石勒 五胡十六国時代の黒き英雄王 第一部「戦乱の世に降り立つ」① 石勒の生い立ち

石勒

こんにちは。

今回から、石勒のシリーズをはじめます。

石勒は、苻堅、慕容垂などともに五胡十六国時代を代表する英雄の一人です。(ただし、極めてダークヒーローに近いと感じている)

私が五胡十六国時代に興味を持ち始めたとき、一番はじめにファンになったのは、この石勒でした。

この人物の魅力はなんといっても、奴隷という身分に堕ちながらも、その才覚から駆け上がり、後趙という国を建国、しまいには華北の大部分を制覇する君主になるという風雲児ぶりです。

また、石勒が這い上がっていく時代は、八王の乱により晋の世が混乱していき、その混乱の中、匈奴の劉淵によって建国された漢(のちの前趙)が対晋の戰爭を繰り広げていく、まさに五胡十六国の戦乱の幕が開けた時代です。

そして、五胡十六国時代の開始以降30年はまさに石勒の時代と言っても過言ではありません。

石勒を調べることは、300年頃から330年代までの五胡十六国時代を知ることと同じであると考えます。

今まで、このブログでは、五胡十六国時代全体の流れや、中盤以降のことが中心になっていましたが、このシリーズでは石勒を中心とした五胡十六国時代初期から前半について書いていきたいと思います。

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石勒の生い立ち

石勒は字を世龍と言い、元の名前はと言ったそうで、のちに「石勒」と改名するのですが、いろいろとめんどくさいので、このシリーズではすべて「石勒」で統一します。

石勒は、「上黨武鄉の羯人」です。

は五胡の一つに数えられますが、匈奴の一種とも言われています。諸説あるようですが、西方系の種族を中心とした諸種族の混血した雑胡で、匈奴に従属してその文化的要素を取り入れた人々であったようです。

石勒、羯の部族長の子として生まれる

石勒は、羯族の小部族の族長の子として274年に生まれました。元々は奴隷ではなく、部族長の家の出身だったのですね。

石勒が生まれたときに、「赤い光的なものが部屋中に満ちた!」などの中国の史書ではお約束の帝王生誕の逸話があったようです。英雄や帝王が生まれるときにほぼこのような話が史書に書かれているので、逆にありがたみがなくなるんじゃないかと思ってしまいます。

石勒が生を受けた上党郡の武郷は、并州(今の山西省)にあり、武郷は上党郡の中心地から北へ進み、太原に至るルートの途中にあります。

并州あたりには、匈奴などの胡族がこの時代多く住み着いており、石勒の部族もそのような中国内地に定住していた胡族であったようです。

五胡はすべてが中国に侵略してきたのではない

五胡十六国時代のイメージ(とくに昔の高校の世界史資料集などに掲載されている地図などを見ると)は、この時代に多くの胡族が大挙して中国国内に侵攻して来て、大混乱の五胡十六国時代がはじまった、というように思われがちですが、実際はそうでなく、何世代も前から中国内地に移動・定住していた胡族がかなりいたというのがほんとです。

五胡十六国のトップランナー劉淵も、そのような中国内地に定住していた匈奴です。

ただ、石勒の時代のあとに、台頭する鮮卑慕容部の前燕や、拓跋部の北魏などは、まさに塞外から強力な軍をともない中原に侵攻してきた勢力になります。

五胡の中で塞外から一気呵成に攻めかけてきた勢力のほうがむしろまれです。

慕容部や拓跋部のやつらは、五胡十六国時代の中でもかなりやべえ奴らなのです。

石勒の少年時代のエピソード

石勒の子供のころの逸話としては、14歳のころに同じ村のものと一緒に西晋の首都・洛陽に行商に言ったという話が晋書に書かれています。

洛陽の上東門で鼻歌歌っていたら、王衍という西晋の大貴族様が石勒を見かけ、左右のものにこう言ったそうです。

「あそこに見える胡族の少年はただものではない。のちに晋の天下の災いになるであろう。」

そして、石勒を捕まえようとしたのですが、石勒はすでにその場からいなくなっていたそうです。

あとづけ感満載な逸話ですが、のちの歴史を知るものから見ると、「王衍さん、晋のためにも自分のためにも、ここで石勒逃したの大失敗だったね♥」と言いたくなります。

もちろん、天でなくてはそのようなことはわかりません。

成長して部族を率いるまでになる

石勒は大人になると、心身ともにたくましい人物になったそうで、「雄武好騎射」と武力自慢の才を示したようです。

部族長である父親が、凶暴な性格から部族民から人気がなく、部族の人間はみんな石勒を頼ったそうです。

并州の飢饉により、胡族が散らばる

そのような人生を送っていた石勒ですが、大安年間(302~303年)に大きく人生が変転してしまいます。

すでに西晋を滅亡に導いていく八王の乱が進行しており、世の中は乱れて来ていたのですが、石勒のいた并州でも追い打ちとばかりに大飢饉が起こってしまいます。

これにより石勒の部族を含む胡族の小集団は、生活や集団を維持できなくなりバラバラに分散してしまいます。

石勒も頼れる人や場所を求めてさまよい続けます。

そして、甯駆という昔から信頼していた人物を頼ろうします。このとき晋の都尉の劉監が石勒を捕まえ売ろうとしますが、甯駆が匿い難を逃れます。その後石勒は、別の都尉の李川を頼ろうとしそこに向かいます。

その途中、飢えと寒さで死にそうになっているところ、これも昔からの信頼できる知人の郭敬さんという人物とたまたま出会い、泣きながら助けを求めます。郭敬という人は非常にいい人だったようで、ボロボロの石勒に大いに同情し、食事や銭や衣服をくれました。

奴隷狩りにあい、奴隷になってしまう

このようなひどい状態でも、なんとか生き延びて来た石勒ですが、さらなる不幸が襲います。

司馬騰の奴隷狩り

并州刺史の東嬴公・司馬騰などは、飢饉や内乱の中、山東方面の胡族を捕らえてそれを売り、軍費を調達するということを思いつきます。

皇帝一族が人身売買で糧を得ていく。やばいっすね~。

この司馬騰は、司馬懿仲達の弟の孫になり、八王の一人である司馬越の弟になります。

司馬騰自身は八王の一人ではないのですが、八王の乱時にそこそこ目立った動きをする司馬一族です。

この司馬騰の奴隷狩りによって石勒も狩られてしまい、奴隷として連れられていきます。

奴隷狩りの将、張隆によって石勒は痛めつけられますが、この奴隷狩りの隊には、前述郭敬さんの族兄である郭時郭陽という人物たちがおり、郭敬さんから言い含められていた彼らは何かと石勒を助けてくれたようです。

若い時の石勒はまさに郭敬さんのおかげで命を繋いだようなものです。

茌平の師懽の奴隷となるも解放される

その後、石勒は茌平の師懽という人物に奴隷として売られます。この師懽という人物も石勒が只者ではないと感じたようで、石勒を奴隷の身分から解放したと言います。

晋書には石勒の若い頃の「只者ではないエピソード」がいくつか載っていますが、かなり眉唾です。

汲桑とマブダチになり、一緒に群盗をやってみる

さて、師懽の家の隣に牧場があったようで、そこの牧師の汲桑石勒は、石勒が馬を見る目が優れていたこともありマブダチになり、石勒は汲桑を頼るようになります。

このころから、石勒は武安や臨水などで傭兵をしたり、赤龍や騄驥の牧場へ侵入して馬を盗んだり、遠出をして絹や宝を盗んで汲桑に渡したりすることをやっています。

完全に群盗になっています。

ちなみにこのころ、18人の人物が石勒の配下になり、こののちの石勒の創業を支えていきます。こいつらを「石勒十八騎」と言います。といっても全員群盗ですが。

 

世の中が乱れている中、汲桑とともに群盗としてまあまあの活躍をしていた石勒ですが、

ついに、304年以降歴史の流れの中に、その名を顕してきます。

時代は、八王の乱が激化し、匈奴の劉淵が晋から自立し漢を建国する頃です。

 

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【参考文献】
三崎良章『五胡十六国、中国史上の民族大移動』【新訂版】(東方書店、2012年10月)

川勝義雄『魏晋南北朝(講談社学術文庫)』(講談社、2003年5月)
『晋書』『資治通鑑』


五胡十六国: 中国史上の民族大移動〔新訂版〕(東方選書43)


魏晋南北朝 (講談社学術文庫)


 

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