石勒 五胡十六国時代の黒き英雄王 第二部「漢の将軍として戦う」⑦ 311年 晋の残党の動きと、長安陥落

石勒

こんにちは。

は、重鎮で八王最後の生き残りの司馬越が晋国内各方面から嫌われ、挙句の果てに病死してしまいます。

その司馬越から後事を託された王衍も、直後の司馬越の葬儀を石勒に襲われ、情けない最後を見せてあっさり死亡。

晋の皇族・重臣も石勒に殲滅されます。

晋が風前の灯の最中、漢の劉聡洛陽攻撃を開始、何回か漢の攻撃を跳ね返した洛陽でしたが、漢の総攻撃を受け落城、洛陽の街は灰燼に帰し、多くの晋の皇族・重臣が殺害もしくは捕虜になってしまいます。

晋の皇帝(懐帝)も洛陽陥落時に漢に捕らえられて平陽に連れされられてしまいました。

風前の灯も消えたような状態でしたが、実はまだ晋(西晋として)滅亡しません。あと何年が生きます。

なんともしぶとい司馬氏の馬野郎どもです。

我らが石勒はこのとき、迷走しながらも勢力を伸ばす動きをしていってます。

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晋の残党どもが各地で勢力を保つ

首都の洛陽が堕ち、皇帝が捕虜になってしまいましたが、まだ晋は残党が各地で勢力を保っていたり、各地で兵を挙げたりしていました。

河南エリアでは、司徒の傅祗行台(臨時の役所)河陰に設置します。また、荀藩華薈に行台を設置します。傅祗は四方に激を飛ばし、江南の司馬睿を盟主にしました。

元の皇太子の弟、豫章王・司馬端は洛陽陥落後、東の倉垣に逃げ、ここで苟晞と合流します。苟晞は司馬端を皇太子にして、倉垣から蒙城に移動しここに駐屯します。

また、秦王・司馬鄴荀藩の元に逃げ、その後許昌へ移動します。

そして、華北の大乱の中、江南は比較的安寧であり、乱を逃れた人々が続々と長江を渡っていました。江南の建業にいた司馬睿王導の進言で、賢才たちを登用していました。この時期に登用された人物には。のちの東晋の重要人物たちもいました。

あとは、幽州には王浚晋陽には劉琨関中の長安には南陽王・司馬模がおり、洛陽を落としたと言っても、まだまだ各地に晋の残党どもが残っていました。

漢の長安攻撃

長安攻撃

前述の長安駐屯の南陽王・司馬模ですが、趙染という将軍を蒲坂へ派遣して守備させます。

蒲坂は漢の首都・平陽から南西へ行き黄河にたどり着いたところにある、重要な黄河の渡し場で、平陽がある河東エリアから関中に入るときに通らなければならない、超重要スポットです。

漢から関中を守るための、的確な指示だと思いますが、なんとここで馮翊太守を求めるも断られてしまった趙染が怒って手勢とともに漢に降伏をしてしまいます。

晋は皇族も家臣もクソクソですね。

漢の君主・劉聡はこれはチャンスだと、降ってきた趙染安西將軍・劉雅に2万の兵を率いさせ、長安攻撃を開始します。

漢は、河內王・劉粲、始安王・劉曜に大軍を率いさせ別働隊として後に続けさせます。

趙染は潼関で司馬模の兵を破り、長駆して関中内の下邽まで到達します。下邽は渭水が黄河に合流する地点から西に進んだ渭水の北岸にあります。

漢軍、蒲坂から黄河を渡り関中に入ると思いきや、南に黄河を渡り潼関を抜いて関中に入ったのですね。

名将・北宮純、漢へ降る

ここで、涼州の張軌勢力(のちに前涼となる)から出向してきていた将軍・北宮純(このとき長安にいた)が漢にあっさり降伏してしまいます。

過去、獅子奮迅の活躍で漢の攻撃から晋を守った名将も、晋のクソぶりに愛想をつかせたのか、自分の手勢を従えての降伏でした。

長安陥落

その後、漢の兵は関中内を進み、ついに長安を包囲します。

司馬模は、将軍・淳于定を長安から出撃させ漢軍を攻撃させますが、返り討ちにされます。

長安は食料が乏しくなり、兵士がどんどん離散していき、支えきれなくなった司馬模は漢に降伏。長安は陥落しました。司馬模は劉粲の元に送られ処刑されます。

関中は、この時点で飢饉が続き、白骨死体が野を覆う、という状態で、兵士や民衆で生き残ったものは100人のうち1人か2人というひどい状況になっていたようです。

漢の君主・劉聡劉曜長安に駐屯させ治めさせます。

こうして、洛陽だけでなく、長安まで落とされ、古からの重要地点2つを失ってしまった晋ですが、これがまだ滅びません。かなりのしぶとさです。

石勒は・・・?

この回は、主人公・石勒が出てきませんでした。

次回は活躍します。石勒名物・暴力的TOBをしかけます。

 

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【参考文献】
三崎良章『五胡十六国、中国史上の民族大移動』【新訂版】(東方書店、2012年10月)

川勝義雄『魏晋南北朝(講談社学術文庫)』(講談社、2003年5月)
『晋書』『資治通鑑』


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