中国史中国史上最大級の戦乱の時代、五胡十六国時代。その各国の攻防を描く ~東北からの疾風、前燕の中原侵攻~⑰ 慕容恪の広固攻略 段部の段蘭の息子段龕は350年に後趙が混乱しているあいだに、青州(山東エリア)に部人たちを率いて南下していき、広固という街で割拠し、斉王を名乗ります。そして、健康に使者を送り、服属をします。 前燕が、鄴を落とし、河南方面へ経略を進める最中、... 2019.07.01中国史五胡十六国時代歴史前燕慕容儁
中国史中国史上最大級の戦乱の時代、五胡十六国時代。その各国の攻防を描く ~東北からの疾風、前燕の中原侵攻~⑯ 河南方面へ侵攻を始める こんにちは。 前燕は、352年4月に冉閔を処刑し、8月には冉魏の首都であった鄴を落とします。これにより冉魏は滅び、華北の主要部分を手に入れた慕容儁は11月に皇帝に即位し東晋の冊封体制からも離脱します。 五胡十六国時代のおおまかな流れはこちら... 2019.06.26中国史前燕五胡十六国時代歴史慕容儁
前燕中国史上最大級の戦乱の時代、五胡十六国時代。その各国の攻防を描く ~東北からの疾風、前燕の中原侵攻~⑮ 慕容儁、皇帝に即位する こんにちは。 前燕は石虎死後大混乱に陥った華北に侵攻して、冉魏と交戦します。 前燕の将軍・慕容恪の卓抜した戦術で冉魏の皇帝・冉閔との戦いに勝利し、冉閔を捕らえ龍城に送り斬首しました。 五胡十六国時代のおおまかな流れはこちら 五胡十六国時代を... 2019.06.20前燕中国史五胡十六国時代歴史慕容儁
中国史中国史上最大級の戦乱の時代、五胡十六国時代。その各国の攻防を描く ~東北からの疾風、前燕の中原侵攻~⑭ 前燕軍、冉閔を打ち破る こんにちは。 350年1月、20万の大軍を動員した前燕の華北侵攻がはじまります。 このとき華北は、後趙の跡目争いを発端として、混乱の極地にあり、冉閔が鄴で即位し冉魏を建国し、後趙の石祗は襄国に拠り冉閔と対立している状況です。 前燕は、この後... 2019.06.12中国史五胡十六国時代歴史前燕慕容儁
中国史中国史上最大級の戦乱の時代、五胡十六国時代。その各国の攻防を描く ~東北からの疾風、前燕の中原侵攻~⑬ 慕容儁、20万を率いて中原侵攻を開始する こんにちは。 前燕は、慕容皝が死に、慕容儁が燕王の位を継ぎます。349年に後趙の石虎が死ぬと、後趙は、後継者争いから大混乱に陥り、冉閔が魏の国を興すなど大乱が続きます。 慕容儁はこの後趙・冉魏の大乱の隙をつき、華北の征服を図ります。 その準... 2019.06.04中国史五胡十六国時代歴史前燕慕容儁
中国史中国史上最大級の戦乱の時代、五胡十六国時代。その各国の攻防を描く ~東北からの疾風、前燕の中原侵攻~⑫ 慕容儁の即位 こんにちは。 前燕は慕容皝の時代に、遼東・遼西のライバル、宇文部・段部・高句麗などを打倒します。 348年慕容皝が死ぬと、息子の慕容儁が跡を継ぎます。 このときまでに、遼東・遼西を支配することに成功していた前燕は、いよいよ中原へと矛先を向け... 2019.05.30中国史五胡十六国時代歴史前燕慕容儁
中国史中国史上最大級の戦乱の時代、五胡十六国時代。前燕の名将・名臣を挙げてみる② ~慕容皝の時代~ こんにちは。 前燕が発展していく歴史の中で、やはり有能な人材が場所を得て活躍しているということが大きいと思います。 慕容部の一族がまず有能だったのもありますし、一族以外にも有能な武将、名臣たちがこの時代に現れます。 前回は、慕容廆の時代を書... 2019.05.27中国史前燕五胡十六国時代歴史慕容皝前燕の名将・名臣
中国史中国史上最大級の戦乱の時代、五胡十六国時代。前燕の名将・名臣を挙げてみる① 慕容廆の時代 こんにちは。 前燕について書いていくと、伸びている国には多くの名将・名臣が出てくるのだとあらためて思います。 前燕が遼東・遼西を統一して、中原を伺おうかという時期までに出てきた名将・名臣たちをまとめてみたいと思います。 五胡十六国時代のおお... 2019.05.24中国史五胡十六国時代前燕歴史慕容廆前燕の名将・名臣
中国史中国史上最大級の戦乱の時代、五胡十六国時代。その各国の攻防を描く ~東北からの疾風、前燕の中原侵攻~⑪ 遼東・遼西の完全支配の成功と慕容皝の死 こんにちは。 亡命していた慕容翰が帰還し、後趙の幽州付近の防備体制の隙をつき、長駆し薊の城を超え、高陽の街に至るまで進出し、3万戸を略奪し人民をさらいました。 高陽というと、幽州を通り越し、冀州にある街です。「長駆」というだけあって、相当な... 2019.05.21中国史前燕五胡十六国時代歴史慕容皝
歴史中国史上最大級の戦乱の時代、五胡十六国時代。その各国の攻防を描く ~東北からの疾風、前燕の中原侵攻~⑩ 慕容皝、中原への進出を図る こんにちは。 後趙の石虎率いる数十万の軍に本拠地棘城を囲まれながら、息子の慕容恪の活躍などで後趙軍を撃退し、その勢いのまま、前燕の西に勢力をもっていた段部を壊滅させ、その領土を支配することに成功します。 これにより、前燕の国境は後趙と接する... 2019.05.16歴史中国史前燕五胡十六国時代三國志慕容皝