五胡十六国時代 河西回廊の魔法使い・沮渠蒙遜④ 北涼が後涼の混乱の最中に勢力を広げていく

北涼・沮渠蒙遜

こんにちは。

383年の淝水の戦いの敗退によって、解体分裂が進んだ旧前秦領の中で、河西回廊は西域遠征から戻ってきた呂光が自立、姑臧(今の武威)を本拠に後涼を建国します。

396年頃の勢力地図

しかし、呂光は君主としては出来がよろしくなく、さらに高齢により耄碌、老害化し、国内に反乱が起きまくります。

そういう混乱の中、沮渠蒙遜の叔父二人も西秦攻撃の失敗を理由に処刑されてしまいました。

沮渠蒙遜は、特殊技能「アジテート(扇動)」という魔法を使用できますので、この出来事をだしに部族民たちを見事「アジテート(扇動)」し、後涼への反乱を起こします。

沮渠蒙遜自体は後涼の討伐軍の前に、あっさり敗北を喫しますが、沮渠蒙遜の反乱に呼応した、沮渠男成が兵をあげ、酒泉を奪い、後涼の建康太守だった段業を君主に祭り上げ、397年5月北涼を建国します。

沮渠蒙遜も合流し、段業を沮渠蒙遜と沮渠男成の二人がバックアップする体制を敷きます。

そして、後涼の反乱続きの状況を尻目に勢力拡大を目論みます。

河西回廊を含む、長安から敦煌あたりまでの地図

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後涼の国内事情

さて、沮渠蒙遜たちが北涼を立ち上げた時期前後の後涼国内ですが、まず沮渠蒙遜たちより早く、397年1月には鮮卑禿髪部禿髪烏孤(とくはつうこ)廉川堡で自立し、南涼が建国されました。

禿髪部は北魏の拓跋部の一部であったそうで、拓跋と袂を分かち甘粛方面に流れてきたそうです。拓跋(たくばつ)と禿髪(とくはつ)、似てますね。

397年は後涼国内から南涼と北涼の2勢力が独立するという後涼にとっては、踏んだり蹴ったりの状況でした。

ちなみに「後涼」「南涼」「北涼」、この少しあとに自立する「西涼」と、●涼がこの時代4つも出てきますが、本人たちはそれぞれ「涼」と名乗っており、自分たちが本物の「涼」と考えていました。後世の人がわからなくなるので、区別しやすいために「後」「南」「北」「西」を国名につけています。このブログでも「後」「南」「北」「西」をつけて表記する予定です。

後涼の反乱燃え上がり、南涼や西秦も攻めてくる

禿髪烏孤南涼段業(沮渠蒙遜たち)北涼が後涼から独立したあとも、後涼国内では反乱が続きます。

397年8月、漢人の郭黁が姑臧の西苑で反乱を起こします。

司馬の楊統が郭黁に付きます。

張捷・宋生が休屠城(姑臧のすぐ近く)で反乱を起こします。

張捷・宋生は、後涼の後将軍・楊軌を盟主にしようとし、楊軌も呼応し、反乱を起こします。

まさに反乱のオンパレードです。

呂光の庶長子・呂纂姑臧に援軍に来て、負けをくらったりもしながらも、郭黁の将軍・王斐を姑臧の城西で破り、郭黁の勢いはなくなってきます。

郭黁はこれはまずいと、禿髪烏孤に援軍を求めます。禿髪烏孤はこれに応じ、禿髪利鹿弧に5千の兵を授け援軍に向かわせます。

国内の反乱だけでなく、南涼からも兵が送られて来ました。

しかもそれだけでなく、398年1月には、後涼国内の様子を見て、西秦乞伏乾帰乞伏益州に後涼の支陽・鶉武・允吾を攻撃させます。

この3地点は、金城(今の蘭州)の少し西のあたりになります。

2月には、楊軌が2万の兵を郭黁の援軍に向かわせ、禿髪烏孤は、禿髪傉檀に1万の兵を授け楊軌を助けさせます。

呂纂が楊軌を攻撃すると、郭黁が助け、呂纂は敗北します。

このように後涼は内憂外患極まれりの状態に陥り、その状況を見ていた沮渠蒙遜たちは、勢力拡大を目論みます。

北涼、西郡や敦煌や張掖を手に入れる

沮渠蒙遜の西郡攻略

398年4月北涼の君主・段業沮渠蒙遜西郡を攻めさせます。

西郡は姑臧の西にあり、「嶺之要」に位置する町だそうです。地図を見ても河西回廊の中でも両サイドに山地が迫っている狭い場所のようで、沮渠蒙遜曰く、

「ここは必ず取らないといけない場所」

だったようです。

河西回廊を含む、長安から敦煌あたりまでの地図

沮渠蒙遜は、水攻めをの計略を使い、見事城を陥落させ太守の呂純を捕らえました。乾いた河西回廊でも水攻めができるんだなと驚きました。

晋昌と敦煌も獲得

さて、西郡の陥落の知らせを聞き、河西回廊の西エリアの、晋昌敦煌の後涼の太守たちも北涼に降伏しました。

北涼の領地は酒泉、建康と河西回廊の真ん中あたりを押さえ、さらにこのたびの沮渠蒙遜の西郡奪取で姑臧からの援軍は来ないと考えたのだと思われます。

沮渠男成の張掖攻略→張掖へ遷都

6月には沮渠男成が北涼領地の中にぽつりと浮かんでいた張掖を陥落させ、段業張掖に移り、張掖が北涼の首都になります。

北涼は、西郡と張掖を獲得。その後、敦煌と晋昌も太守が降伏してきて獲得。 同時期に後涼は、姑臧周辺で反乱が続発し、南涼も反乱軍の援軍で進撃してくる。 南涼は西平方面に勢力を広げていく。 西秦も後涼の金城県周辺を攻撃し、多くの人を捕虜として去っていった。

この西郡、晋昌、敦煌、張掖の獲得によって、北涼の勢力は河西回廊の中でもかなりの広さに一気にひろがりました。

そして399年段業は涼王に即位します。沮渠蒙遜も尚書左丞に任命されます。

399年頃の河西回廊周辺勢力図

399年頃の勢力地図

北涼、順調そうだけど・・・

北涼の勢力拡大様子をみていると、沮渠蒙遜と愉快な仲間たちも順風満帆かと思われますが、そうは問屋が卸しません。

現在は後涼がやばい状態(当然のように近いうちに滅びます)ですが、このあと北涼もやばい状態に陥っていきます。しかしそこからが沮渠蒙遜の本領発揮となります。

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【参考文献】
三崎良章『五胡十六国、中国史上の民族大移動』【新訂版】(東方書店、2012年10月)

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