五胡十六国時代 前燕の落日⑭ 四代目慕容暐 ~「枋頭の戦い」その4 進撃の桓温~

中国史

こんにちは。

5万の兵を率い出陣した桓温は、前燕領に侵入、泗水沿いを北上、慕容忠を撃破し湖陸を抜き、金郷まで進出します。

そこで、水路が旱魃により干からびていたので、部下の毛虎生をこき使い、巨野沢から300里の距離を水を引き、水路をつなげます。

そして、済水の水路を使い黄河に出ようとします。

ここで参謀の郗超が桓温に今後の軍事方針を献策します。

戦争前の勢力地図:369年頃

序盤の桓温の進軍路

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郗超の献策

郗超は以下のことを桓温に進言します。

①済水から黄河に入るには、流れにさかのぼるので水路による物資の輸送がさらに困難になる。前燕が戦いを挑んで来ないようなら、全軍を挙げて一気に敵の首都・鄴を突くのが一番良い。そうすれば、敵の奴らは皆桓温様の異名を恐れ必ずや北に向けて逃げ出すだろう

②もし鄴を直撃しないのなら、黄河と済水に兵を留めて、十分の物資を整え来年の夏まで待ち、その後兵を進めれば、成果が遅くなるだけで成功という結果は同じである。

脇目も振らず前燕の首都・鄴を直撃する短期決戦をするか、食料などが十分に運ばれ、兵站の心配が無くなってから攻めるかの2策を進めたわけです。

この郗超の2策に見えるように、この北伐では食料や物資の輸送とその輸送路の確保が大変心配され重要視されていたようです。

この郗超の策に対して、桓温はまたしても従いませんでした。

資治通鑑の胡三省の注では、郗超の策は常人の及ぶところではないほど優れたものであり、桓温も策を重んじていましたが、桓温としては、①鄴を直撃するような一戦のみで勝負を決するようなギャンブルはできず、②の時間をかけて攻めることも前燕が備えを万全にしてしまう可能性があり、これも採用しなかったとあります。

そして、桓温は済水をさかのぼり黄河を目指します。多くの船を連ねること数百里にわたった、と書かれていますから、大船団で済水を進んでいったようです。

この黄河を目指す過程で、前燕の迎撃軍と戦闘を交えます。

前燕軍との戦闘①(慕容厲を撃破)

さて、湖陸で慕容忠を破り、さらに済水沿いを黄河を目指して進軍してくる東晋軍に対して、前燕皇帝・慕容暐も迎撃に軍を差し向けます。

まず慕容厲を征討大都督として、歩兵騎兵2万を率いさせ東晋軍迎撃に向かわせます。

慕容厲は、慕容皝の族子になります。366年に東晋の泰山太守・諸葛攸を攻め、これを淮南に退散させ、兗州諸郡を陥落させるという軍歴を持ち、将軍としてなかなか優秀な人物であったと思います。

慕容厲軍は、黄墟という外黄県(陳留の町の東)の東の地で桓温率いる東晋軍と激突し、大敗を喫してしまいます。慕容厲は単騎で逃走します。

この後、前燕の高平太守・徐翻は郡を挙げて桓温に降伏します。

前燕軍との戦闘②(傅顔を撃破)

さらに、鄧遐と朱序が率いる東晋軍の別働隊が、前燕の傅顔を林渚という地で撃破します。

鄧遐と朱序はどちらも東晋が誇る名将たちです。とくに朱序はこの第三次北伐のあと、華北を統一した前秦が南進し襄陽を攻めたときに城将としてこれを迎え撃ち、長期にわたり前秦軍を跳ね返す籠城戦を繰り広げました。

その後、襄陽の陥落とともに朱序も前秦軍に降伏するのですが、前秦が130万と称する軍で東晋を滅ぼさんと攻め込んだ淝水の戦いで、前秦軍にありながら、東晋勝利へのサポート的活動を行います。

また、林渚の戦いで破れた側の前燕の傅顔も名将でした。

李国の反乱の鎮圧に活躍し、前述、東晋の泰山太守・諸葛攸が359年に北伐を企て攻め込んで来たときも、傅顔は慕容評とともにこれを東阿の地で撃破しています。

また、慕容暐即位後の、慕輿根の乱のときも皇甫真とともに慕輿根を捕らえたり、老賊・呂護が反したときも慕容恪の配下としてその討伐に活躍しています。

その傅顔を撃破したのですから、鄧遐と朱序の優秀さがわかります。

戦場となった林渚は現在の河南省の省都・鄭州の南にある新鄭という町の郊外になります。新鄭は戦国七国の一つ韓の首都だった町でもあります。

この場所は、桓温本体の進軍路、済水沿いからはかなり離れた場所ですので、鄧遐と朱序の別働隊は河南エリアの制圧を別途任されていたのかも知れません。

前燕軍との戦闘③(慕容臧を撃破)

さて、慕容厲、傅顔と前燕における名将たちを撃破された慕容暐ですが、今度は楽安王・慕容臧に軍を率いさせ東晋軍阻止に向かわせます。

慕容臧は慕容儁の長子でしたが、庶長子だったので、後継者になれませんでした。皇帝慕容暐の兄になります。

東晋の噛ませ犬、泰山太守・諸葛攸が358年に北伐し東郡を攻めたときに慕容恪の軍に従軍し、諸葛攸を撃退しています。

慕容恪が亡くなる前に遺言を残した一人でもあります。

そのような慕容臧ですが、当時最高の名将であった桓温の前では分が悪すぎます。持ちこたえることができずに、慕容臧は李鳳という人物を使者に立て前秦に援軍を求めます。

黄河に出るまでの桓温の進軍路

ちなみに、資治通鑑では上記のように、6月に東晋軍が、慕容厲、傅顔、慕容臧を撃破したと書かれているのですが、「晋書」桓温伝では、林渚の地で桓温が、慕容垂と傅顔が率いる8万の軍を撃破したと書かれており、「晋書」海西公紀では、7月に慕容垂が軍を率いて桓温軍と戦い敗れると書かれております。そして、「晋書」慕容暐載記では資治通鑑の流れとほぼ同じという、書かれている箇所や書によって、内容や出来事が起こった月が異なっています。

このブログでは、前燕が桓温によって繰り出す軍をことごとく撃破されたあとに、満を持して慕容垂が登場したほうがかっこがつくので、資治通鑑の流れを主に使用したいと思います。

進撃の桓温

このように、慕容忠、慕容厲、傅顔、慕容臧と前燕が誇る将軍たちが立て続けに桓温の軍に破れます。

さすがの前燕軍も、当時の中華で最高最強の名将である巨人桓温の進撃を止めることはできません。

前燕は国家存亡のときを迎えます。

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【参考文献】
三崎良章『五胡十六国、中国史上の民族大移動』【新訂版】(東方書店、2012年10月)

川勝義雄『魏晋南北朝(講談社学術文庫)』(講談社、2003年5月)
『晋書』『資治通鑑』

 

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