オスマン帝国の領土拡大をたどる① ~アナトリアのトルコ化とオスマンの建国~

歴史

こんにちは。

何年か前から、オスマン・トルコことオスマン帝国の歴史についても興味を持ち、少しずつ勉強しています。

名前のとおり、トルコ人であるオスマン家がアナトリア北西部からスタートして、東地中海周辺を支配下に置く世界帝国となるまでの領土拡大の道程を書いていきたいと思います。

トルコ人

そもそも、オスマン帝国の元々の支配層であるトルコ人は、内陸アジアから移動してきました。もともとは遊牧民族で、モンゴル高原で勢力をはった突厥やウイグルはトルコ系の民俗が作った国です。

トルコ人の西への移動

9世紀にウイグルが滅亡すると、トルコ人は西に移動していき中央アジアに根を張っていきます。さらに時代が進むと、イスラム勢力が中央アジアに進出してきて、トルコ人たちもイスラム化していき、ムスリム王朝を建国するようになります。

その後、イラン高原に入ってきたトルコ人たちが11世紀にムスリム王朝を建国します。これが、大セルジェーク朝です。世界史の教科書ではセルジェーク・トルコと紹介されています。オスマン・トルコと同じような名前ですが、直接オスマン・トルコとの関係はないようです。

大セルジェーク朝がアナトリアへ進出していき、1071年のマラズギルトの戦いで当時アナトリアを支配していたビザンツ帝国を破ります。そして大セルジェーク朝から分家のルーム・セルジェーク朝が分かれて行く流れの中で、アナトリアの地では、トルコ系ムスリムたちの流入が続いていきます。

ルーム・セルジェーク朝の衰退と侯国(ベイリク)の自立

そのルーム・セルジェーク朝も東から侵攻してきた、モンゴル西征軍によって敗れ属国化していきます。それにより、アナトリアの地ではルーム・セルジェーク朝に服していた様々なトルコ系の部族集団が自立していき、各々が君侯(ベイ)を名乗り小国家である侯国(ベイリク)を建てます。

その侯国(ベイリク)の中でももっとも辺境に位置し、勢力としても弱小であった集団の指導者がオスマン帝国の祖であるオスマンでした。

参考文献
鈴木 董  オスマン帝国 イスラム世界の「柔らかい専制」 (講談社現代新書)
小笠原 弘幸 オスマン帝国-繁栄と衰亡の600年史 (中公新書)
林佳代子 興亡の世界史 オスマン帝国500年の平和(講談社学術文庫)

   

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