中国.歴史.洛陽

中国史

五胡十六国時代 前燕の落日㉚ 四代目慕容暐 ~前燕滅亡への道~ 前秦の前燕への本格侵攻はじまる:并州攻防戦

こんにちは。 前秦が前燕の洛陽を攻撃したときに、同時進行で王猛は慕容垂親子を抹殺するための策を発動します。 疑いつつも、王猛の張り巡らされた罠にはまり、慕容垂の息子・慕容令は、道案内役を務めていた前秦軍から脱出、対峙していた前燕の慕容臧の陣...
中国史

五胡十六国時代 前燕の落日㉙ 四代目慕容暐 ~前燕滅亡への道~ 慕容垂親子に王猛の魔の手が迫る

こんにちは。 369年12月に王猛率いる前秦軍は、前燕領内に侵攻しました。 前秦軍は洛陽盆地に侵入し、慕容築が守る洛陽城を包囲します。 前燕も慕容臧に10万の兵を与え援軍に向かわせますが、王猛は梁成と鄧羌に兵を与え、慕容臧を迎え撃ちます。 ...
前燕

五胡十六国時代 前燕の落日㉘ 四代目慕容暐 ~前燕滅亡への道~ 洛陽攻防戦

こんにちは。 枋頭の戦いの時の援軍に対する、前燕・前秦間の約束事をしれっと反故にしようとした慕容評率いる前燕でしたが、当然そのような行為は許されるはずもなく、苻堅様と王猛に絶好の前燕侵攻の口実を与えてしまいます。 369年12月、王猛率いる...
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五胡十六国時代 前燕の落日㉗ 四代目慕容暐 ~前燕滅亡への道~ 前秦の前燕侵攻

こんにちは。 369年も終わりに迫ろうころ、鮮卑慕容部が建国し、華北東部を勢力におさめる、前燕という国は滅亡の危機が訪れていました。 東晋の桓温の第三次北伐を、五胡十六国時代でも比類なき軍才を持つ、慕容垂の用兵でしりぞけた前燕でしたが、人傑...
枋頭の戦い

五胡十六国時代 前燕の落日⑫ 四代目慕容暐 ~「枋頭の戦い」その2 桓温の参謀・郗超について~

こんにちは。 桓温は第三次北伐を開始するにあたり、自らの権力を更に強化するために、平北将軍・都督・徐兗二州刺史であり、北府軍を統括していた郗愔を事実上左遷させます。そして桓温は郗愔が任命されていた「平北将軍・都督・徐兗二州刺史」をも兼ねて、...
前燕

五胡十六国時代 前燕の落日⑪ 四代目慕容暐 ~「枋頭の戦い」その1~

こんにちは。 367年~368年にかけての、前秦国内の反乱に対して、前燕の実権を握る慕容評の判断は動かずでした。 もしかしたら、前秦への侵攻のすきを突かれて、南から東晋の桓温が攻め込んで来るのを警戒しての判断だったのかもしれません。また急激...
中国史

五胡十六国時代 前燕の落日⑩ 四代目慕容暐 ~慕容評、慕容評、ああ慕容評・・・~

こんにちは。 367年、前秦国内に、一族による4箇所同時反乱が起こり、大混乱に陥ります。前燕では、これを機に前秦に攻め込んでしまえという意見が多く出ます。 魏尹の慕容徳も具体的な侵攻作戦を提示し皇帝・慕容暐に上奏します。慕容暐も大喜びでその...
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五胡十六国時代 前燕の落日⑨ 四代目慕容暐 ~慕容評の動かざること山の如し~

こんにちは。 前燕が慕容恪という支柱を失い、一時期東晋から奪っていた宛を中心とした荊州北部を奪い返されてしまったころ、西の関中で英主・苻堅様の元、勢力を伸ばしいた前秦でも国家存亡レベルの国難が起きます。 国内のいたるところで、反乱が続発して...
前燕

五胡十六国時代 前燕の落日⑧ 四代目慕容暐 ~前秦の国難~

こんにちは。 慕容恪死後の367年に、東晋の右将軍・桓豁の攻撃によって、前燕は獲得していた荊州北部の宛を失ってしまいます。 この数年、河南や洛陽の攻防戦で東晋とはバチバチの交戦をしてきた前燕ですが、西の関中に勢力を築く、前秦との関係もざわつ...
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五胡十六国時代 前燕の落日⑦ 四代目慕容暐 ~慕容恪亡き後の前燕、東晋と荊州北部を争う~

こんにちは。 洛陽攻略までの前燕を率いた、まさに支柱というべき慕容恪が367年に死去します。 慕容恪は、臨終の前に遺言として、自分のあとは、呉王・慕容垂に継がせるように伝えます。 慕容垂は、慕容皝の第5子で慕容儁、慕容恪の弟になります。(慕...
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