最近、見どころが増えている城。しかもGWでも混んでいないおすすめスポット 駿府城 さすがは天下普請の城。ポテンシャルが凄い!

歴史

こんにちは。

GWは、静岡に一泊二日の旅行に行ってきました。静岡と言っても、熱海・伊豆や富士山のようなザ・観光地ではありません。静岡市内です。

そして、静岡市と言ったら、やはり駿府城です。

静岡駅から徒歩数分の静岡の官庁街の建物が並ぶところにある、超街中にあり行きやすい城、駿府城を城攻めしました。

東御門

駿府城の歴史

駿府城は、現在駿府城公園となっており、市民の憩いの場となっておりますが、その駿府城の歴史をみてみます。

駿府城の「駿府」は駿河の府という意味です。

この駿府城がある土地は静岡平野の中でも最も標高の高い場所にあたり、よく氾濫をしていた安倍川の水害にも被害が少なく、居住地に適した場所でした。古くは弥生時代からこの地に居住地があったことが分かっています。そして、奈良時代には、この場所に官衙(役所)が置かれ、駿河国府もこの地に置かれていた可能性が高いそうです。

今川の城

室町時代の初期に今川氏が駿河国守護になり、今川義元の時代には、駿河・遠江・三河の3ヶ国に及ぶ範囲に領土を拡大しました。


今川氏の本拠地である駿府今川館は、今の駿府城公園の一画あたりにあったと推定されています。

その後、今川氏は義元が桶狭間の戦いで織田信長に討たれて、今川氏真が跡を継ぎましたが、どんどん勢力を弱め、武田信玄による駿河侵攻により駿河を追われてしまいます。その武田氏も天正10年に織田信長によって滅ぼされ、駿河は徳川家康の所有になりました。

家康の城

家康は本能寺の変のあとに起こった、武田氏の旧領をめぐる争い「天正壬午の乱」で、元々所有していた三河・遠江・駿河に加え、甲斐・信濃の所有に成功します。




この所領拡大によって、天正13年家康は今川館があったあたりに駿府城を建設し、天正14年に拠点を駿府に移しました。

家康はその後豊臣秀吉の命令により関東に移封になり、駿府城は豊臣の武将中村一氏が城主になりました。

そして、関ヶ原の合戦後、家康は江戸に幕府を開き、二年後には将軍職を子供の秀忠に譲り大御所になり駿府城に移り、慶長12年天下普請により駿府城を大改築します。

現在の駿府城公園はこの大修築でできた駿府城がベースになっています。

大御所期の家康像

駿府城の見どころ

駿府城の跡は、上記のように、現在、駿府城公園として市民の憩いの場となっているのですが、見どころは公園内にたくさんあります。

その中でも、今回私が一番興奮したのはなんと言っても、発掘調査によって姿を現した天守台です。

天守台の姿

天守台は、明治時代に取り壊され埋められました。このたび120年ぶりに地下に埋もれていた天守台やその石垣の姿を見ることができるようになったのですが、さらに今回の調査によって新発見された、天正期と慶長期の家康の駿府城の間に建築された「秀吉の駿府城」(豊臣方)の石垣も見ることができます。

しかも作られた時代が違うことから、豊臣方の石垣と家康の石垣の積み方の違いもわかります。

この、姿を現した天守台を見るだけでも、駿府城に来る価値はあると思います。

天守台以外にも、公園内には東御門・巽櫓や、坤櫓などが復元されていて、内部がミュージアムになっており、様々な展示物が展示されています。

坤櫓は時間の関係で内部を見学できませんでしたが、東御門内に展示されている天守、本丸・二の丸、駿府の街の模型は精巧に作られており、一見の価値ありです。

また、紅葉山庭園の茶室で抹茶を飲みながら、庭園を眺めたり、城内各地にある御門や大きな堀など、たくさんの見どころがある城です。

しかも広いということもあり、GWにも関わらず、かなり空いている感があり、ゆっくりとまわれて、公園内の散歩も楽しめる素晴らしいスポットです。

現状すすめられている発掘調査や、櫓などの公園内の整備を考えると、今後もっと多くの観光客を呼べる城になってもおかしくない城です。

追記:静岡おでん、めちゃくちゃ美味しかった!

 



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