中国史上最大級の戦乱の時代、五胡十六国時代。その各国の攻防を描く ~東北からの疾風、前燕の中原侵攻~⑮ 慕容儁、皇帝に即位する

中国史

こんにちは。

前燕は石虎死後大混乱に陥った華北に侵攻して、冉魏と交戦します。

前燕の将軍・慕容恪の卓抜した戦術で冉魏の皇帝・冉閔との戦いに勝利し、冉閔を捕らえ龍城に送り斬首しました。

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鄴攻め

慕容恪は、冉閔との戦いのあと、呼沲に駐屯します。

冉魏の残党はまだ華北に健在で、蘇亥という武将が部下の金光に数千の兵をもたせ、慕容恪軍に攻撃をしかけます。

慕容恪は、金光を迎え撃ち返り討ちにし、金光を斬りました。

これにより、蘇亥は慕容恪に恐れをなし并州に逃げていきました。

慕容恪は常山に軍を進め、先に慕容垂の侵攻を受け常山に逃げていた段勤は慕容恪の軍が迫ると恐れをなしついに降伏しました。

北から華北を順次制圧していった前燕軍ですが、ついに後趙、冉魏の首都で、華北の主要都市・鄴に迫ります。

華北の主要都市・鄴

鄴は、現在(2019年)漫画キングダムでも趙の首都・邯鄲に次ぐ王都圏の最重要都市として描かれ、秦の攻撃を受けている都市でありますが、キングダムが描かれている戦国時代以降も、華北の重要都市として存在し続けます。

秦の鄴攻めが始まる巻

王翦の前に巨大都市・鄴が姿を現す巻

三國志の袁紹も鄴を本拠地としてましたし、曹魏の時代には、董卓によって荒廃した洛陽の代わりに許都を首都にしていた曹操が、袁紹を滅ぼしたあと鄴に遷都し、曹魏の首都はしばらく鄴でした。

赤壁の戦いのときに、呉の孫策と周瑜の奥さん、大喬・小喬を銅雀台にはべらしたいとのたまった銅雀台はこの鄴にあります。

曹魏の首都は洛陽というイメージが強かったのですが、洛陽を首都にするのは曹丕が皇帝となったあたりからなのですね。

五胡十六国時代に入ってからも、後趙の石虎が譲国から鄴に遷都したあとは、後趙の首都として存在し、冉魏の首都でもありました。

ちなみにこのあとの時代も、前燕、東魏、北斉の首都になり華北の中心都市として存在し続けます。

近年、この鄴の遺跡の近郊の墓が曹操の墓と認定されたのは大きな話題になりました。

鄴攻めの開始

当時鄴は冉閔の部将・蒋幹が守将でした。蒋幹は門を閉ざし抗戦します。

慕容儁は、慕容評にも1万の兵を率いさせ鄴攻城戦に参戦させます。

蒋幹は果敢にも5千の精鋭を率いて城を出て戦いを挑みますが、慕容評等の前燕軍に迎撃され4千もの兵を討たれ、蒋幹は単騎で鄴に逃げ戻ります。

鄴攻めのさなか、慕容恪と封弈は、元後趙の幽州刺史で前燕軍の幽州侵攻時にいち早く逃げ魯口にいた王午を攻めます。この攻撃により王午は降伏します。

鄴包囲を続けていた慕容評は、攻城の末352年8月ついに鄴を落とし、冉閔の妻子や一族、幕僚、文化的資産などを中山に送りました。

慕容儁、皇帝に即位す

鄴を落とし、華北の主要部分を手に入れた慕容儁は、352年11月、中山にて皇帝に即位しました。

慕容廆に時代から、前燕はあくまで東晋皇帝によって燕王に任命されているという立場をとっていたのですが、この皇帝即位により、東晋の冊封体制から離脱し、東晋皇帝と並ぶ立場であることを表明しました。

ちょうどこのとき前燕に来ていた東晋の使者に、「国に帰ったら、お前らの皇帝に、『皇帝の位が空席であったので、中国の人々の推薦を受けて皇帝になってやったぞ。』と伝えろ。」と言いました。

完全に東晋を馬鹿にしておりますな。

鄴を獲て、皇帝となった慕容儁ですが、華北侵攻はまだまだ続きます。

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【参考文献】
三崎良章『五胡十六国、中国史上の民族大移動』【新訂版】(東方書店、2012年10月)
川勝義雄『魏晋南北朝(講談社学術文庫)』(講談社、2003年5月)
『晋書』

  

 

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