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2年近くも続いた、弟慕容仁の乱をようやく平定し慕容部内での権力を確率した慕容皝ですが、続けて周辺勢力との戦いに突入します。
とくに段部は、遼西エリアで慕容部の勢力の西に勢力を持ち、慕容部から見ると、まさに中原に進出するための壁になっていました。
この段部との死闘の幕があきます。
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段部との戦い
慕容仁の乱の間も、乱に乗じて慕容皝の勢力に侵攻していた段部ですが、その後も慕容部への侵攻を止めません。
段部の部族長、段遼は、将軍李詠に兵を率いさせ武興の街を夜襲させます。しかし、あいにくの雨で夜襲はうまくいかず、その軍は引き返そうとします。
そこへ慕容部の都尉張萌が追撃をかけ李詠を捕らえました。
また、段遼の弟段蘭も数万の兵を擁し、曲水亭という地に布陣し、柳城を攻めようとします。さらに宇文部の宇文帰もこれに呼応し、段蘭の軍を助けます。
慕容皝の迎撃
このように段部の侵略に対し、慕容皝は歩兵・騎兵併せて5万で迎撃し、柳城に軍を置きます。この大軍を見た段蘭、宇文帰は分が悪いと思い逃げます。
慕容皝は、将軍封弈に命じ、逃げた段蘭、宇文帰を軽騎兵をもって追撃させ打ち破ります。そして、段部・宇文部が置いていった兵糧などを奪い、20日後に帰還しました。
挟撃の策で段部を撃破
このような勝利にもかかわらず慕容皝は気をゆるめません。諸将に「段部と宇文部は恥をかき戦功もなく退却したので、その屈辱をそそぐために必ずまた攻めてくるだろう。柳城の左右に伏兵を置き、迎え撃とう」と指示を出します。そして、封弈に騎兵を率いさせ、馬兜山の諸道に兵を埋伏させます。
はたして段遼自ら率いる騎兵が再び攻め込んできますが、策のとおり封弈は段遼軍を挟撃し、壊滅させ、段部の将軍栄保を討ち取る大戦果をあげます。
その後、慕容皝は、嫡子の慕容儁に段遼の諸城を落とさせ、封弈には宇文部の別部を攻めさせ各方面で大勝します。
このように慕容部は、段部との戦いを有利に進めていきます。
慕容皝はこの有利な展開の中、拠点を昌黎郡に移し、段部にさらなる攻勢をかけます。
段部の本拠地に迫る
慕容皝は、段部の本拠地乙連の東に好城を築き、将軍蘭勃を派遣して配置し、乙連に圧力をかけます。また、曲水にも城を築き、蘭勃を支援する体制を作ります。
乙連は飢餓が激しくなり、これをみた段遼は食料を送りますが蘭勃によって奪われます。
そこで、段遼は将軍屈雲に興國を攻めさせますが、慕容皝の将軍慕容遵との五官水での戦いで敗れます。この戦いで慕容遵に多くの兵がつかまってしまいました。
このように段部を追い詰めていく慕容皝ですが、その息の根を止めるため後趙と接触していきます。
【参考文献】
三崎良章『五胡十六国、中国史上の民族大移動』【新訂版】(東方書店、2012年10月)
川勝義雄『魏晋南北朝(講談社学術文庫)』(講談社、2003年5月)
『晋書』
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