五胡十六国時代 河西回廊の魔法使い・沮渠蒙遜⑱ 421年~422年 北涼と西秦の戦役が勃発1

北涼・沮渠蒙遜

こんにちは。

421年3月、敦煌を水攻めで陥落させた沮渠蒙遜の北涼は、西涼を滅ぼし、とうとう河西回廊を統一します。

397年に後涼から独立してから20数年にして、後涼、北涼、南涼、西涼と淝水の戦い後に4つの「涼」が乱立した河西回廊を、その智謀一本で統一した沮渠蒙遜は「河西回廊の魔法使い」の称号にふさわしい人物と言えましょう。

河西回廊の覇者となった沮渠蒙遜ですが、河西回廊というのは、中国本土からみると西の果ての辺境の土地に過ぎません。

沮渠蒙遜が河西回廊を統一した421年には、後燕から中原を奪った拓跋鮮卑の北魏がその戦闘力を遺憾なく発揮してきており、南方でも東晋を簒奪した劉裕の宋が建国まもなくピチピチな状態でした。華北西部でも、後秦滅亡後、関中を占領していた東晋から関中を奪ったが関中からオルドスあたりまでを領土にして大国となっていました。

383年の淝水の戦いの戦い後、割れに割れまくっていた華北も、420年を過ぎた頃になると、エリアごとにいくつかの大国を中心に収斂してきている状態になってきました。

河西回廊を手にいれた沮渠蒙遜はこのような状況の中どのような舵をとっていくのでしょうか?

あ、国力的にみると北涼、圧倒的に不利ですよ(´Д`)

421年北涼が河西回廊を統一した頃の勢力地図

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西秦との衝突が再開する

河西回廊を北涼が統一して、西のほうには北涼と衝突する国はいなくなりました。

そうすると、東のほうに国境を接する西秦との争いが再開することは避けられません。

北涼が西涼を攻撃しているときは、背後にあたる西秦とは同盟を結んでいましたが、西涼が滅んだ今、西秦と同盟を継続する理由はありません。

隣り合う国同士は敵対するのです。

五澗の戦い

沮渠蒙遜は西涼を滅ぼした直後の421年7月に、右衞將軍・沮渠鄯善建節將軍・沮渠苟生に7千の兵を率いさせ、西秦を攻撃させます。

これに対し西秦君主・乞伏熾磐征北將軍・木弈干に5千の兵を率いさせ、北涼軍を迎え撃ちます。

両軍は五澗の地で戦い、西秦軍が北涼軍を破り、沮渠苟生を捕らえました。

ちょうしに乗って攻め込むと、手痛い敗北を喫する沮渠蒙遜の「攻め戦下手」は健在です。

唐契の乱

そして、同じ年、北涼の晉昌太守・唐契が反乱を起こします。沮渠蒙遜も跡継ぎの沮渠政德を鎮圧に派遣しますが、鎮圧するにはしばらく時間がかかります。

続いていく西秦との戦い

422年7月にも沮渠蒙遜は、前將軍の沮渠成都に1万の兵を率いさせ、嶺南に兵を展開させ示威行動をさせ、その後、兵を返し五澗の地に駐屯させます。

西秦も征北將軍・出連虔に6千の兵を授け沮渠成都を討ちに向かわせます。

10月に出連虔沮渠成都と戦いこれを捕らえ、北涼軍を撃退します。

このように、421年の河西回廊統一直後から、西秦との争いがはじまり422年も戦い続けます。

この流れは、423年以降も続いていきますが、このあと、外交により北涼、西秦ともに大国の後ろ盾を得ようとし、その力を借りながら、北涼vs西秦の戦いは続いていきます。

423年頃の全国地図

【参考文献】
三崎良章『五胡十六国、中国史上の民族大移動』【新訂版】(東方書店、2012年10月)

川勝義雄『魏晋南北朝(講談社学術文庫)』(講談社、2003年5月)
『晋書』『資治通鑑』
来村多加史『万里の長城 攻防三千年史』 (講談社現代新書、2003年7月)


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