こんにちは。
慕容評と太后・可足渾氏によって命を狙われた慕容垂は、息子の慕容令の策を実行に移し、前燕の元の首都・龍城への避難を進めます。
大陸での狩りを理由に鄴を出発しますが、邯鄲まで来たところで息子の一人、慕容麟に密告され追手を差し向けられてしまいます。
冀州から幽州に入ったところにある范陽で追手の慕容強に追いつけれますが、なんとか切り向け、龍城への避難を諦め、前秦への出奔へと策を切り替えます。
方向転換し、鄴方面へ引き返し、後趙の皇帝で五胡十六国時代でも屈指の暴君と称えられる(?)石虎が葬られた顯原陵という場所で待機しているときに、五百人もの猟者に囲まれ絶体絶命の危機に陥りますが、なんだかよくわからない奇跡が起こり、危機を脱します。
そうこうしながら慕容垂のおもしろ旅行・・もとい、悲壮な旅は続きます。
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五胡十六国時代を描いた小説。前燕の慕容垂、慕容徳、慕容評も出てくるぞ↓↓
慕容令、出奔前に鄴城突撃を献策してみる
さて、前秦に向かおうとするとき、慕容令は慕容垂に一個の策を献策します。
「太傅(慕容評)のクソ野郎は、賢才を忌み嫌い、能力あるものを妬んでおります。今回の父上への誅殺騒ぎが始まって以来、人々は今回の父上への仕打ちに怒り恨んでおります。今、鄴城の内部では、父上がいなくなったことを、子供が母親のことを思うのとおなじように心配しております。これは夷(胡人)も夏(漢人)も同じです。もし人々の思いに従うならば、太傅たちが備えをしていないスキを突き鄴を襲撃すべきです。勝利を得ることは、手のひらを指差すがごとく簡単でしょう。事が定まってから、国の弊害を変革し、能力あるものを選び、多いに朝政を正し、主上(慕容暐)を補佐し、国を安んじて、家を保てば、功の大なること間違いなしです。今のチャンスを逃してはなりません。私に騎兵数人をお貸しいただければ、滞りなく事を成せるでしょう。」
これに対して慕容垂は、
「お前の謀は、たしかに成功すれば素晴らしいが、もし失敗してしまったら悔いが大きすぎる。今は西に逃げるのが一番だ。」
と、鬼の日和見を決め込みます。
慕容馬奴逃げる
こうして、慕容垂一行は鄴をスルーし西へ向かいます。
このあと、「資治通鑑」には、子の馬奴が密かに逃げ帰ろうとしたのでこれを殺して進む、などということがあっさり書かれているのですが、慕容垂は、慕容麟だけでなくまたもや裏切られるという。ちょっとかわいそうになってきました。
※この「馬奴」は三崎良章『五胡十六国、中国史上の民族大移動』に掲載されている系図で慕容垂の息子の「悪奴」のことか?
好かれる人には好かれるが、嫌われる人には徹底的に嫌われてしまう人なのかなと思ってしまいました。
洛陽で一族郎党を広い前秦に逃げる
さて、慕容垂は河陽という黄河の北岸の地(そこから黄河を渡りまっすぐ南下し、邙山を超えれば洛陽に着く)に着き、ここで川を渡ろうとしますが、津吏の役人に止められてしまいます。ということでこいつを斬り捨て川をなんとか渡ります。
そして、洛陽にたどり着き、ここで段夫人、息子・慕容令、慕容實、慕容農、慕容隆、兄・慕容恪の息子慕容楷、舅の蘭建、郎中令の高弼たちと合流し一緒に前秦へ出奔しました。
段夫人は、慕容垂の前の婦人の段氏(成昭皇后、先段后)の妹です。今の太后・可足渾氏によって、慕容儁在生時に、罠にはめられ拷問の末殺されていしまいます。(ちなみに慕容儁は慕容垂を嫌っていたので、慕容垂も連座させようとした)
慕容垂は先段后と死別したあと、この段夫人と再婚しましたが、太后・可足渾氏によって段夫人と離婚させられ、太后・可足渾氏の妹の可足渾氏(長安君)と無理やり再婚再婚させられます。慕容垂は前秦出奔時に、この可足渾氏(長安君)は鄴に置き去りにします。
洛陽から前秦へ向かっているときに、乙泉戌主の呉帰というものが追手として、閺郷という地で追いつきますが、慕容令によって撃退されてしまいます。
こうして、慕容垂はなんとか前秦にたどり着き、長安に至り、前秦皇帝の苻堅様と対面します。
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【参考文献】
三崎良章『五胡十六国、中国史上の民族大移動』【新訂版】(東方書店、2012年10月)
川勝義雄『魏晋南北朝(講談社学術文庫)』(講談社、2003年5月)
『晋書』『資治通鑑』
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