後趙

中国史

中国史上最大級の戦乱の時代、五胡十六国時代。その各国の攻防を描く ~東北からの疾風、前燕の中原侵攻~⑮ 慕容儁、皇帝に即位する

こんにちは。 前燕は石虎死後大混乱に陥った華北に侵攻して、冉魏と交戦します。 前燕の将軍・慕容恪の卓抜した戦術で冉魏の皇帝・冉閔との戦いに勝利し、冉閔を捕らえ龍城に送り斬首しました。 五胡十六国時代のおおまかな流れはこちら 五胡十六国時代を...
五胡十六国時代

中国史上最大級の戦乱の時代、五胡十六国時代。その各国の攻防を描く ~東北からの疾風、前燕の中原侵攻~⑭ 前燕軍、冉閔を打ち破る

こんにちは。 350年1月、20万の大軍を動員した前燕の華北侵攻がはじまります。 このとき華北は、後趙の跡目争いを発端として、混乱の極地にあり、冉閔が鄴で即位し冉魏を建国し、後趙の石祗は襄国に拠り冉閔と対立している状況です。 前燕は、この後...
中国史

中国史上最大級の戦乱の時代、五胡十六国時代。その各国の攻防を描く ~東北からの疾風、前燕の中原侵攻~⑫ 慕容儁の即位

こんにちは。 前燕は慕容皝の時代に、遼東・遼西のライバル、宇文部・段部・高句麗などを打倒します。 348年慕容皝が死ぬと、息子の慕容儁が跡を継ぎます。 このときまでに、遼東・遼西を支配することに成功していた前燕は、いよいよ中原へと矛先を向け...
中国史

五胡十六国時代の覇権国家、後趙を描く④ 後趙の滅亡

石勒死後の後継争い 石勒が331年7月に病死したあと、息子の石弘が即位します。しかし、石弘は生来おとなしい性格であったらしく、石勒の華北制覇に大きく貢献した石虎に頭が上がりませんでした。石虎は自身の軍事力をベースに石弘を廃立し、334年11...
中国史

五胡十六国時代の覇権国家、後趙を描く③ 石勒の華北統一

後趙の建国 石勒が前趙(漢)の部将として、華北東部で勢力を拡大していたころ、前趙内部では、318年7月に劉聡が死亡し、劉粲があとを継ぎ即位します。しかし8月に外戚の靳準が劉粲以下の劉氏をクーデターにより滅ぼし漢天王を自称します。 この政変に...