歴史

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甲斐の国を旅行した。コスパが最高 2日目、3日目 躑躅ヶ崎館・いちご狩り

甲府城を堪能したあと、昼ごはんを食べて躑躅ヶ崎館に向かいました。 昼飯は、甲州夢小路というエリア内にあるハンバーガー屋で食べました。甲州夢小路は、江戸時代に「小江戸」と呼ばれた(らしい)甲府城下をイメージして蔵造りの街を再現した甲府駅北口に...
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第1次~第5次の川中島の戦いの流れを書いてみる① 合戦が起こった原因

武田信玄を語る上で外せないのが川中島の戦いです。 信濃の国(長野県)の川中島で越後の上杉謙信と第1次~第5次の5回戦いが行われた、戦国時代の合戦の中でも最も有名な合戦の一つです。 とくに、第4次川中島の戦いは、両軍あわせて8千近くが討ち死に...
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第1次~第5次の川中島の戦いの流れを書いてみる② 第一次川中島の戦いについて

武田信玄の信濃侵攻により、村上義清、高梨政頼などの信濃の国衆は、越後の上杉謙信に助けを求めます。上杉謙信(当時は長尾景虎と名乗っている)もそれに応じて信濃へ出兵しました。基本的に両軍は善光寺平(川中島)の領有をめぐって戦います。 信虎・信玄...
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第1次~第5次の川中島の戦いの流れを書いてみる③ 第二次川中島の戦いについて

戦の前の武田信玄の動き 第一次川中島の戦いが終わり、武田信玄(晴信)は上杉謙信(当時は長尾景虎と名乗っている)率いる越後軍の強さを実感し、単純に正面から戦う前に、様々な手を打ち始めます。 まず、背後を固めるために、天文二十三年(1554年)...
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第1次~第5次の川中島の戦いの流れを書いてみる④ 第三次川中島の戦いについて

第二次川中島の戦いのあとの信玄の調略 弘治元年(1555年)に上杉謙信と和睦し、第二次川中島の戦いは終わりましたが、武田信玄はその直後から調略をはじめます。善光寺周辺の国衆を調略で崩そうとし、弘治二年(1556年)善光寺の裏にある葛山城の落...
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第1次~第5次の川中島の戦いの流れを書いてみる⑤ 第四次川中島の戦いの前の両軍の動き 上杉(長尾)の場合

弘治三年(1557年)の第三次川中島の戦いのあと、4年たってから、永禄四年(1561年)に第四次川中島の戦いが勃発します。この合戦は戦国時代の中でも1,2を争う有名な合戦であり、5回あった川中島の戦いの戦いの中でも、突出しての激戦となり、両...
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第1次~第5次の川中島の戦いの流れを書いてみる⑥ 第四次川中島の戦いの前の両軍の動き 武田の場合

第三次川中島の戦いが終わったあと、上杉謙信(当時は長尾景虎)は上洛をし、天皇や将軍のお墨付きをもらった上で関東に出兵し、無双状態のまま小田原城を包囲し、鎌倉で関東管領職に就任するなどイケイケ状態でした。 では関東で上杉謙信が無双状態のとき、...
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第1次~第5次の川中島の戦いの流れを書いてみる⑦ 第四次川中島の戦い 合戦本戦

弘治三年(1557年)の第三次川中島の戦いが終わって、第四次川中島の戦いまでのあいだ、武田信玄、上杉謙信(当時は長尾景虎【途中、政虎に改名】)とそれぞれ、様々な動きを見せます。 上杉謙信→上洛 関東出兵 武田信玄→上杉謙信の上洛と関東出兵の...
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第1次~第5次の川中島の戦いの流れを書いてみる⑧ 第五次川中島の戦い

武田信玄と上杉謙信(当時は長尾輝虎)の戦いは、第四次川中島の戦いが一番有名ですが、その有名かつ大激戦の合戦のあとにも一度、川中島を舞台に戦っています。地味なイメージが強い第五次川中島の戦いをはどんな戦だったのでしょうか? 信虎・信玄・勝頼 ...
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中国史上最大級の戦乱の時代、五胡十六国時代。その各国の攻防を描く 前趙(漢)①

五胡十六国時代 三国志の時代が、曹魏を継いだ西晋の天下統一で終わり、平和の時代が訪れたと思われましたが、その西晋の統一からわずか30年経たないうちに、天下は乱れます。 そして、異民族国家の勃興を含めた中国史上でも最大級の戦乱の時代、五胡十六...