後秦

北涼・沮渠蒙遜

五胡十六国時代 河西回廊の魔法使い・沮渠蒙遜⑯ 華北西部の戦乱と、北涼の西涼侵攻

こんにちは。 400年に北涼から独立して、酒泉や敦煌の河西回廊でも西よりのエリアに割拠し、そこそこ安定した社会を築いていた西涼ですが、君主・李暠が417年に病死してしまいます。 西涼は李暠の息子・李歆が跡を継ぎますが、後顧の憂いが無くなった...
北涼・沮渠蒙遜

五胡十六国時代 河西回廊の魔法使い・沮渠蒙遜⑭ 混迷が続く河西のエリア3 北涼と西秦

こんにちは。 414年に南涼君主・禿髪傉檀が国内の叛乱を鎮圧するために出陣した隙を、西秦軍に突かれ、首都・楽都が陥落、禿髪傉檀も西秦に降伏をして、南涼が滅亡します。 沮渠蒙遜の北涼と、10年以上も毎年のように衝突してきた南涼の滅亡は、沮渠蒙...
北涼・沮渠蒙遜

五胡十六国時代 河西回廊の魔法使い・沮渠蒙遜⑩ 北涼 vs 南涼2 夏が建国され沮渠蒙遜に追い風が吹き始める

こんにちは。 403年に後涼が後秦に降伏したあと、姑臧周辺は、後秦、北涼、南涼の勢力が駆け引きを交えたやりとりを繰り広げます。 406年から、姑臧エリアの南と北に勢力を張る、南涼と北涼が戦いをはじめます。(南涼は形式的には後秦の服属下にある...
北涼・沮渠蒙遜

五胡十六国時代 河西回廊の魔法使い・沮渠蒙遜⑦ 北涼が滅亡寸前になる

こんにちは。 401年、沮渠蒙遜の鮮やかなクーデターにより、従兄で一緒に北涼を立ち上げた実力者・沮渠男成と、北涼君主の段業を一挙に倒し、北涼という国は名実ともに沮渠蒙遜のものになりました。 沮渠蒙遜は6月に臣下たちに推されて、大都督、大将軍...
五胡十六国の流れ

五胡十六国時代 後期(淝水の戦い後)の流れを簡単に見てみる  「時代はまさにカオスだ(´Д`)」 ⑦401年~410年 華北西部編:北魏と後秦の興亡と夏の登場

こんにちは。 前回、401年~410年の華北東部を書きました。 後燕が北魏の攻撃により分裂し、北は後燕が滅び、北燕に取って代わられ、南は慕容徳が山東半島に南燕を建国しますが、東晋の劉裕に攻められ滅亡してしまいます。 北燕は小国ながら領土をキ...
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