慕容暐と四代まで続き、遼東・遼西の地から中原に侵攻し、華北東部を支配する大国を築き上げた、慕容鮮卑の物語はここに一旦終わりを告げます。

しかーし!

慕容鮮卑を体現する「慕容魂(B SOUL)」は永遠に不滅なのです!!

13年後、苻堅様がやらかし、天下が再度乱れると、慕容魂を持つ男たちが新しい「燕」国を建てるため立ち上がります。

そのことは、またこのブログでも書いていきたいと思います。

しかしここで「前燕」に関してのシリーズは一旦終わりたいと思います。

慕容魂(B SOUL)よ永遠に不滅たれ

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【参考文献】
三崎良章『五胡十六国、中国史上の民族大移動』【新訂版】(東方書店、2012年10月)

川勝義雄『魏晋南北朝(講談社学術文庫)』(講談社、2003年5月)
『晋書』『資治通鑑』

 

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