三国志に並ぶ

前燕

五胡十六国時代 前燕の落日⑪ 四代目慕容暐 ~「枋頭の戦い」その1~

こんにちは。 367年~368年にかけての、前秦国内の反乱に対して、前燕の実権を握る慕容評の判断は動かずでした。 もしかしたら、前秦への侵攻のすきを突かれて、南から東晋の桓温が攻め込んで来るのを警戒しての判断だったのかもしれません。また急激...
中国史

五胡十六国時代 前燕の落日⑩ 四代目慕容暐 ~慕容評、慕容評、ああ慕容評・・・~

こんにちは。 367年、前秦国内に、一族による4箇所同時反乱が起こり、大混乱に陥ります。前燕では、これを機に前秦に攻め込んでしまえという意見が多く出ます。 魏尹の慕容徳も具体的な侵攻作戦を提示し皇帝・慕容暐に上奏します。慕容暐も大喜びでその...
中国史

五胡十六国時代 前燕の落日⑨ 四代目慕容暐 ~慕容評の動かざること山の如し~

こんにちは。 前燕が慕容恪という支柱を失い、一時期東晋から奪っていた宛を中心とした荊州北部を奪い返されてしまったころ、西の関中で英主・苻堅様の元、勢力を伸ばしいた前秦でも国家存亡レベルの国難が起きます。 国内のいたるところで、反乱が続発して...
前燕

五胡十六国時代 前燕の落日⑧ 四代目慕容暐 ~前秦の国難~

こんにちは。 慕容恪死後の367年に、東晋の右将軍・桓豁の攻撃によって、前燕は獲得していた荊州北部の宛を失ってしまいます。 この数年、河南や洛陽の攻防戦で東晋とはバチバチの交戦をしてきた前燕ですが、西の関中に勢力を築く、前秦との関係もざわつ...
前燕

五胡十六国時代 前燕の落日⑦ 四代目慕容暐 ~慕容恪亡き後の前燕、東晋と荊州北部を争う~

こんにちは。 洛陽攻略までの前燕を率いた、まさに支柱というべき慕容恪が367年に死去します。 慕容恪は、臨終の前に遺言として、自分のあとは、呉王・慕容垂に継がせるように伝えます。 慕容垂は、慕容皝の第5子で慕容儁、慕容恪の弟になります。(慕...
中国史

五胡十六国時代 前燕の落日⑥ 四代目慕容暐 ~慕容恪の死~

こんにちは。 前燕は、365年、慕容恪の指揮のもと中原支配のシンボル的な存在でもあった洛陽を陥落させることに成功します。 洛陽は、西晋の時代に永嘉の乱の勃発により、匈奴出身の劉淵の建てた漢(のちの前趙)により奪われて以来ずっと華北を支配して...
中国史

五胡十六国時代 前燕の落日⑤ 四代目慕容暐 ~中華の都・洛陽を手に入れる~

こんにちは。 前燕の実権を握る慕容恪は、河南方面の経略を進めていきます。 まずは、野王に割拠状態であった呂護の討伐を行います。野王は、今の河南省の沁陽市です。河南省に属していますが、黄河の北にあります。洛陽盆地からみてちょうど北にあたり、黄...
中国史

五胡十六国時代 前燕の落日④ 四代目慕容暐 ~野王の梟雄・呂護を討伐~

こんにちは。 慕容暐が前燕の皇帝として即位したあと、慕容恪、慕容評とともに、先帝慕容儁から慕容暐のことを託された一人、慕輿根が実権を握ろうと暗躍しはじめます。しかしその企みはことごとく失敗に終わり、最終的には誅殺されてしまいました。 これに...
慕容恪時代

五胡十六国時代 前燕の落日③ 四代目慕容暐 ~慕輿根を誅殺し、慕容恪体制固まる~

こんにちは。 前燕の三代目慕容儁が360年に死去し、4代目の慕容暐が即位しました。 慕容儁の時代に、前燕は遼東・遼西エリアより中原に大侵攻を開始し、華北東部の大部分に覇を唱えるまでに勢力を築きました。 しかしその支配はまだ不安定な状況であり...
前燕

五胡十六国時代 前燕の落日② 四代目慕容暐 ~慕容暐即位時の周辺勢力の状況~

こんにちは。 前燕は、慕容廆から数えて四代目の慕容暐の代に入りました。 慕容廆→慕容皝で遼東・遼西の制覇。 そして、慕容儁の代に中原への進出&華北東部の大部分を制圧と、一気に勢力を伸ばして来ました。そして、慕容儁が病でなくなって、息子の慕容...