慕容廆

石勒

石勒 五胡十六国時代の黒き英雄王 第三部「石勒の河北争奪戦」③ 312年~313年 石勒、王浚を削っていく

こんにちは。312年石勒は襄国を本拠にし、河北経略に入っていきます。石勒の河北での最大の敵は幽州に本拠を置く晋の王浚です。(この時点では軍閥化している)12月に石勒と王浚の戦いは始まります。王浚は自勢力の主攻、段部を襄国へ向けて進発させます...
五胡十六国時代

五胡十六国時代 前燕の落日② 四代目慕容暐 ~慕容暐即位時の周辺勢力の状況~

こんにちは。前燕は、慕容廆から数えて四代目の慕容暐の代に入りました。慕容廆→慕容皝で遼東・遼西の制覇。そして、慕容儁の代に中原への進出&華北東部の大部分を制圧と、一気に勢力を伸ばして来ました。そして、慕容儁が病でなくなって、息子の慕容暐が跡...
中国史

五胡十六国時代 前燕の落日① 四代目慕容暐 ~慕容暐までの前燕の軌跡~

こんにちは。しばらく空いてしまいましたが、五胡十六国時代、慕容部が建てた国・前燕について続きを書きます。前回までに、慕容儁の時代までを書きました。ここからは、「四代目」にあたる慕容暐の時代を書いていきます。はじめに言うと前燕は慕容暐の代で滅...
前燕

中国史上最大級の戦乱の時代、五胡十六国時代。その各国の攻防を描く ~東北からの疾風、前燕の中原侵攻~⑬ 慕容儁、20万を率いて中原侵攻を開始する

こんにちは。前燕は、慕容皝が死に、慕容儁が燕王の位を継ぎます。349年に後趙の石虎が死ぬと、後趙は、後継者争いから大混乱に陥り、冉閔が魏の国を興すなど大乱が続きます。慕容儁はこの後趙・冉魏の大乱の隙をつき、華北の征服を図ります。その準備とし...
中国史

中国史上最大級の戦乱の時代、五胡十六国時代。その各国の攻防を描く ~東北からの疾風、前燕の中原侵攻~⑫ 慕容儁の即位

こんにちは。前燕は慕容皝の時代に、遼東・遼西のライバル、宇文部・段部・高句麗などを打倒します。348年慕容皝が死ぬと、息子の慕容儁が跡を継ぎます。このときまでに、遼東・遼西を支配することに成功していた前燕は、いよいよ中原へと矛先を向けていき...
歴史

中国史上最大級の戦乱の時代、五胡十六国時代。前燕の名将・名臣を挙げてみる② ~慕容皝の時代~

こんにちは。前燕が発展していく歴史の中で、やはり有能な人材が場所を得て活躍しているということが大きいと思います。慕容部の一族がまず有能だったのもありますし、一族以外にも有能な武将、名臣たちがこの時代に現れます。前回は、慕容廆の時代を書きまし...
中国史

中国史上最大級の戦乱の時代、五胡十六国時代。その各国の攻防を描く ~東北からの疾風、前燕の中原侵攻~⑪ 遼東・遼西の完全支配の成功と慕容皝の死

こんにちは。亡命していた慕容翰が帰還し、後趙の幽州付近の防備体制の隙をつき、長駆し薊の城を超え、高陽の街に至るまで進出し、3万戸を略奪し人民をさらいました。高陽というと、幽州を通り越し、冀州にある街です。「長駆」というだけあって、相当な距離...
中国史

中国史上最大級の戦乱の時代、五胡十六国時代。その各国の攻防を描く ~東北からの疾風、前燕の中原侵攻~⑩ 慕容皝、中原への進出を図る

こんにちは。後趙の石虎率いる数十万の軍に本拠地棘城を囲まれながら、息子の慕容恪の活躍などで後趙軍を撃退し、その勢いのまま、前燕の西に勢力をもっていた段部を壊滅させ、その領土を支配することに成功します。これにより、前燕の国境は後趙と接すること...
前燕

中国史上最大級の戦乱の時代、五胡十六国時代。その各国の攻防を描く ~東北からの疾風、前燕の中原侵攻~⑨ 慕容皝、段部を殲滅するため後趙の石虎と組むも、後趙の侵攻を受ける→後趙を撃退し、中原への道をひらく

こんにちは。慕容皝は、西の宿敵段部との死闘を優位に進め、段部の本拠地乙連へ迫る攻勢をかけるまでになりました。この段階で、段部の勢力を殲滅させるために、華北を制した後趙に援軍を求めます。五胡十六国時代のおおまかな流れはこちら五胡十六国時代を含...
前燕

中国史上最大級の戦乱の時代、五胡十六国時代。その各国の攻防を描く ~東北からの疾風、前燕の中原侵攻~④ 遼東・遼西を覇権を確固たるものにし慕容廆死す

こんにちは。今回は、慕容部の危機と、慕容廆の死までを書きます。五胡十六国時代のおおまかな流れはこちら五胡十六国時代を含む、魏晋南北朝時代のおおまかな流れはこちら中国史をテーマとしたおすすめ漫画はこちら中国史をテーマとしたおすすめ小説はこちら...
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