五胡十六国時代 前燕の落日⑧ 四代目慕容暐 ~前秦の国難~

中国史

こんにちは。

慕容恪死後の367年に、東晋の右将軍・桓豁の攻撃によって、前燕は獲得していた荊州北部の宛を失ってしまいます。

この数年、河南や洛陽の攻防戦で東晋とはバチバチの交戦をしてきた前燕ですが、西の関中に勢力を築く、前秦との関係もざわついて来ます。

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前秦の苻廋が前燕に降る

368年2月、陝城を守る、前秦の将・苻廋が前燕に降伏してきました。

陝城は、今の河南省・三門峡市にあたり、前秦からみて、前燕との最前線に近いところに位置しています。またこの時代に機能していたかはわかりませんが、漫画キングダムでも圧倒的存在感を誇った函谷関もこの陝城のすぐ西にあります。洛陽付近から西へ進軍する軍を食い止める要とも言うべき位置取りです。

キングダム、函谷関攻防戦はこの巻から↓


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慕容恪が洛陽を落とした365年にも前秦の苻堅は、前燕軍が前秦の首都・長安がある関中に侵攻してくるのを警戒して、自らこの陝城に駐屯し、前燕軍に備えました。

確かに地図を見てもこの陝城が前燕の所有になってしまうと、関中への防御は、黄河とその支流渭水の合流点にある潼関に頼らざるを得なくなります。

その潼関を抜かれてしまうとそのまま長安がある渭水盆地にまで侵入されてしまいますので、陝城付近が前燕に渡ってしまって苻堅としてはさあ大変です。

当時のものの本には「前燕の馬は渭水の水を飲むだろう」とまで書かれてしまったそうです。

苻堅、華陰に精鋭を置き前燕に備える

苻堅としては、前燕の関中侵攻に最大限の警戒をし、華陰に精鋭を集めて、これに備えます。

華陰は潼関の少し西にあたりますので、潼関のラインを絶対的防衛線として定めていたのでしょう。

ちなみに華陰は華山という山の北という意味でしょう。中国五名山の一つで道教の修行地として有名な山です。今はロープウェイでも登れるそうですが、長空桟道という横幅20センチしかない断崖絶壁にはりついた桟道を、命の保証は無いことを文書で了承したあとで通れるルートもあるそうです。写真を見ただけでもショック死しそうな恐ろしいルートです。蜀の桟道がかわいく見えました。

前秦の国難

陝城が前燕の手に渡ってしまいうだけでも、前秦としては大変なのですが、前秦はこの時期未曾有の国難ともいってよい状態にありました。

陝城の苻廋だけでなく、蒲坂の晋公苻柳、上邽の趙公苻双、安定の燕公苻武の4箇所で同時期に反乱が起こり、国が四分する状況だったのです。

さて、このように前秦国内が混乱に陥る状況で、前燕の朝廷では、この機に乗じて前秦への侵攻をはじめるべきだという要望が大きくなります。

この件に断を下すのは、慕容恪亡きあと、前燕の最高権力者となった慕容評でした。

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【参考文献】
三崎良章『五胡十六国、中国史上の民族大移動』【新訂版】(東方書店、2012年10月)
川勝義雄『魏晋南北朝(講談社学術文庫)』(講談社、2003年5月)
『晋書』

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