石勒 五胡十六国時代の黒き英雄王 第二部「漢の将軍として戦う」⑩ 312年 石勒、自分探しの旅を終え北帰をはじめる

石勒

こんにちは。

311年にの首都・洛陽を陥落させた前後あたりから、石勒は淮水南北あたりをウロウロと自分探しを続けていました。(その最中、心のなかでは嫌っていた同僚の王弥を暗殺しその勢力を併合したりもしています。)

漢の主力も洛陽を落としたあと、長安も陥落させるなどいい調子でを圧迫していましたが、晋もその部将や官僚たちが各地で対漢の行動を起こし、長安のある関中では安定太守・賈疋が長安を奪回、皇族の司馬鄴も関中に入り、漢に対して反抗をはじめます。

その頃石勒は、今後についての一つの答えを見つけます。

 

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石勒、建業を攻めようとする

312年になると、石勒葛陂に砦を作り、配下に農業を即し、舟を作り、建業を攻めようとします。(このあと建業は「建康」と名を変え、東晋、南朝では首都になるが、このときはまだ建業)

建業にいた琅邪王・司馬睿は、すわっ敵襲じゃ!と、江南エリアの兵を寿春に大動員して、鎭東長史紀瞻揚威將軍に任命して石勒を迎え撃とうとします。

寿春、このあたりは南北の勢力が激突するときによく舞台になりますね。

石勒はここで三ヶ月に渡り大雨に見舞われ、動けなくなり、食料不足の状態に陥り軍中に多く死者が出る状態になってしまいます。

そういう状態のときに晋軍が迫ってきていることを聞き、諸将を集め軍議を開きます。

石勒軍軍議

まず、右長史・刁膺が発言します。

「司馬睿に申し開きの書状を送り、(晋に味方する軍として)河北を我らで制圧し司馬睿に渡すことを交換条件とするのです。そして司馬睿の兵が退いた後、あらためて策を練るとよいでしょう。」

石勒「何言ってんだ、こいつ」と思いつつ、ため息を吐きます。

中堅將軍の夔安はこう言います。

「とりあえず、大水を避けるため高いところに移動しましょうぜ。」

石勒はブチ切れます。

「お前は何を怯えとるんじゃ!ボケェ!!」

孔萇たち30何人かの将軍は、こう言います。

「各将軍、別々の道から寿春を夜襲してしまいましょう。そして呉将の頭(司馬睿軍の司令官)を斬り、寿春を占領して食料を確保しましょう。そうすりゃ今年中に丹陽を破り、江南を取ることができますぜ。」

石勒は笑いながら「これは勇将(脳筋)の計である」と応えます。

そして、それぞれに褒美として鎧や馬を賜ります。(しかしこの策はボツです。)

ここで石勒張賓のほうを向き「君の意見はどうかね?」と聞きます。

張賓は応えます。

「将軍(石勒)は漢の将軍として、晋の京師(洛陽)を攻め落とし、天子(皇帝)を捕らえ、王公を殺害し、妃たちを強奪しております。『石勒の髪の毛すべて数えても、石勒の罪の数には及ばない』と思われているほどに将軍は晋の人々に恨まれております。

こういう状況で、将軍がここで晋の臣下になりますなんてことが今更できましょうか?!

昨年、王弥を殺した時点でこの地を本拠としたことが間違いなのです。今、数百里の範囲で長雨が降り続いています。これは天が将軍にこの地に留まるのが間違いであることを示しているのです。

鄴には「三台の固」があり、西には平陽(漢の首都)と接し、山河が四方を守っています。北に移動し鄴を本拠にし、河北エリアを経営し、その後河北が定まれば天下に将軍の右に出るものはいなくなるでしょう。

晋軍が寿春にとどまっているのは、将軍が寿春を攻めるのを怖がっているからです。将軍がこの地を離れるの聞けば、江南を守るという目的を達成したことに喜び、わざわざ我らを追撃してくることはないでしょう。

そこで、退却の方法ですが、輜重隊を先に北道より先発させ、将軍は大兵を率いて寿春に向かうとよいでしょう。そして輜重隊が遠く離れてから、寿春に向かっている兵を徐々に退かせていけば、何も心配することなどないでしょう。」

この意見を聞いた石勒は興奮した面持ちで、

「張君の計、是なり!!」と言いました。

そして、クソのような意見を言った刁膺に、「本来なら処刑だけど、特別に左遷で許す」と言い、刁膺を将軍に降格させ、張賓右長史に任命して以後「右侯」と呼び始めます。

この「右侯」というのは、今後張賓の代名詞となります。

石勒の信頼を得た張賓は、このあと多くの献策をし、石勒を河北の覇者に導いていきます。

退却作戦開始

石勒はさっそく張賓プロデュースの退却作戦を開始します。

石勒は葛陂から兵を出立させ、石虎に二千騎を率いさせて寿春に向かわせます。

ところが石虎の軍は、向かう先に晋軍の運搬船を見つけ空腹に耐えかねた石虎の兵は争って食料を奪おうとし、紀瞻に敗れます。紀瞻は敗れた石虎軍を追撃し、先鋒が石勒の軍に追いつきます。

石勒はここで堅陣を布き、晋軍を迎え撃ちます。

これを見た紀瞻はあえて攻撃せず、寿春に引き上げ、石勒はこの地から退却することに成功しました。

はじめの張賓の策のイメージとは、ちょっと違うグダグダ感がありますが、晋軍は無理に石勒軍と決戦は行わないだろうというおおまかな予測通り、石勒は大きなダメージはおわず北へ軍を返すことに成功しました。

さて、今まで今後の方向性に悩み、自分探しをして来た石勒でしたが、張賓のおかげで一つの大きな戦略が決まりました。

河北を獲得し、そこで勢力を築く!

ということです。

次回から、石勒の河北争奪戦がはじまります。

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【参考文献】
三崎良章『五胡十六国、中国史上の民族大移動』【新訂版】(東方書店、2012年10月)

川勝義雄『魏晋南北朝(講談社学術文庫)』(講談社、2003年5月)
『晋書』『資治通鑑』


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